第9話・OCTAGONIAN①

 連合軍の傷病兵輸送がはじまった、その日。鉄道総局渉外室に一本の外線電話がかかってきた。それは機関士を労っていた蓮城を、大井工場に呼び出すものだった。

 横浜駅から列車で品川駅へ。そこから歩いて大井工場に入ると、通訳と五十半ばの将校が赤煉瓦車庫の前に控えていた。

「お待たせいたしました、蓮城です」

「こちらはアメリカ陸軍第八軍、ロバート・ローレンス・アイケルバーガー中将」

 第八軍は日本の占領を実行している部隊、連合軍の核である。それを率いているのが、この中将だ。身も心も引き締めている蓮城とは裏腹に、アイケルバーガーは余裕を見せて薄く笑った。


「要望どおりの病客車Hospital carを用意してくれて、満足している。あなたたちを信頼してもうひとつ、列車を仕立ててもらいたい。占領した基地を巡視する、マッカーサー元帥専用列車だ」

 ついに来たか、と蓮城が氷のように張り詰める。アイケルバーガーの態度は淡々として変わらない。

「この中に美しい食堂車Dining carがあるそうだが、元帥をずっと食事させるわけにはいかない。マッカーサーに相応しい客車を用意しろ、RTOも整備するように。期日は九月二十八日だ」

 蓮城に食い下がる気は起きず、黙って頭を下げるのみ。なぜなら、時間があまりにも短すぎる。あと半月ほどでマッカーサーを迎える駅を整えて、列車を走らさなければならないからだ。


 蓮城は鉄道総局へと戻り渉外室に飛び込むと、何にも誰にも目もくれず電話を取った。

「鉄道総局渉外室、鉄道官の蓮城です。10号御料車は無事ですか? ええ……そうですか、守り抜いてくださったあなた方に感謝します。早急に大井工場まで回送してください。スジは、こちらから連絡します」

 電話を切ってダイヤを広げる蓮城に、おずおずと仁科が歩み寄った。それでも蓮城は、食い入るようにダイヤを目で追い、赤鉛筆を引いている。

「蓮城さん、10号を連合軍に差し出すんですか?」

「10号は展望車で、多数の外国要人を乗せている。連合軍、それもマッカーサーが使うには、これ以上もこれ以下もない」


 マッカーサー──。

 その言葉に、居合わせた誰もが息を呑んだ。

 仁科は鉄道官補として、ともに抗う者として鬼気迫る蓮城をいたわった。

「ずいぶん焦っていますが、マッカーサーを乗せるのは、いつですか」

「今月二十八日だ、駅の整備も求められている」

 10号が留置される真岡もおかから大井工場までのスジが引けた。すぐさま内線電話を取ろうとする蓮城の手を、仁科が上から押さえつけた。

「1号を守ろうとする蓮城さんの気持ちは、わかります。ですが、このままでは連合軍の言いなりではないですか」

 やめろ、何をする、その手を離せ、蓮城の喉元に込み上げた言葉は、燃えたぎる仁科の瞳が焼き尽くして炭にした。灰色に染まった蓮城の脳裏が震えている。


「君は……何を考えているんだ?」

「一刻を争うのは、駅も同じです。ならば日本人の矜持を、連合軍に見せつけようではありませんか」

 蓮城の手を押さえたまま、仁科は外線電話のダイヤルを回した。

「お世話になっております、鉄道総局渉外室、鉄道官補の仁科と申します。不躾なお願いで申し訳ございませんが、連合軍から東京駅南口の整備を求められておりまして。そこで当代随一の建築家をご紹介頂きたいのですが、思い当たる先生はいらっしゃいますでしょうか」

 仁科は何度も相槌を打って頷いて、傍らの紙片に東京大学、武藤清と控えて電話を切った。


「仁科君、君は……」

「東京駅を壊されたまま使わせるつもりですか? 手持ち無沙汰な貨物屋にも、蓮城さんの仕事を手伝わせてください」

 蓮城は内線電話から手を離し、仁科の手を両手で掴んだ。感謝を込めて強く強く、震えるほどに手を握った。

「敗けてもなお立ち上がる、占領されても魂だけは売らない。これが敗戦国の戦い方だと教えてくれたのは、蓮城さんですよ。鉄道総局の総力を挙げて、連合軍と戦いましょう」

「そうだな、東京駅の修復は仁科君に任せよう。私は引き続き、列車の手配を行わせてもらう」

 それから仁科は外線電話で東京大学武藤教授に、蓮城は内線電話で連絡をとり、疎開させていた客車を大井工場に集結させた。


 そうするうち、マッカーサーの旅程が第八軍から知らされて、蓮城と仁科がくまなく精査した。

「日光から青森、新潟を回って帰京か……長いな。車中泊はもちろん、食堂営業も避けられない」

「東横浜駅始発で日光に向かっていますよ。東海道本線の東京から、東北本線の上野にそのまま抜けるつもりです。確かに線路は繫がっていますが……」

 しかし連合軍の命令は敗戦国の御命である。蓮城仁科両名はたった一本の列車ために、奔走せざるを得ないのだ。

 いいや奔走などではない、戦いは続いているのだと蓮城は、生気に溢れた眼差しを仁科に向けた。

「これは、日本の誇りをかけた旅になる。今出来る一流のもてなしで、マッカーサーを迎え討とう」

 蓮城は日光金谷ホテルに電話を繋いで、マッカーサーに使わせたいと交渉をはじめた。仁科はあとに続けと、横浜のホテルニューグランドにダイヤルを回した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る