第4話 真相

 信長の眼が光った。


 「そこじゃ。わしのこの思想は、武士や貴族といった既存の支配者階級には理解ができないものじゃった。きゃつらは、私利私欲の権化であるからのう」


 今度はジェノが聞いた。


 「では、あなたはどうしたのですか? 武士や貴族を説得しようとしたのですか?」


 信長がジェノをにらんだ。


 「説得? そんなものは、はなから無駄じゃ。わしは、そういう私利私欲の権化である武士や貴族には強権で臨んだ。弱った義昭が、わしに管領や副将軍の役職に就くことを打診してきおったが、断ってやったわ。経済重視のわしには、出世や栄達など無用の長物じゃ」


 カニタが首を傾げた。


 「義昭?」


 ジェノが説明する。


 「室町幕府の最後の将軍です。第15代将軍の足利義昭のことです。足利義昭は、その後、信長さんに将軍職を追放されています」


 カニタがうなずきながら、信長に確認するように聞いた。


 「では、明智光秀が本能寺で、あなたを襲ったのは・・・光秀があなたのそういう経済重視の思想に反対したのですね?」


 信長は強く首を振った。


 「そうではない。わしは、光秀にみかどを討つように命じたのじゃ」


 信長の答えに、カニタもジェノも飛び上がった。


 「帝を討つですって・・」


 カニタがジェノに裏返った声で聞いた。


 「帝って・・天皇のことでしょ?」


 ジェノがカニタにささやいた。


 「そうです。当時の天皇は、正親町おおぎまち天皇です。日本の第106代の天皇になります」


 信長が続けた。


 「帝や官位を持った者ども・・・そういった『貴族』という支配階級は、わしが金を与えると、その場ではわしの経済政策に賛成するような顔をするが・・・きゃつらは、決して経済政策を認めてはいなかったのじゃ。商人が豊かになり、たみ百姓までが富むことは、きゃつらの支配を揺るがすことになると思っておったのじゃ。実際は、そうではなく、貴族も武士もたみ百姓と同時に富むのじゃが、きゃつらには、その理屈が分からなんだ。きゃつらは、陰で、わしの経済重視の思想に反対するようになった。これは、わしの理想である『経済で成り立つ国』を実現するための大きな障害となったのじゃ。・・・そこで、わしは最後の手段に打って出た。わしの理想とする国を作るため、帝を討ち、帝という制度そのものを廃止することで、この国から貴族を一掃しようと考えたのじゃ。そうして、貴族のいない『経済で成り立つ国』を実現しようとしたわけなのじゃ」


 あまりの驚きで、ジェノの眼が大きく見開かれていた。ジェノが聞いた。


 「それで、あなたは明智光秀に正親町おおぎまち天皇を討つように命じたのですか?」


 「うむ。わしのこの企ては、わしと光秀とサルだけが知っていた」


 カニタが再びジェノに聞いた。


 「サル? サルって?」


 ジェノが答える。


 「信長さんの配下の羽柴秀吉です。風貌がサルに似ていたので、信長さんは彼をサルと呼んでいたのです」


 信長はそれに構わず話をつづけた。


 「あのとき、サルは毛利を討ちに行っており、備中びっちゅう高松城を囲んでいた。そのサルが、わしに援軍が欲しいと願い出た。そして、わしは光秀にサルの援軍に行くよう命じたのじゃ。そして、あの日、天正10年6月2日、光秀は備中びっちゅうにいるサルの援軍に行くことになっていた。だが、それは、あくまで表向きのことで・・・その日のうちに、光秀は御所を襲って帝を討ち、その後、わしが帝を廃止する宣言を行う手はずになっていた」


 ジェノが生唾を飲み込む音が響いた。カニタが言った。


 「すると・・・すべては仕組まれていたのですか?」


 「うむ。これらの動きは、すべて最初から仕組んであった。サルが、高松城からわしに援軍が欲しいと願い出たところから、すべて計画に含まれていたのじゃ。帝を討ち、帝を廃止するとなると、絶対に失敗は許されない。帝を敬う武士や貴族は多い。失敗すると、わしの反対勢力が帝を擁立し、全国のそういった武士や貴族を味方につけて、巨大な勢力となって、わしに刃向かってくることは明白じゃ。このため、『光秀が軍勢を整えたのは、サルの援軍に行くためだ』という表向きの理由が必要だったのだ。この計画は、わしと光秀とサルの3人だけで極秘に進めておったのじゃ」


 今度はジェノが聞いた。


 「いったい、いつから、その計画が進められていたのですか?」


 「計画そのものは、3人の間で前々からあった。ただ、実行の機会をつかむのが難しかったのじゃ。しかし、わしは、あの年、天正10年の3月に武田を滅ぼした。ついで、4月に嫡男の信忠に家督を譲ることも決定した。わしには、内外ともに大きな憂いが無くなった。こうして、あのときが、帝を討つ絶好のタイミングになったわけじゃ」


 ジェノが確認するように聞いた。


 「では、あの日、天正10年6月2日、光秀は備中びっちゅうの羽柴秀吉の援軍に行くと見せかけて、実は、御所を襲って帝を討つことになっていたのですね・・」

 

 信長はここで苦渋の表情を浮かべた。


 「そうじゃ。・・・しかし、光秀め、最後の最後で、わしを裏切りおった」


 カニタが、かすれた声で聞いた。


 「で、でも、光秀はどうして信長さんを裏切ったの?」


 信長がカニタを見た。


 「光秀は、実は土岐氏の庶流である明智氏の出身なのじゃ。 土岐氏は清和源氏の流れを汲む名門であることは、そなたらも知っておろう。このため、光秀と天皇家は遠い親戚ということになる。だが、光秀は、わしの理想とする『経済で成り立つ国』に長年、強い賛同を示しておったのじゃ。このため、わしは光秀を信用した。光秀が土岐氏と同じ桔梗紋の家紋を使用することも認めてやったのに・・・。最後の最後になって・・・自分と遠い縁戚になる帝を討つことができず・・・やむなく、わしを襲ったのじゃ」


 誰も予想できなかった本能寺の変の真相だった。あまりのことに、しばらくは誰も口を開かなかった。


 口を開いたのは信長だった。


 「ぜひ、聞かせてもらいたい。その本能寺の変の後、光秀はどうなったのじゃ?」

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