第19話・LIBERTY①
部隊が散り散りになったのは、いつのことだったろうか。気づいたときには、俺と相棒のふたりだけになっていた。
いつ殺されるかわからない恐怖に怯え、それ以上の飢えと渇きに耐え抜いて、夜より暗い密林に身を潜ませているうちに、日本は敗けた。
それを知らせるアメリカ兵に見つかって、ともに生き延びてきた仲間は「天皇陛下万歳」と、手榴弾を抱き締めて四散した。
俺も玉のように散らねばと、自分のために残しておいた手榴弾を手にしたが、アメリカ兵にぶん殴られて捕虜収容所に送られた。
虜囚の辱めを見ていた俺は、死ねなかったことを後悔していた。
ここに上陸してすぐ、俺の舞台は連合軍の捕虜を移送した。
しかし手持ちの食料は残り少なく、捕虜に与える余裕はない。トラックも線路も破壊されてしまったので、捕虜収容所まで歩くしかない。
骨と皮だけになった連合軍兵士たちは、マラリアに
生き残りを収容所に引き継いで、次の作戦のために行軍したすぐあとだ、機銃掃射を食らって部隊が散り散りになったのは。
だから、捕虜になれば同じ目に遭うのだと、俺は終わりの見えない生き地獄を覚悟した。
ところが、生きながらにして天国へ行ったような気になった。食料があり、水があり、寝床があり、夢まで見られる。敵兵に対してこの待遇は、理解を遥かに超えていた。
そうして過ごしているうちに、暑い冬は終わりを告げた。俺たち捕虜は軍人ではなくなった、日本に送還すると連合軍の兵士が言うのだ。
乗せられた船は溶接の肉盛りだらけで、素人目に見ても造りが甘い。輸送船とはいえエンジン出力はあまりに低く、それに足の踏み場もないくらいに俺たち捕虜を乗せている。日本に辿り着けるのか不安になると、あれほど捨てようとしていた生が、蜘蛛の糸に縋るほど惜しいなんて、と俺は自嘲した。
同じ捕虜の中に、造船所に勤めていた奴がいた。彼がアメリカ兵から聞いた話では、戦時設計のリバティ船という船だという。
そうか、アメリカも苦戦していたのだな、と何もしていない俺だったが、少し救われた気になった。
ならば、日本はどうなのだ。
出征する折、大砲の弾を作るのだと鍋や釜を回収し『進め一億火の玉だ』と総力戦を煽られた。婦人も子供も熱狂の渦にあり、日の丸を振って俺たちや学徒までも戦地に送り込んでいった。
大人の男と鉄が消えた日本は、敗けてどうなってしまったのだろうか。果てしない大海原で、いくつもの夜を悶々と明かした末、ようやく帰った日本は目を疑う姿を晒した。
「あれは……どこなんだ?」
「川がある、あれは凱旋館、この港は
甲板から見下ろした広島は、瓦礫の荒野と化していた。船舶司令部を擁する港が無事で、遠く広島城が跡形もなく消えている。今まで見聞きした、どの戦地よりも酷い。
何故だ? 城下の第五師団司令部を狙ったのか?
それでは何故、船舶司令部は見逃されたのか。
疑問に胸を曇らせたまま厳しい検疫を受けた後、俺たちは日本の土を踏みしめた。陸軍が名を変えた第一復員省から除隊命令を下されて、郷里に帰れと無料乗車証を渡された。
港に隣接する宇品駅に、客車ではなく屋根のない貨車だけが連なっている。これに乗るのかとたじろいだが、他に列車は停まっておらず積み込む貨物はひとつもない。広島駅までの辛抱だと、あおり戸を跨いで乗車した。
緩く繋がる連結器が悲鳴を上げると、列車が走り出していく。連結器が伸びては縮む前後動、簡素なバネの上下動、揺れる視界に映るのは、向こうの山が見えるほど焼け野原になった広島だった。
「何が……広島に何が!?」
堪らず叫びを上げると、リバティ船を教えた奴が俺の口を手で塞ぐ。
「やめろ、舌を噛むぞ」
舌を奥に引っ込めて、ほんの少しだけ口を開いて問いかける。
「何があった、広島に」
「原子爆弾だ。長崎もやられたらしい」
原子爆弾……? たった、一発? それで広島が壊滅したのか? 長崎も……長崎も焦土になってしまったのか?
茫然自失の俺たちは、それぞれの郷里に帰るため広島駅で散開した。関わりを持ったからだろうか、リバティ船の男とそれぞれの行き先を尋ねあった。
「切符があっても、列車がいつ来るのかわからないな。俺は下関に帰るが、君は?」
「東京だ。落ち着いたら手紙を書くよ、住所を教えてくれ」
彼は窮屈そうに背中を丸めて、俺が渡した手帳にペンを走らせる。書き終えて手帳とペンを返す際、黒い顔を明るく照らして俺に尋ねる。
「リバティって、どんな意味か知っているか?」
「いいや、英語はまるでわからないんだ」
「自由って意味だぜ、アメリカらしいよな」
今にも崩れそうな造りの船が、まさか自由を語るとは。そう返事に窮していると、レールがキンキンと鳴り響き、東から汽笛が轟いた。すると彼が右手を差し出し、俺に握手を求めてきた。俺はその手を強く握り、しばしの別れを名残惜しんだ。
「必ず手紙を送ってくれよ、また会うために」
「わかった。それで君はどうする? また造船所に勤めるのか?」
「以前ほど船は造れんだろう。鉄道総局が俺たちの受け皿になると聞いた。暮らし向きに困ったら、君も頼るといいさ」
「ありがとう、助かるよ」
すし詰めの客車に窓から乗り込んだ彼を見送り、いつ来るのかわからない東京行きの列車を待った。
連合軍がもたらす自由とは、あの船のように脆く崩れてしまわないかと、焼き尽くされた広島を眺めながら、ただひたすらに列車を待った。
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