第3話 楽市楽座
信長はそこで言葉を切ると、カニタとジェノの顔をゆっくりと交互に眺めた。
「わしは、
思いもよらない信長の言葉に、カニタがびっくりした声を上げた。
「戦のない世ですって?」
「そうじゃ」
ジェノが思わず言った。
「嘘だ。戦に明け暮れたあなたが、戦のない世を目指していたなんて・・・」
信長はジェノの顔を見ながら、ゆっくりと言った。
「嘘ではない。だが、急に言われても信じられまい。・・・まあ、聞くがよい。わしは、
ジェノがうなずいた。
「よく知っています。あなたは、今、『わしの戦国武将としての戦の人生が、わしの意思とは別に始まったのじゃ』と言われましたが、あなたが戦ったのは、あなたの本意ではなかったというのですか?」
「そうじゃ。世は戦国。わしは、自分の意思に背いて、戦わねばならなかったのじゃ」
「でも、あなたは戦を続けたではありませんか? いくら戦国の世とはいえ、あなたは一体何のために戦を続けたのですか? それに、あなたは美濃の国を手に入れると、『天下布武』の印判を使い始めたではありませんか? これは、あなたが日本全国を統一するという野望を持っていたからではないのですか?」
信長は少し驚いた顔をした。「よく知っておるな」とでも言いたげに、深くうなずいた。
「確かにわしは『天下布武』の印判を使った。しかし、わしの言う『天下』とは日本全国を指す言葉ではない。畿内だけを指す言葉じゃ。わしの理想の国を実現するには、尾張では狭すぎた。少なくとも、畿内を統一する必要があったのじゃ。わしは日本全国を統一するという野望など持っておらぬわ」
今度はカニタが口を開いた。
「あなたの言う理想の国とは・・・一体どのような国なのですか?」
「わしが注目したのは戦ではない。経済じゃ。わしが理想としたのは、戦ではなく、経済で成り立つ国じゃ」
「経済で成り立つ国?」
「そうじゃ。戦を続ける国は滅ぶしかない。戦は国を疲弊させるだけじゃ。その結果、
「・・・」
「そこで、わしが眼をつけたのが経済じゃ。つまり、富を稼いで、その富を武士や貴族から
カニタが呆然として言った。
「富を稼いで、その富を武士や貴族から
「そうじゃ。経済こそ、国の力の源なのじゃ」
ジェノがポンと手を打った。
「そうか。それで、あなたは『楽市楽座』や『関所撤廃』といった経済政策を行ったのですね」
カニタがジェノに聞いた。
「ジェノ。『楽市楽座』や『関所撤廃』って何のこと?」
ジェノがカニタに説明を始めた。
「ええ、『楽市楽座』というのは、市場での物価を自由に決めることを認める政策なんです。これによって、商人たちは自由に商品を売買することができ、市場経済が発展しました。そして、こちらの信長さんは、この市場経済から得られる利益の一部を、商人たちに冥加金という名目で上納させたのです。冥加金とは、信長さんの支配下にあることを示すために、商人たちが自発的に提供する金銀や武具などの貴重品のことです。一方、『関所撤廃』とは、領地内にあった関所をなくすことで、物資の流通を促進する政策でした。関所とは、当時、道路に設置された検問所のことで、通行する人や荷物に対して税金や手数料を徴収していました。信長さんは、これらの関所を廃止することで、商人たちの移動や取引を自由に、そして容易にしたのです。さらに、信長さんは、この関所撤廃によって増えた物資の流通で、商人たちが得た利益からも冥加金を上納させました。こうして、商人が潤い、それによって、支配階級である武士も潤うという、当時としては画期的なシステムを作り上げたのです」
ジェノは今度は信長に向かって言った。
「私は、あなたが『楽市楽座』や『関所撤廃』を行ったのは、商人たちから冥加金を取り立てて、その財力で武力に富んだ国を作るためだとばかり思っていました」
信長が笑った。彼が初めて見せた笑いだった。
「武力に富んだ国を作るため・・というのは、あながち間違いではない。『経済で成り立つ国』には、さっき言ったように広さが必要じゃ。そのような広い国を手に入れるには、皮肉なことに、戦によるしか手段がなかった。また、他国から攻め入る敵も防がなくてはならぬ。そのためにも、武力は必要だった。言わば、必要悪として、武力が必要だったのじゃ。・・・しかし、『楽市楽座』や『関所撤廃』は、武力を強化することが目的ではない。先ほど、そなたが申した『商人が潤い、それによって、支配階級である武士も潤う』という仕組みを作ることこそが、『楽市楽座』や『関所撤廃』の真の目的なのじゃ。その仕組みこそが、わしが理想とする『経済で成り立つ国』を支えるきわめて重要な手段になるからじゃ」
ジェノがさらに聞いた。
「あなたが、堺と近江の大津、草津を直轄地にしたのは、それらを『経済で成り立つ国』にしたいという目的があったのですか?」
「うむ。大筋はそうじゃが、少し違う。堺や近江は小さい。そういう小さいところでも、『経済で成り立つ国』がどの程度まで成長できるのか、わしは知りたかったのだ。それで、堺や近江をわしの直轄地として、一種の実験を行ったのじゃ。わしは、それらを直轄地にし、自由に流通する経済を認め、さらには自治も認めた。あれは、経済が流通する自治都市がどのように変化していくのかを見るための実験でもあったのじゃ」
カニタがぽつりと言った。
「信長さんが、こんな平和主義者だったなんて、夢にも思いませんでした。私たちは、あなたに、戦好きで残忍な暴君というイメージを抱いていたのですが・・・」
信長が再び笑った。
「わしが戦好きで残忍な暴君じゃと・・・それは全く違う。世は戦国じゃ。戦を避けることはできん。しかし、わしは戦より平和が好きなのじゃ。なんとしてでも戦のない国を作りたかった。それには『経済で成り立つ国』を作ることしかなかった。だからこそ、戦をしながら・・・富が分配されて、支配階級から領民までがみんな平和で豊かに暮らせる『経済で成り立つ国』を作ること目指したのじゃ」
カニタが信長に聞いた。
「でも、あの時代に、そのような革新的な思想が受け入れられたのかしら? 信長さん、あなたのその『経済で成り立つ国』を実現するには・・・いろいろと反対が多かったのではありませんか?」
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