第18話・PRESS CODE
十一月二十日。物資の不足を補うための買い出し輸送に応えるべく、鉄道総局ではダイヤ改正を実施した。その翌日、蓮城は呼び出されベッスンのもとへ向かっていった。
対峙したベッスンは、今までの好意的な表情ではなかった。鉄道総局に騙された、裏切られた、恩を仇で返された、そのような憎悪が見て取れた。口を開けばダイヤ改正のことであり、蓮城はやはりと腹を据えた。
「あれだけの列車を走らせる燃料が、今の日本にはあるのか」
「満州も朝鮮も失った今は、足りません。鉄道総局では一ヶ月に四十一万トンを必要としますが、現在の採掘量は三十八万トンです。名古屋や新潟の備蓄は一週間分。仙台や青森には、それにも満たない石炭しかありません」
東京は? と、問うベッスンの声は震えていた。しかし、蓮城の返事は井戸の底より冷めていた。
「五日と保ちません」
ベッスンは堪らず、握り拳で机を叩いた。軍人であれ鉄道輸送を担う身として、列車の無謀な増発を許せなかった。
「どうするつもりだ! いっときの増発で国民の気を緩ませて、息つく間もなく期待を裏切るのか! 日本の鉄道は、どうなるというんだ!?」
耳をつんざくほどの罵声も、蓮城はどこ吹く風と聞き流していた。これが現実、これが現状、これが占領された日本の戦い方だ、と。
「一週間と経たぬうちに減便を強いられます。通学定期券は使用も発売も中止、目処が立つまで学校は休校です。復員兵は港に溢れ、徒歩での帰郷となるでしょう。GHQの輸送は優先しますので、ご安心ください」
日本の流動が滞る、そうなれば生命線が途絶えてしまう。優先すると言われても、それが風前の灯になろうと予想ができた。
「そうとわかっているならば、対策を取っているのだろうな」
「もちろん、荷揚げ港に石炭を融通してくれないか問い合わせております。しかし、東北の塩釜港には一トンもなかったかと」
東北がこの有り様では、ソビエトの防波堤として機能しない。物資不足は日本国民のみならず、占領するGHQにとっても危機である。GHQと日本は一蓮托生、それをベッスンは思い知った。
脅されている、捨て身の攻撃を受けている、これが
「即刻、減便しろ。これは命令だ」
「命令などされなくとも、今に石炭が尽きますよ」
「石炭が尽きてしまっては、列車は走れんだろう。列車を走らせるのが使命だと、そう言ったのは蓮城ではなかったか」
そうだ、絨毯爆撃を受けてなお、列車を走らせている理由を問われ、啖呵を切るわけでもなく、さも当たり前のように蓮城は答えた。それを忘れたのではない、列車を走らせるのが使命だと、蓮城ら鉄道総局総員は胸に深く刻んでいる。
にも関わらず、維持不可能なダイヤを実施した。鉄道総局の真意とは、と蓮城の真剣な眼差しの深淵を、ベッスンはじっと覗き見た。
「……軍用炭が狙いだな?」
「融通してくださるのなら、これ以上有り難いことはございません」
感謝は、言葉のみだった。日本を占領するならば相応の責務を果たせと、鋭い眼光で蓮城が訴える。血が滲むほど噛み締めた唇を、ベッスンは苦々しく開いた。
「わかった、軍用炭を融通するよう話をつけよう。ただし、鉄道に割けるほど潤沢ではない。ひとつの鉄道局が保って一日、それが限度だ」
蓮城は黙って頭を下げて、ベッスンのもとを立ち去った。玄関を出てしばらく歩くと、身を忍ばせていた新聞記者が蓮城と並んで歩きはじめた。
MPが後をつけていないか最大限に注意を払い、視線は互いに交わさないまま、風に煽られた草の葉が触れ合うように言葉を交わす。
「今日の大増発には、驚かされましたなぁ」
「えらい剣幕だった、覚悟はしていたが」
「黙っていられない。彼らの立場から言えば、そうでしょうな」
「取り消せ、と言われた。私も同じ意見だが、石炭を勝ち取るためには、利用しない手はないと思ったんだ」
記者は一瞬、足を止めて建物の隙間に身体を押し込んだ。記者が建物裏に姿を消すと、足早に進んだ蓮城は次の角を舐めるように曲がっていった。
そこには、隙間を抜けた記者が待ちかねていた。
落ち合ったふたりは辺りを見回し、MPの追尾がないと確かめて、熱のこもった囁き声を互いに浴びせた。
「蓮城さん、増発を取り消せと言われたんですか」
「そうだ、ベッスン准将から即刻減便しろと指示が下った。言われなくとも、減便は確定だがな」
いいネタを仕入れた、新聞記者はにやりと嗤う。
しかし胸元に開いた風穴の冷たさに、蓮城は口を噤んで視線を落とした。記者はそれを見逃すはずがなく、腰を落として蓮城の
「蓮城さん。鉄道総局を高く評価したベッスン准将を裏切るのは、お辛かったでしょう」
「言っただろう。渉外室鉄道官として、鉄道総局の失策を利用したまでだ」
蓮城に続いて唇を噛んだ新聞記者は、意を決して口を開いた。
「この件は、必ず記事にします。占領軍には責務を果たしてもらいます」
すると蓮城は淋しげにフッと微笑って、新聞記者の肩を叩いた。
「進駐軍と言え、奴らがへそを曲げるぞ」
そう言って蓮城が立ち去ろうとしたので、記者もその場を後にしようと反対側へと足を向けた。が、蓮城は一瞬だけ立ち止まった。
「プレスコードには気をつけろ」
言い残された蓮城の台詞が、記者の胸を狂おしいほど締めつける。その呪縛を解き放つため、記者は冷たく澄んだ空に呟いた。
「どこであろうと、結局は軍人か」
新聞記者は蓮城を見送ることなく、その場を足早に去っていった。
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