第6話 黒い棒

 信長は寝台から飛び降りると、壁の刀掛けに走った。刀掛けにあった、自分の太刀を掴んだ。信長の口から苦渋の叫びがほとばしった。


 「許せん! 光秀め!」 


 カニタが優しくなだめた。


 「信長さん。お怒りはよく分かりますが、もう1000年も前に終わったことなのです。歴史は覆すことはできません」


 信長はカニタを見た。すがるような眼だった。


 「そうじゃ! そのほう、タイム・・・なんとかという機械で、時間を行き来できると申したな。その機械で、わしをもう一度、天正10年の本能寺に戻してくれ」


 ジェノが聞いた。


 「戻って、どうするのです?」


 「決まっておる。光秀めを返り討ちにしてくれるわ」


 カニタがゆっくりと言った。


 「そんなことをしたら、歴史が変わってしまいます」


 「歴史が変わる?・・・それこそ、わしの望むところじゃ」


 ジェノが信長の前に立った。


 「信長さん。やめてください。歴史を変えるのは重大な犯罪です。私たちは、そのようなことをあなたに認めるわけにはいきません」


 信長は食い下がった。


 「では、わしはどうなのじゃ? わしは本来ならば、天正10年の本能寺で自害しておったはず。そのほうらが、わしを助けたのは、歴史を変える犯罪にはならんのか?」


 今度は、カニタが言った。


 「これは特例なのです。信長さんの場合は、1000年後の世界にやってきて、物理的にもう天正10年の世界に干渉することはできません。こういったケースは特例として許されるのです。この計画は、そういう意味で、すでに時間管理局の許可を得ているのです」


 カニタが信長の肩に手を掛けた。やさしく語りかけた。


 「信長さんは、もうこの1000年後の世界で生きていってください。天正10年の本能寺に戻るなど、もう考えないでください」


 そのとき、カニタの懐から、棒のようなものが床に滑り落ちた。


 信長はそれを拾い上げた。あの天正10年の本能寺で、ジェノが手渡してくれた黒い棒だった。信長は棒を握ると、一瞬にして後ろの壁際に飛んだ。


 カニタやジェノ、そして、横に立っていた二人の男の顔色が変わった。男の一人が叫んだ。


 「それに触るな!」


 もう一人の男がカニタとジェノを守るように、二人の前に立った。そして、小さな筒状のものを信長に向けた。


 「我々は時間管理局の警備員だ。それに触ると撃つぞ!」


 信長は右手を太刀のつかにかけ、左手で黒い棒を握りながら聞いた。


 「触るとどうなるのじゃ?」


 カニタが叫ぶように言った。


 「信長さん、あなたには理解できないと思いますが・・・あなたは再び、あの天正10年6月2日の本能寺に戻ってしまうのです。でも、そうすることで、時空に大きな歪みが生じて・・・その結果、歴史が大きく変わってしまうのです。例えば、羽柴秀吉を討った明智光秀が、逆に、秀吉に殺されてしまうといった、とんでもない歴史に変わってしまったりするのです」


 信長が笑った。


 「そうか」


 信長は彼らと対峙したまま、ゆっくりと移動した。そして、壁の刀掛けを背にした。太刀を左手に移す。左手で太刀と黒い棒を握りながら、信長は右手を後ろに回した。右手で鬢付びんつけ油の小びんの蓋を取った。小びんを逆さにした。中の透明な油がゆっくりと床に流れていった。


 油がゆっくりと流れて、彼らの足元に達したのを見て、信長は言った。


 「なら、わしが歴史を変えてやろう」


 信長は黒い棒の先端を右に回した。


 「やめろ!」


 警備員が持つ筒状のものから、眼がくらむような真っ赤な閃光が飛び出した。が、警備員が油で足を滑らせたために、赤い閃光は信長が立っている場所のはるか上を撃った。壁が溶けて、大きな穴が開いた。そのとき、信長が持っていた黒い棒からも青白い閃光が飛び出した。


 青白い閃光が消えたとき、信長の姿も消えていた。

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