2:初めての異世界

 群馬にあるお爺さんの家の裏庭にある小さな名もなき古墳の洞穴(ほらあな)に背中をかがめて足を踏み入れると、突然目の前の風景が全く違うものになった。


 青黒い石畳のような床と、同じく青黒い石のレンガのような壁で出来た通路が真っ直ぐ前に続いていたのだ。


 後ろを振り向くと、普通にさっきまで見ていた風景があり、手を伸ばしてみたところちゃんと何の問題も違和感もなく向こう側に突き抜けた。


 私は目を大きく見開きその場に立ちすくんだ。


 真っ先にこれは夢だと思った。さっきまで縁側でまるでお爺さんのようにポカポカと温かな陽気に包まれて働きもせず呑気に日向ぼっこなどしていたものだから、私はそのまま眠ってしまって夢でも見ているのだろうと思った。


 それならそれで構わない。どうせ夢なのだから、このまま夢の続きを楽しもうではないかと、全く後先考えもせずに私は石の回廊を進むことにした。


 青黒い石の回廊は確かに色合い的には暗いのだが、通路自体は全く暗くはなく、ところどころ天井部分にクリスタルの結晶ようなものが生えていて明るく光っていた。


 今思えばなんと不用心なことだったと大いに反省するところだが、この時の私は夢を見ているのだと思っていたし、全くこの世界のことを何一つも知らない身だったので、何の迷いもなく先へ先へと進んでいった。


 5分程も歩いたところで通路は行き止まりとなり、同じ石で出来た扉が目の前に現れた。両開きの扉のようだがドアノブがなく、何となく手のひらを当てるような模様が描かれていたが、こんな石の扉など重くて私の力などでは押してもビクともしないだろうと思いつつも、どうせ夢なのだから何でも思いついたことはやってやろうと考え、両手の掌を当てて力を込めて押してみた。


 案の定扉はビクともせず、一度諦めかけたが、もう一度しっかりと足を地面につけて踏ん張り、呼吸を整えてせーので力いっぱい全力で押してみた。


 するとわずかながらズズズと動いたので、より一層力を込めて押した。ここのところまったくといっていい程身体を動かしていなかったので、これだけで汗が吹き出てくる程で、いったん力を抜いてみたが扉は止まった状態のままで、また閉じてしまうということはなかった。


 その後も何度か休みながら全力で扉を押すと、なんとか身体を横にすれば通り抜けられるような隙間まで開くことが出来た。


 中の様子を伺ってみるとこれまでの通路と違って何やらそこそこ広い部屋のようになっていた。そのまま目を細めて中の様子を伺っていると、何かが動いたような気がした。


 心臓が一気に高鳴りドクンドクンという鼓動音が頭の中に響いた。中の様子をもっと見たくて隙間の間に頭を入れてみたい衝動にかられたが、突然扉が閉まって首を挟まれるかもしれないという恐怖があったのでそれはこらえて、もう少し扉を開けてみようとした。


 今度は両手で自分から見て左側の扉を全力で押してみた。するとやはり扉は少しづつズズズと開いて行き、ある程度のところまできたら少しだけ軽くなった気がした。


 さっきまではごくわずかな角度しか開いていなかったが、今度は45度近い角度まで扉を開けることに成功した。


 やはり扉は自動的に閉まることもなく、開いたままで、先ほどよりも扉の先の空間が良く見えるようになった。


 その空間は大体20メートル四方くらいの大きさの部屋で、正面突き当りにはさらに同じような扉があるのが見えた。


 そして最も肝心な何か動いたように見えたものの正体が判明した。


 それはまさに異世界モノでは必ずといっていい程目にすることが出来る透明な軟体生物、まさしく紛れもなくどこからどう見てもスライムそのものがいたのだ。


 色は透き通った青い色で、よく見るとなるほど確かに中央部分に核と思われる濃い青の結晶のようなものが見えた。大きさはバスケットボール程で、中心核は握りこぶしぐらいの大きさに見えた。


 今いる場所から確認出来るスライムは4体で、スライム同士は結構間隔が空いていた。


 私はこの時スライムを倒して見たいと思った。異世界モノならばモンスターを倒してレベルアップして、アイテムを獲得していくのが定番で、せっかく異世界に来てそれをしないというのは何事かというくらい当たり前の事として頭の中にあったのだ。


 しかもあまりにも現実離れしたこの状況なので、どうせこれは夢なのだからやってみたいことは何でもやらなきゃ損というくらいに思っていた。


 扉を開けた時の疲労感はとても夢とは思えない程に実感としてあるのにも関わらず、私はまだこれが夢だと決めつけて疑わなかった。


 とはいえ、無防備に何の準備もなく徒手空拳で挑むのはさすがに躊躇したので、何か武器や防具になるものはないか考えた。


 とりあえずお爺さんの家の物置小屋に行けば何かあるかもしれないと思い、いったん異世界から出ることにした。


 一瞬ここから出てしまうともう二度とこの世界には来れないかもしれないという考えと、あるいはここで夢から覚めてしまうかもしれないという考えが頭をよぎったが、それでも例えばスライムにやられて、しかももしも酸をかけられて腕とか足が溶けるとかいう状態になったら夢見が悪いと思い、意を決していったん戻ることにした。


 何故かそういう痛い思いをしそうな臆病なことだけは想像力が働き慎重になった。


 若干駆け足気味に元来た道を戻り元の世界へ飛び出して、すぐに物置小屋へと駆け込んだ。


 真っ先に目についたのはお爺さんが乗っていた原付バイクの前カゴの中に入っているヘルメットで、一応フルフェイスヘルメットだった。


 ヘルメットの中には革のグローブが入っていて、こぶしにあたる部分には硬いプラスチックのようなプロテクターがついていた。


 もしかしたらと思って後ろの荷台についている大きなカギ付きの箱を開けてみると中には胸、ヒジ、ヒザのプロテクターが入っていた。


 今にして思えば全く防御力はないものなのだが、この時の私はこれでよしと考えた。


 次に今度は何か武器になるようなものがないか見渡し、なんとチェーンソーと回転する円盤状の刃がついた草刈り機を見つけたが、さすがに使い方が分からないのと危なさそうで気が引けたので諦め、その近くにあったツルハシを使うことにした。


 手にしてみるとズッシリ重く、その時の私の体力ではそんな簡単に振り回せるものではなかったが、それでもまるで聖剣エクスカリバーを手にしたかのような高揚感に包まれて私は満足した。


 早速家に戻り、冬物の長袖を着込んでプロテクターを装着し、冬用の靴下にお爺さんの長靴を履いて、フルフェイスヘルメットを被ってツルハシを持ち、しかもご丁寧にリュックサックまで背負って家を出た。


 もしもその時の姿を誰かに見られたら、下手したら警察に通報されていたかもしれないが、近隣の家とはかなり距離があるし、結構な田舎なので誰の目にも私の姿が見られることはなかった。


 私は高まる期待を胸に古墳へと向かった。これでもしも二度ともう異世界には行けなくなったとしたらさぞや私は落胆したことだろう。


 だがしかしそうはならなかった。


 もう一度洞穴の中に入るとやはり青黒い石のレンガに覆われた通路が目の前に現れた。


 私は嬉々として喜び、足取りも軽く通路を突き進んだ。そしてあの重たい石の扉も開いたままの状態でいてくれた。


 ますます私は嬉しくなり、今度こそ何の危機感も抱かず部屋の中に入り込んでしまった。

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