第14話・OCTAGONIAN⑥

 上野駅、公園前の車寄せに乗用車が停められた。迎えに出た将校はボンネットの隅ではためいている星条旗を確かめて、後部座席の扉を開く。

 乗用車から降りたのは連合国軍最高司令官夫人、ジーン・マッカーサー。

 将校に導かれて高架ホームに下りた、その瞬間。プラットホーム滑り込む列車を目にしたジーンは、ハッと息を呑んで瞳を輝かせていた。

「何て美しい色をしているの? これはウルシね? 以前、日本に来たときに教わったのよ」


 深紅の車体に見とれていると、展望車の扉が開かれた。ジーンはひらりと身を翻し、プラットホームに降り立ったアイケルバーガーに会釈を返す。

「ようこそ、第八軍司令官専用列車OCTAGONIANへ。元帥夫人First ladyをお迎え出来るとは、光栄です」

第八軍Octagonの専用列車で、オクタゴニアンね? 日光までしか乗れないのが残念だわ。テールサインは、どんなデザインかしら」

 展望デッキを伺うジーンに、アイケルバーガーが両手を広げて、申し訳なさそうに行く手を制した。

「テールサインは、間に合っておりません。すぐに発注します」


 詫びたそばから、遠巻きに立ち合っている蓮城に目配せをして、デッキを指した。蓮城はペンを握る素振りで「デザインは?」と問いかける。

 アイケルバーガーは眉間にしわ寄せ、ジーンを見送る将校にテールサインのデザインを指示した。

「夜も走る、電照式だ。あの蓮城に指示しろ」

 鋭い目つきを緩ませてから、アイケルバーガーがジーン夫人を車内に導く。

「これは皇室用客車Private carです。内装も贅を尽くしておりますので、どうぞ中へ」


 そう速やかに乗車してくれたので、蓮城はそっと胸を撫でおろした。東横浜から日光まで、最盛期をしのぐ四時間切りを命ぜられているからだ。御召列車担当機関士の腕であっても、非常に厳しい限界運転を強いられる。

 また、御召列車の取り扱いを実施するなとMRSから厳命されている。御召列車の取り扱いとなれば露払い列車を先行させよ、予備編成を続行させよ、並んではならない、追い抜かれてはならない、頭上を越えてはならない、ダイヤは官報に従わなければならないなど、制約の多さに難色を示されたのだ。

 日本流は通用しない、すべては連合軍の意のままに、ということだ。


 日本の命運を託して、上野駅長から車掌を務める将校へ発車の合図が送られる。ブレーキシリンダが一斉に吐息をつくと、殿しんがりを務める機関車が北への鉄路を踏みしめる。去りゆく列車の最後尾、展望車の大窓に、刺繍がなされた絹張りの壁や天井に目を奪われるジーン・マッカーサーの姿が覗いた。

 オクタゴニアンは上野台地の裾を舐めて曲がり、展望デッキが擁壁の影へと消えていく。すると駅長が肩を緩めて、蓮城に手を差し伸べてきた。


「よくぞ、マッカーサー夫人を当駅から乗車させてくれた。蓮城鉄道官に感謝する」

「東京〜上野駅間は回送と見做す、乗車する連合軍将校は列車ボーイ、彼らがそれを守ったまでです。まさか、マッカーサー夫人にウェイトレスをさせるわけには、いかないでしょう」

 謙遜した蓮城は握手を憚ったものの、駅長の感謝はあまりに深く、意志の固い右手をやむなく握り、バツが悪そうにはにかんだ。


 手を離してから蓮城は胸ポケットをまさぐって、新聞記事の切り抜きを駅長の前に差し出した。

「夫人を迎えたアイケルバーガーが、どんな人物かご存知ですか?」

 駅長が視線を落とした新聞記事は、九月十一日の東條英機自決失敗を報じていた。短刀ではなく拳銃を用いたことが、武士道に反すると批判している。

 そんな世論と同じように、駅長は汚いものを見たような顔をして蓮城に尋ねた。

「これが、あの中将と関係があるのかね」


「東條内閣閣僚の逮捕をマッカーサー元帥から命ぜられたのが、アイケルバーガー中将です。東條自決失敗後、死んだら神格化するから必ず生かせと厳命したのも、彼です。マッカーサーが頭脳ならば、彼は連合軍の神経だと言えます。マッカーサーの意を汲んで、延髄反射で将校を手足のように行動させる力があります」

 そんな重要人物を乗せているのか、それも東京〜上野駅間を列車ボーイと見做してと、駅長は言葉を失っていた。

 蓮城は新聞記事を胸ポケットに仕舞い、連合軍の手によって切り捨てられる日本と、赦された日本のそれぞれに思いを巡らせた。

「今だから言えますが、渉外室の鉄道官として、大日本帝国臣民としても、軍部のやり方には納得していませんでした。軍事輸送が最優先だと臣民の足を奪った結果が、この有り様です。連合軍は、日本の膿を出し切るつもりです」


 それには駅長も、同意せざるを得なかった。臣民は制約された移動を叶えても、疲弊しきった三等車に押し込められた。そのすぐそばでは軍部や政府の高官が、ソファーやベッドが並ぶ一等車に乗車していた。一等車は連合軍が奪っていったが、三等車の状況は更に悪くなっている。

「駅長として、必要を訴えたいのは客車だ。連合軍から客車の製造許可が取れれば、いいのだが」

「どの国であろうと、軍人にとって『鉄道は兵器』なのですね。しかし敗けても、我々の戦いは続いています。少しずつ攻め入っていきましょう」

 そう、日本の統治に必要だと判断したから、連合軍は天皇陛下を赦した。大日本帝国が消えゆく今、日本人を束ねるためには天皇陛下が必要だと、連合軍が判断したのだ。


「しかし蓮城鉄道官も、意地が悪い。アイケルバーガー中将がどれほどの人物か、教えてくれてもいいじゃないか」

「連合軍と戦うのなら、駅長の強さが必要だと判断したのですよ。私は、連合軍のやり方にも納得していませんから」

 蓮城の悪戯っぽい笑みを目にした駅長は、こいつは一杯食わされた、と高らかな笑い声をコンコースに響かせた。

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