異世界小説家

キクメン

1:職業、異世界小説家

 私の名は多田野 仁(ただの ひとし)。


 一応職業は小説家である。


 私が書いている小説のジャンルはいわゆる異世界モノと呼ばれる空想ファンタジー世界を舞台にした娯楽小説で、最初はあくまでも個人の趣味として書いていてアマチュア小説投稿サイトに細々と投稿していたのだが、じわじわと読む人が増えてきて自分でも予想外なことに書籍化にまでなり、今では一応職業として成り立っていて春先の確定申告に頭を悩ませるところにまでなっている。


 といっても大ヒット作品というわけではなく、アニメ化やマンガ化になることもなく、一部の有難い読者の方々と目にかけてくれた小さな出版社の方々のおかげでなんとか書籍化になり、わずかながらの原稿料と印税収益をいただいているという状況だ。


 その金額は恐らく普通の大卒サラリーマンの初任給の半分、いやそれどころか3分の1にも満たない収入しかなく、この物価高の中大体一月に7万円くらいという、業種にもよるが下手したらアルバイト代よりも少ないんじゃないかと思われる程の低収入で、当然年収百万円にすら届かない所謂(いわゆる)低所得者層の年間収益となっている。


 そんな収入で食べていけるのかというと、実は毎日何不自由なく結構裕福な生活を送っている。


 何故そんなことが可能なのかというと、結構な貯金額があるからという理由もあるのだが、それよりなにより私は今居るこの現実世界ではあまり生活していないからというのが一番の理由である。


 そう、私は人生の半分程度を異世界で過ごしているのだ。


 実は私が書いている小説は普段私が過ごしている異世界での出来事を書き記しているに過ぎない単なる個人日記のようなものなのだ。


 事の経緯を簡単に順を追って説明すると、私は中学2年生の時の夏休みに両親と共に車で群馬にいるお爺さんの家に遊びに行く途中で、高速道路を逆走してきた高齢者が運転する車と正面衝突して、父は即死し母は意識不明の重症を負った。


 私は運の良いことに奇跡的にほぼ無傷で、せいぜいひと月程地味に痛む首のむち打ちに悩んだくらいの軽いケガで済んだ。もちろん頸椎の神経に損傷がないかとか頭部の精密検査なども行ったが、精神的なストレスも含めて後々後遺症になるようなものは何一つなかった。


 もちろん当時の私はこの現実にショックを受けたし大きな悲しみも負ったが、まだ人生経験の短い未熟な少年だった私は想像力が乏しく、両親がこれまで歩んできた人生の様々な喜びや悲しみや希望といった、人の心の機微(きび)というものにまで心を寄せることが出来ず、それよりもこれからの人生どうすればいいのかという直近の厳しい現実にしか頭が回らなかった。


 だがしかしこの事故で生命保険と自動車保険による多額の保険金が入ってきたので、母の高額医療費と自分の学費と生活費はなんとかなり、家のローンも全て返済することが出来た。


 この時点で1億を超えるお金が入ってきたのだが、ある日突然名前も顔も知らない親戚がやってくることはなかった。


 その理由は私の親戚はもう父方の祖父しかいなかったからだ。母方の両親は何年も前に大きな地震によって既に他界しており、母は一人娘だったし、父も一人息子で祖母は既に亡くなっているので、私にとっての親戚は群馬にいるお爺さんだけだったのだ。


 その後私は全寮制の学校を調べて受験することにし、まだ建ててから3年も経っていないかろうじて東京23区にある最寄りの駅から歩いて20分の建売一般販売住宅のマイホームの最後の1年間を私は一人で誰もいない家で過ごした。


 春が最も家が高く売れるシーズンだということで、卒業前の年の冬に入ると同時に来年3月末引き渡しという条件で家を売りに出した。


 不合格だったらどうしようと不安に思うところだが、自分は推薦入学を申し出て、夏に選考が始まって学校からもまず間違いなく合格するだろうと言われており、その通りに12月には合格発表が通知されていたので心配なく売りに出したのだ。


 建ててからまだ年数が浅い優良物件なので、連日のように内見に来る人がやってきて、すぐに買い手が付きそこそこの金額で売れた。その時人生で初めて確定申告なるものと悪戦苦闘することになった。


 といっても、学校の先生達が親身なってあれこれとアドバイス、というよりもほとんど写し書くだけで済んだのでとても有難かった。それでもさすが教師なだけあって、ちゃんとそれぞれの数字の意味をしっかり教えてくれた。


 これで母の高額医療費も自分の学費と寮生活の費用もなんとかなり、特に大きな問題もなく学校と僚での生活が過ぎていった。


 自分が通っていた学校は「高専」と呼ばれる学校で、よくロボットコンテストなどでテレビで出てくる工業系の学校で、自分も一応機械工学を学んだ。


 自分はどちらかというと文系人間なので、他の学科では恐らく授業についていけないだろうというのと、手に職を身に着けていれば将来役立つかもしれないというのと、何かしら手を動かしていれば授業で眠くなることもないだろうという、機械工学が好きな人達からすると実に申し訳ない浅はかな理由で機械工学を選んだ。


 案の定、私の成績は芳しいものではなく、おまけにそれほど手先が器用な方でもないので、ギリギリ補習をまぬがれてなんとか進級と卒業が出来るという有様だった。


 高専は5年制なので卒業する年には二十歳になり、ほとんどの者は様々な企業から好待遇で受け入れられていった。


 自分もまぁまぁの待遇で複数社からお誘いがあったのだが、卒業前の年の年末に母が他界してしまい、さらに群馬のお爺さんが高齢者介護施設に入るから、よければ家の面倒を見てくれと頼まれたので、そっちの方に頭がいってしまい、一通り片付けたらすっかり頭がカラッポになって何も考えられなくなり、ダラダラと空虚に過ごしているうちに卒業を迎えてしまった。


 自分の境遇を知っている先生達も気を使って今はそっとしておこうということで、心の整理がついたらいつでも相談に来てくれといって優しく送り出してくれた。


 そうして一人群馬のお爺さんの家で、一人何をすることもなく縁側でポカポカと暖かいお日様にあたりながら呆けて過ごす日々が過ぎていった。


 お爺さんの家はもの凄い田舎という程の田舎ではないが、1時間に大体2本のローカル単線鉄道の無人駅からは歩くと45分以上はかかる距離にあり、歩いて30分の距離にはバイパス道路があって、バイパス沿いにしばらく行けば大型スーパー、大型アパレルチェーン店、大型電気店、大型ドラッグストア、大型ホームセンター、大型自動車用品店、大型ファーストフード店、複合病院などがある。まぁ自動車必須ではあるが。


 とはいえお爺さんの家の周りをネットの検索地図の衛星航空写真で見ると一面畑か田んぼしかなく、お爺さんも昔から野菜農家を生業にしていた。


 そしてこの地には至るどころに大小さまざまな古墳があり、お爺さんの家の裏庭にもとても小さな丘のように盛り上がった古墳があった。


 ある日何気なくどんなものだろうと思って行ってみると、とても小さな洞穴(ほらあな)のようなものがあり、別に奥まで続く洞窟になっているわけでもなくなんというか雪国のかまくらみたいな小さな空間があるだけだった。


 なんとなく入ってみたくなって、足を踏み入れたのがこの物語の全ての始まりとなった。


 それは私が二十歳の誕生日の日のことだった。

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