第13話・OCTAGONIAN⑤

 昭和二十年十月一日十三時、マッカーサー夫人御乗用の特別列車が、東横浜駅に入線した。リネンやカトラリーが積み込まれていく傍らで、レイ中尉は傷病兵輸送列車より入念に、一両一両点検を行っている。ふと、車体側面中央に書き記された白い文字の真新しさに目を留めて、蓮城に尋ねた。

「これは何と書いてある、どういう意味だ」

「スシ11です。スはスチール、鋼鉄製客車並みの40トン前後を表しています。シは食堂車、11は御料車の番号を引き継いでいます」

「それでは、これは?」

「オイテ10です。大型客車並みの35トン前後、一等を表すイ、展望車のテ、10は御料……」

「蓮城、もう十分だ。我々がわかるように軍番号を振る。それまでの間、これに愛称をつける。食堂車がURBANA(アーバナ)、展望車がASHEVILLE(アッシュビル)だ」


 レイ中尉は形式表記の直上に、名付けたばかりの愛称を白墨で書き殴った。痛々しく顔をしかめて唇を噛む蓮城に、レイ中尉はさらなる不満をぶつけてきた。

「白い帯が鮮烈だが、車体の色が暗すぎる。霊柩車のようだ」

「汽車の煤が目立たない色にしています。どれだけ贅を尽くそうと、見るからに汚れた客車に元帥夫人を乗車させるわけには参りません」

 レイ中尉は不服そうなまま観念しつつ、先を見るように蓮城から視線を逸らした。彼が見ている近い未来が、日本の鉄道をアメリカ色に塗り尽くすような気がしてならず、蓮城の胸に息苦しいほどの霧が立ち込めた。


 そのURBANA、スシ11号食堂車では日本食堂コックが作った料理をアイケルバーガー中将が試食していた。今までの列車内営業取扱手続ではなく、GHQが用意したクックブックに従った料理の数々をテーブルに並べる。

 すべてが揃うと、アイケルバーガーの手がピタリと止まった。

「サラダがない、ボイルした野菜はあったが」

 するとそばにいたベッスンが、人目を憚るような素振りで耳打ちをした。

「日本人は、野菜を人糞で育てています。この国で生野菜を食べると、腹に虫が湧きますよ」

 アイケルバーガーはこれでもかと顔をしかめた。鋭い視線で刺されたコックがたじろぐと、アイケルバーガーは観念したとかぶりを振って、窓を上げて眼下のレイ中尉にひと言だけ告げた。

「Good」


 それを受けたレイ中尉は客車に乗り込み、不備はないか不足はないかと、客室の端々に目を光らせていた。機関車の直後には日本人職員の三等座席車、それからは第八軍が乗車する寝台車が三両連なり、続く食堂車へと歩みを進める。

 と、ベッスンが呆れた声で労った。

「もう十分だ、仲間を信頼しろ。明日は早く、それから長い。いい夢を見られるかチェックしてくれ」

 敬礼し、展望車まで確認をしたレイ中尉は、来た道を戻っててがわれたベッドに転がった。

 アメリカの客車より狭いが、寝心地は悪くない。整備を命じたとはいえ、見るからに造りがいい内装から、これを死守した日本人の執念を感じる。

 ベッスンが言ったように、明朝は早い。無理矢理にでも眠らなければ、とレイ中尉は毛布にくるまり瞼を閉じた。


 翌早朝、レイ中尉が機関士のもとへと走り、車両点検と発車準備の完了を通告した。絶え間ない海風に煽られて、シリンダーから吐き出された高圧蒸気が辺りを白く染め上げる。

 レイ中尉以下見送りの兵士が煙に巻かれて、列車のそばから離れていった。プラットホームを覗った機関助士の合図を受けて、機関士がブレーキを緩解し、加減弁を引き寄せる。時間は六時十五分、定時の発車。慎重かつ自信に満ちた大動輪の歩みを目にして、レイ中尉は思わず唸った。

 さすが、天皇を乗せた機関士だ。

 御召列車担当機関士は運転技能や勤務態度はもちろんのこと、人間性まで問われて選抜される。

 レイ中尉は、鉄道総局が問う人間性を見極めようと、去りゆく列車を見つめ続けた。


 *  *  *


 東京駅では、東京大学武藤教授による駅舎の調査が行われていた。崩れ落ちた三階部分を今ある資材でいかに修繕するか、頭を悩ませる武藤教授は苦渋の決断を迫られた。

「これだけの赤煉瓦を用意する国力は、残念ながら今の日本にはない。心苦しいが、三階を諦めて二階建てにしようではないか」


 立ち会っていた運輸省建設課長、伊藤滋は現実に打ちひしがれて、痛々しい駅舎から視線を逸らして奥歯を割れるほど噛みしめた。武藤教授は伊藤の肩にそっと触れ、溶けた鉄骨越しに空を見上げた。

「鋼材は手に入らないが、航空機が作れない今は、ジュラルミンが余っている。伊藤君、ジュラルミンで屋根を作ろう」

 航空禁止令を発布して、ジュラルミンを余らせた第八軍の専用列車が、RTOと大きく書かれた南口の裏側に姿を消した。汽車が吐き出す黒煙が崩れた屋根を舐め回す様は、東京を焼き尽くした大空襲を想起させた。


「再び立ち上がろう。そしていつか、元の姿を取り戻そう。それまで、連合軍をあっと言わせる修繕をしようじゃないか。日本は負けたが、世界に誇れる文化が残っているんだ」

 後光が差すような強い言葉に、伊藤は希望を見いだした。煙を纏う東京駅南口を真っ直ぐ見つめて、日本の玄関に相応しい修繕をしようと心に誓った。

「教授の仰るとおりです。連合軍の好きなようにはさせないと、東京駅で見せつけてやりましょう」

「ならば、さっそく計画を立てよう。仁科鉄道官補の言葉を借りる、これは敗戦国日本の誇りをかけた総力戦だ」

 ふたりはまだ見ぬ修繕後の東京駅を横目にして、足早に鉄道総局へと向かっていった。

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