第10話・OCTAGONIAN②

「時局柄を考えれば、おわかりでしょう? 食材の確保には、当ホテルも頭を悩ませております。それを鉄道総局に差し出せなどと……」

 仁科が邪険にされるほど食い下がっているのは、横浜のホテルニューグランドの支配人だった。

 第八軍に相応しい食材が、かつて列車食堂営業を担っていた日本食堂に、ひとつもない。かつて看板列車で腕を振るっていたコックは、雑穀や野菜の皮が混じったパンを焼いて糊口をしのいでいる。


 それで縋ったのが、物が不足する中でもホテルのていを守り続けるニューグランドである。しかしそのニューグランドも、支配人が言うように食材確保に苦心していた。

 仁科が耳にした噂によれば、マッカーサーが厚木からニューグランドに入った日は所望された牛肉が用意できず、代わりの料理も満足させられるものは出せなかった。その翌朝は、注文された目玉焼きひとつを作るため、横浜市内を駆けずり回った。それも平常時の二個を得られず、ひとつ目玉の目玉焼きを恥を忍んで提供したほどだと聞いた。

 あくまで噂であったものの、支配人の頑なな態度を前にして、あながち間違いではないと確信した。そのような状況では、苦労して仕入れた食材をみすみす渡すはずがない。


 そんなことは当然、仁科も織り込み済みだ。蓮城とともに考えて、列車の中で組み立てた誘い文句で支配人を揺さぶった。

「乗車するのは、戦前からホテルニューグランドを気に入っていたマッカーサー元帥です。ニューグランドが提供した至高の食材と知れば、マッカーサーも喜びます。マッカーサー専用列車を、走るホテルニューグランドにしましょう!」

 つい先日まで宿泊していたマッカーサー夫妻の姿を思い浮かべて、とうとう支配人は白旗を揚げた。


「わかりました、そこまで仰るなら食材を提供しましょう。ただし、ホテルニューグランドの名に恥じない至高の料理で、元帥をおもてなしください」

「ありがとうございます! 日本食堂が誇る最高のコックに調理させます。特別列車をニューグランドにしてみせます」

 仁科は深く、何度も何度も頭を下げた。足りない中で確保した食材が、鉄道総局とニューグランドの矜持となった。


 *  *  *


「東海道本線の東京駅と、東北本線の上野駅を直通するだと!? そんな前例のないことが出来るか!」

 と突っぱねたのは上野駅長である。交渉に当たる蓮城は、てこでも動かぬ様子にほとほと参った。

「マッカーサーが乗車します。現状を鑑みて、連合軍のみの取り扱いとして認めてください」

 御召列車でも行わなかった取り扱いを、アメリカ軍の将校のために実施するなど、上野駅長には納得出来ない。への字に曲がった駅長の口をいかに割るか、蓮城はあの手この手で苦心していた。


 ついにはベッスン准将が交渉に当たったが、それでも上野駅長は意志を曲げない。頑なな態度にベッスンも、堪らず声を荒げていた。

「線路が繋がっているのに、何故走らせない!?」

「前例のないことは出来ない、上野は北の玄関だ! 特殊取り扱いを実施する余裕など、今の日本のどこにあるのか!」

 中立ちするのは蓮城であった。が、結局はMRSの指示に従った意見を述べるしかなく、その胸中は暗くて苦い靄がかかった。


「回送列車なら、どうでしょう。東横浜駅から乗車している第八軍を列車ボーイと見做みなすのです。マッカーサー元帥の住まいはアメリカ大使館ですから、自動車で駅まで来るでしょう。ならば上野まで車を回して頂ければ、互いに譲歩し合う形になります」

 蓮城の提案に、ベッスンは雲の切れ間を見たような顔をしてみせた。すると駅長が唸ったので、蓮城は丸めた矛先をベッスンに向けた。


「運転は我々が行いますが、客車に関する取り扱いは第八軍に一任します。それでご納得頂けますか」

 蓮城の交渉術を目の当たりにして、ベッスンはかぶりを振って両手を挙げた。

「わかった。第八軍を乗務員とするよう、アイケルバーガーを説得しよう。我々がここまで譲歩したのだから、駅長も歩み寄ってくれないか」

 MRSがそこまで言うならと、駅長は東京〜上野駅間の特別列車運転を、ついに認めた。

 そして上野駅長は匕首あいくちのような鋭い目つきで蓮城を刺し、胸をえぐって言葉もなく罵った。


 *  *  *


 売国奴と後ろ指を差されつつ、マッカーサー専用列車の旅程をまとめていた、その矢先。一本の外線電話に、鉄道総局が震え上がった。

『蓮城か? 客車のことで、相談がある』

 割れそうなほど受話器を握った蓮城は、乾いた喉にわずかな生唾を流し込み、鎮めた声を連合軍へと吹き込んだ。

「直接、お話をさせてください。どちらに向かえばよろしいですか?」

『第一生命館だ、近いだろう?』

かしこまりました、すぐに向かいます」


 電話を切って背広を羽織る蓮城を、渉外室の鉄道官僚は気を揉んで見送るしかない。扉を開いたその瞬間、仁科が蓮城に追い縋り、身体を小刻みに震わせて敬礼をした。

「ご武運を、お祈り申し上げます」

「特攻兵じゃないんだから、話をするだけだよ」

 蓮城は力ない笑みを仁科に返し、鉄道総局をあとにして行幸通りを歩いていった。

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