第6話・MRS⑥

 ベッスンの命を受けた蓮城が、固唾を呑んで車庫の扉を開け放つ。その光景を目にしたMRS一行は感嘆し、工員たちは苦々しく視線を背けた。


「素晴らしい……美の極致だ」


 そこに身を潜めていたのは、歴代の皇室用客車であった。大小さまざま、どれも艷やかな暗紅色の漆塗り、装飾から手すりまで黄金色に輝いている。

 ベッスンはふわふわとした夢見心地な足取りで、客車の間を歩いていった。それらをまじまじと観察すると、ハッとして蓮城の肩をガシリと掴んだ。

「どれも走れないじゃないか!?」

 よくぞ気づいたさすがベッスン准将だ、と蓮城は不敵にほくそ笑む。

「そうです、真空ブレーキです。連結出来ません」


 保管してある皇室用客車群は、列車分離した際に非常ブレーキが自動的にかかる今の車両とは、動作原理が真逆であった。走行中に連結が切れてしまうと、ブレーキが一切かからなくなる。古い客車ではブレーキ管が通り抜けるだけで、制輪子ブレーキシューがないものまである。

 空気ブレーキ直通管の形状を見れば一目瞭然、というのは鉄道従事員の話である。軍の輸送を担っているが、軍人のベッスンにそれがわかるとは、工員たちには意外に思えた。

 同時に、ベッスンには誤魔化しが効かないのだと思い知り、工員の間に緊張が走った。


 蓮城は、使える客車を指し示す。

「この11号食堂車であれば、ブレーキが引き通されます」

 ベッスンらは贅を尽くした客車を眺めて、歓喜のあまり言葉を失っていた。これが走り抜けていく様を思い浮かべて、その光景に見惚れている。

「これのほかに、ないのか?」

「戦火を逃れるため、地方へ分散させております」


 するとベッスンは蓮城の手をガッシリ掴み、力のこもった握手を交わした。多大な感謝が込められていると、その熱量から伝わってくる。

「この美しい客車を守り抜いたあなたがたに、敬意を評したい。我々は、これを破壊しようとしていたのか」

「この御料車庫が焼け落ちなかったのは偶然です。いいえ、奇跡と言ってもいいかも知れません」

 それから続いて突くものを、蓮城は口を固く閉ざして止めた。


 我々は神に守られている。


 それを言うのを憚ったのだ。天皇陛下は連合軍にとっての神ではなく、彼らには彼らの神がおわす。また、日本人は天皇陛下を未だに神と崇めていると知れば、占領政策をより厳しくするかも知れない。

 この国をひとりで背負っているわけではないが、連合軍と関わっているひとりひとりが、明日からの日本を担っているのだ。


 蓮城が打ち切った言葉を気にも留めないベッスンだったが、ハタとして怪訝に眉をひそめて問うた。

「この食堂車Dining carに相応しい機関車はあるのか? まさか、爆発しそうな汽車に牽かせるのか」

「今日の視察は、次の新鶴見が最後です。明日から使用する機関車をご覧いただきましょう。旅客駅がないので、仕立てた列車でご案内いたします。もちろん、先ほどとは別の車両です」


 蓮城の自信に満ちた口上に、ベッスンは大振りの拍手で応えていた。この演出は成功だったと、蓮城はそっと胸を撫で下ろした。

完璧Perfectだ、蓮城」

「新鶴見では、仁科鉄道官補が案内を務めます。私はここまでとなりますので、ご承知願います」

「仁科、貨物Freight専門家Expertだな? 操車場そばの機関区ならば納得だ。蓮城、今日は素晴らしい旅だった。お陰で新鶴見も楽しみだが、ひとつだけ残念なことがある」

 何が機嫌を損ねたのかと蓮城が身体を強張らせると、ベッスンはそばに眠る客車を見上げた。


「この素晴らしい客車で、新鶴見に向かえないことだ」

 ベッスンが口惜しそうな笑みを見せると、蓮城も釣られて笑みを浮かべた。

「准将、あなたもよく笑いますね」

「まだ上陸して二日だが、すっかり日本に染まってしまった」

 上機嫌なベッスンだったが、これを耳にした通訳と、訳された言葉を聞いたアメリカ兵は、これ見よがしに眉をひそめた。理由は違えど、工員たちも顔をしかめて蓮城を遠巻きに見つめていた。


 ベッスンらを乗せた客車を見送ると、工員が蓮城の腕を掴んで、工場詰所へと押しこめた。力尽くで床に座らせた蓮城を、怒りに震える工員たちが取り囲んで見下ろしている。

「蓮城さん、どういう了見ですか」

「宮内庁に断りを入れたんでしょうねぇ? そうでなければ、皇宮警察に突き出しますよ」

「肉を切らせて骨の髄まで啜られる。蓮城さんは、そういうことをしたんですよ?」

 矢継ぎ早に繰り出されていく詰問に、蓮城は必死になって釈明をした。追いつかない答えを出すと、苛烈な問いが嵐のように襲いかかる。


「この11号は、国賓御乗用を目的に作られた御料車だ。1号を守るための犠牲だと、わかってくれ」

 弁明しながら見上げた彼らは、御料車庫を守ろうと命懸けで振り払った炎の雨を背にしていた。

 1号だけは守らなければ、その想いが1号だけを守ろうに転じてしまったと気がついて、蓮城は自らの身を恥辱に焦がした。

 所詮、私も現場を知らぬ鉄道官僚なのだと、浴びせられる「売国奴」の罵声を苦々しく噛みしめた。

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