第17話・ROYAL TRAIN

 十一月十二日、閉ざされていた東京駅丸の内中央改札が開け放たれた。行幸通りを粛々と走った車列は、駅正面でカーブを描いて車寄せに吸い込まれていく。真紅のベンツが改札前に停められて、それの扉が従者によって開かれる。

 迎えを務める東京駅長、ベンツの後席から降りたのは天皇陛下。ここから御召列車に乗車して、敗戦を報告しに伊勢神宮へと向かう。

 

 午前八時。内務大臣らを同乗させて、御召列車が走り出した。1号御料車の前後には、供奉車ぐぶしゃが二両ずつ。それらをこの専用に指定され、この日のために整備され、磨き上げられた機関車が牽く。

 連合軍が上陸してから、1号御料車が白日のもとに晒されたのは、これがはじめてであった。


 かつてのような厳重な警備をしなくていいと仰せであったが、戦後初となる御召列車の運転に、鉄道総局の空気は張り詰めていた。

 御名のもとに行った戦争で大敗を喫し、国民感情は大きく揺れ動いている。天皇制廃止も叫ばれる中での運行は、何が起きるかわからない。

 これに直接は携わらない蓮城も、御召列車の運転に備えて早めに出勤していた。見下ろしてしまわぬようにと、渉外室のブラインドを閉め切って、自席で無事を祈っていた。


 蓮城の硬い横顔に、一筋の光が差し込んだ。閉ざされたブラインドを割って、東京駅を発つ御召列車をレイ中尉が見下ろしていた。

「蓮城、あれをどこに隠していたんだ?」

「今お伝えしても、意味はないでしょう」

 それもそうか、とレイ中尉は窓から目を逸らして自嘲した。嘲笑わらっていたのは、その存在が明かされながらも、1号御料車を守っている蓮城に対して、かも知れなかった。


 レイ中尉はブラインドを上げ、後光を背負った。蓮城はそれに怯まず、硬い表情で彼を見つめた。

「美しい列車だった。市民が乗る列車とは、雲泥の差だ」

 押し黙っている蓮城のそばに、レイ中尉は椅子を寄せて腰かけた。蓮城は、平静を保つようにと自分自身に言い聞かせていた。

「天皇の列車は、規則が多い。並んではならない、追い抜いてはならない、立体交差で上の線路を越えてはならない。このためにダイヤの変更もしているのだろう。疲弊した列車に乗っている市民は、これをどう思うか」


 蓮城は自分の立場を鑑みて、その答えをはぐらかした。

「わかりません、渉外室は御召列車運行に関わっていませんので」

「わからないことはないだろう、君も日本国民だ。君の個人的な意見を聞きたい、これが民主主義なのだから」

 法に触れない限りは制限されない思想と、個人的であろうと問わぬ自由な発言、GHQが持ち込んだこれらは急速に広まっている。

 それはまるで籠から飛び立ち、どこまでも広がる大空を羽ばたく鳥のようだったから。


 蓮城は、蓋をして固く閉ざした思いの堰を切る。東條自決未遂のときのように。

「窓いっぱいにガラスがはまり、傷ひとつない座席に腰かけ、電球が十分に灯った明るい車内で過ごしたいと、鉄道官としても旅客としても、切に願っています」

 それが当然だと納得し、レイ中尉は深く頷いた。

 しかし蓮城は、自身の当然を突きつけてきた。

「だからといって、御召列車をうらやむことはございません。天皇陛下御乗用に相応しい、私たちにとっては雲のような列車ですから」


 レイ中尉は眉をひそめて、理解を拒んだ。脳裏に浮かぶ光景が、彼をそうさせていた。

「何故、日本人は天皇をそこまで崇拝する。戦地で何があったのか知っているのか?『天皇陛下万歳』と生命を絶った日本人が、どれだけいたのか知っているのか? 天皇に生命を捨てるだけの価値があるのか!」


 蓮城は口を噤んだ。戦局悪化で苦境に立たされた軍部は、特別攻撃という名の体当たりを実施した。

 映画やラジオ、新聞を飾った大本営発表は撃沈や墜落、部隊壊滅も集団自決も「玉の如くに潔く砕け散った」と、天皇陛下の名のもとに強いた死を軍部は美談にしていた。

 これには蓮城も、気味の悪さを覚えていた。生き残る道を問答無用で絶つ一億総玉砕。絶滅に向かう作戦では、国が破れては山河どころか焼け野原しか残らないではないか、と。


 ただ蓮城は、その魂が自分にも灯っているとアイケルバーガーに咎められたのが思い出されて、口の中が苦くなった。もし自分が激戦地にいれば、踊らされるまま自決しただろう。『天皇陛下万歳』と、最期に叫んで。

 そこまで心を突き動かす天皇陛下とは、日本人にとって何だろうかと、蓮城は自身を日本人として顧みて、レイ中尉の問いにようやく答えられた。


「天皇陛下は、日本そのものです。歴史を紐解いてみてください、歴代天皇が時代の軸になられております。帝国が神にしようとGHQが人にしようと、必ず日本の支柱となられます」


 レイ中尉はそれを聞き、口角だけを吊り上げた。蓮城は岩のように身体を硬直させて、薄く固い生唾を飲んだ。

「天皇は日本、面白い解釈だ。ならばマッカーサーは、天皇にはなれないな」

「この度の御召列車が、それを証明してみせます」


 蓮城の願いを込めた予見のとおり、御召列車は行く先々で国民の歓迎を受けていた。列車は各地で徐行していたが、それは返礼のためではない。

 焼け野原となった町を目に焼き付けるため、天皇陛下自らがそのように願ったのだ。自身の名のもとに行われた戦争が、この惨憺たる光景を作り出したのだ、と。

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