第11話・OCTAGONIAN③

 堀を挟んで皇居の正面に建つ第一生命館。そこはマッカーサーが詰めている、連合国軍の核である。玄関で銃を提げている軍警察Military policeに所属と名前を伝えると、中へ入るよう顎と銃身で指示された。

 悪い夢でも見ているような足取りでMPに続き、一室の前で立ち止まる。銃身が守る扉の向こうには通訳と、窓の光を背に受けるアイケルバーガーの姿があった。


「まずは、いいニュースを伝えよう。傷病兵輸送は十一日で終わりだ、鉄道総局に感謝する」

 逼迫している輸送に余裕が生まれる、それは蓮城のみならず鉄道総局にとっても朗報だった。しかし油断はならぬと、蓮城は頬を引き締める。

「そして、本題だが……」

 そうはじめたアイケルバーガーは、呆れたような困り顔を覗かせた。これに蓮城は虚を突かれ、凝り固まった身体のまま、顔だけがみっともなく歪んでしまった。

「マッカーサーは列車嫌いだとわかった。これは私が専用に使用する。第八軍OCTAGON司令官専用列車、OCTAGONIANと名付けよう」

 自身の列車を手に入れて謙遜しながら満足そうにほくそ笑むと、アイケルバーガーは身を乗り出して話の核心へと斬り込んでいく。


「ところで、天皇専用の客車があるそうだな」


 やはり、そうだ。アイケルバーガーは一号御料車を狙っている。獲物を捉えて光る目に、安っぽい嘘など通用しない。蓮城は乾いた喉に薄い唾液を流し込み、真っ暗闇の岩礁で言葉の舵を切っていく。

「一号御料車といいます。日本の至宝として、鉄道総局が厳重に保管しております」

 言葉の盾を感じ取り、アイケルバーガーの眉間にしわが深く刻まれる。

「日本の至宝とやらを、車庫で寝かせていいのか? 我々第八軍は、その威光も有効に使ってみせよう」


 拳を握った蓮城は、抜けてしまいそうなほど床を強く踏みしめた。内なる炎を押さえ込み、それでも全身が燃えるくらいに身体が震えた。

「一号御料車は、生命に代えても渡しません。日本の伝統であり象徴であり、文化と美の極致であり、魂です。これを接収されてしまっては、日本が日本ではなくなります」

 アイケルバーガーは、鬼の形相で立ち上がった。背負う日差しが傾いて、黒い人影にギラギラとした目玉が浮かぶ。

「我々は日本を叩き直しに来たんだ! 天皇の名のもとに、どれだけの地獄を見せつけられたか、貴様にわかるか!」


 蓮城は、胸を背骨までえぐられた。戦争中に軍部から受けた命令が、ラジオや新聞に誇らしく踊った特攻や玉砕の二文字が、髄の奥まで沁みて痛い。

 そうだ、言葉には出来なかったが、日本は間違いを犯していた。軍神になるのだと死出の旅路に送り込み、未来ある若者の悲劇を飾り立てた。生き恥を晒すなと、助かったはずの生命まで失わせていた。後には引けぬ消耗戦を続けた果てが、今の日本の姿である。

 それを束ねていたものは……。


 いいや、ベッスンは東京駅の中央口を避けたではないか、今の日本に必要だからと。

 怒りと使命にほむら立つ瞳を、真っ直ぐ見つめて蓮城が問うた。

「連合軍は、日本を束ねるおつもりですか?」

「国を統治するのに、それが必須だ」

 何を当たり前のことを、とアイケルバーガーの炎が冷めた。これは好機、がら空きになったみぞおちに蓮城は飛び込んでいく。

「生命をすほどの威光こそ、日本に束ねるために必要かと存じます。二千六百年を越える日本の歴史は、天皇陛下の歴史でもあります。連合軍は、それだけの時間を背負えますか?」


 ふたりの視線が衝突し、通訳がおののくほどの火花が散った。その気配を悟ったMPが、守りの銃を攻めへと変える。

 強気に出てしまったか、と蓮城の背筋に冷たい汗が這っていく。

 するとアイケルバーガーは、鋭い眼光をそのままにして、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

「蓮城、特別攻撃Suicide attackか?」

「生命は懸けません、私には列車を走らせる使命があります」


 淡々と答える蓮城に、アイケルバーガーは嘲笑に似た賛辞を送った。

「いい心がけだ、蓮城。これからの日本は、そうでなければいけない」

 連合軍がもたらそうとする日本の未来を、蓮城は垣間見た。天を突く強固な壁が崩れ去り、まばゆい光に目が眩む。それが希望か、得体のしれないものなのか、わからないほどに。

「だが我々は諦めない、一週間待つ。次は大井工場で会おう、いい返事を期待している」


 それでも一号御料車だけは差し出すまいと、蓮城は決意を改めた。しかし約束の一週間が過ぎようとも、第八軍からの連絡は来なかった。

 何があったかと首を傾げるより先に、その理由が衝撃を伴い知らされた。これを仁科が話題にしないはずがなく、我がことのように恥辱に震えていた。

「東條英機の自決未遂、蓮城さんはどうお考えですか? 短刀ではなく拳銃で、それも胸を撃ち抜いたそうではないですか。一億総玉砕をうたった東條が、連合軍に生命を救われるだなんて、これこそ生き恥というものですよ」


 第八軍は、東條の救命に追われているのだろう。アイケルバーガーからの連絡が来ないのも、無理はないと思われた。

 蓮城は表情に影を差し、力なくぽつりと呟いた。

「こんな馬鹿な真似は、これで最後にしないとな」

 大日本帝国が、ついに終わる。そして連合軍が、日本をまるで違う色へと塗り替えていく。この事件は、その象徴となるだろう。

 ぽっかり空いた蓮城の胸に、薄ら寒い秋風が吹き抜けていった。

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