第10話
秀晴がホテルに戻ると、フロントマンが声をかけてきた。
「御伝言を、承っています」
「伝言?」
「中谷様とおっしゃる男性の方でした」
メモを渡されて、秀晴はそのメモに視線をを落として、掌の中に握りつぶす。
エレベーターに乗り込むと、自分の部屋ではなく、上階のラウンジに足を向ける。
都内の景色を一望する窓際のカウンターに、1人の男が座ってる。
ガラスに映る顔は、高校の時のクラスメートだ。
秀晴は黙って、彼の隣りに腰を下ろした。
「よく、ここがわかったな中谷」
秀晴の言葉に、中谷はいつもと変わらない穏やかな表情のまま答える。
「捜すの苦労したよ」
中谷が頼んでいる同じものをウェイターにオーダーして、窓の外を見る。
「都内に戻ってきてるなら、連絡くれればいいのに」
「少し、忙しかったんだ」
「デートで?」
「仕事で」
「仕事?」
「いろいろな契約。メジャーだけじゃなくて、他のCM契約とかもあって」
「そうか、てっきり美人女優とデートで忙しいのかと思った。熱愛報道読んだよ」
「ああ、あれ」
「事実なのか? あれ」
「概ね事実。でも、終った」
「終った?」
「別れたんだ」
中谷はふうんと呟く。
ここに美香をつれてこなくて正解だなと、中谷は思う。
美香は多分、こんな風に切り出せないだろう。
感情的になってヒステリックに叫ぶかもしれない。
普段大人しめな彼女だが、透子に同情的なのだから。
荻島に対して、キツイ接し方をしていくのは想像に容易い。
おとといの夜。透子から電話があった。「せっかく、美香のデートを邪魔するのもどうかと思ったけれど。できれば、明日の日曜日に、エンジェルスの練習を代わって欲しい」と。
携帯電話越しの伝わる声が硬くて。これは、例の雑誌を目にしたのだろうと、察した。
「で、なに?」
「年末に同窓会、やろうって話をもってきた。出席できる?」
外堀からゆっくりいこうと中谷は思う。
「年末なら……大丈夫。年明けたら、アメリカへいくから」
「そっか、別れたの、それが理由?」
「いいや、オレがヘタレだからだろ、昔のことを引きずり過ぎてる」
「昔?」
「トーキチだよ」
秀晴の一言に、中谷はドキリとする。
透子だけの一方通行ではなくて、秀晴もまた、彼女を想っていたのだ。
それが本人から聞かされる。
「藤吉さん、ね」
「覚えてるか?」
「だって、今、毎週会ってるし」
瞬間、中谷は秀晴にものすごい目で睨まれた。
――――お前さあ、そういうリアクションするなら、もっとなんとかしろよ、美香ちゃん、やっぱコイツ馬鹿かもしれない……。
「付き合ってるのは藤吉さんの友達で、マネをやっていた植田さん。植田監督の妹」
はあ、とため息をついて、そう云った。
このリアクションはまだ透子に脈はあるんじゃないかと中谷は思う。
「藤吉さんには、手伝ってもらってる」
「手伝い?」
「僕、リトルリーグの監督やってるんだ。だけど1人だとちょっと行き届かないところもあって、藤吉さんと植田さんに偶然再会してさ、頼んでやってもらってる」
「リトルの……監督……」
透子がユニホームを着て、子供達と一緒にボールを追ってる姿は想像しやすい。
子供の頃から小さい子の面倒はよくみていた透子。
弟の朝晴なんかは、下手をすると透子と兄弟と思っていたぐらいに懐いていた。
「子供達もすぐに懐いて、お母さん達の受けもいいし、未だカーブ健在」
「そうか」
透子が野球をやっていると、訊いただけで、さっきの刺すような視線はもう和らいで、懐かしむように、穏やかな表情をしている。
「会ってみる?」
「……会って……どうするんだ?」
「どうするって、藤吉さんはずっとお前のことを想っていたよ」
秀晴はドキリとする。
『想っていた』それは彼女も自分と同じ気持ちでいてくれたのかと、錯覚しそうだった。
秀晴にとって透子は初恋だった。透子が自分を思うのは同じように恋なのか、それすら直接訊いたことは無くて、ただ、高校の時は自分の気持ちだけを伝えてきた。
「思ってたって……それが恋愛の意味かわからない」
「まだ、そういうこと云うか。好きじゃないと、お前がプロになってからに記事を丁寧にスクラップしてないだろ」
「……なんだそれ」
「本人を前にこんなこと云ったら、『そんなストーカーチックなことをしてるなんてバラすな!』 とか、僕が蹴りを入れられそうだけどさ、プロになってからのお前の記事を丁寧にファイルしてるらしいぜ、美香ちゃんは云ってたよ」
中谷の言葉を、秀晴は信じられない想いで訊いていた。
「ただ、アレ、先週の記事は凹んでたっぽいけどな」
「そこまで意識してもらっているなんて、オレは思いもしなかった。高校の時から、ずっと、冗談めかしてだけど、好きだって云い続けたのは、オレのほうだから」
「藤吉さんは照れ屋さんだから。みんながいる前では同意はしないだろ。そんなバカップル全開な状態、照れくさくてだめだろ。だから、荻島の座ってる椅子蹴っ飛ばしたりさ」
昼休みの光景を中谷も思い出す。
いつも冗談めかして、だけど秀晴は本音を透子に伝えてきた。透子はそんな秀晴も言葉を躊躇いながら、かわしていたように思う。
でも、どこか嬉しそうで、それは端から見ていてよくわかった。
「プロに入って自信がついたらトーキチに……透子に、きちんと、惚れてると云いたかった。だけど……5年もたっちまった」
「荻島」
「プロ2年目で、怪我をした時。透子に、好きだとか結婚してくれとか、云えなくなった」
「……」
「再起不能になったらどうしようなんてな、なまじ、あの年まで怪我も病気もしたことなくて、順調だったからびびったんだ。本当に、小心者だよ」
「……まあ、あの怪我は確かになあ……」
「それに」
「?」
「透子の未来が――――あるじゃないか」
「未来?」
「透子が、生きていく上で何をやりたいのか、野球ができないなら、掴み取らないといけないものが、あるだろう? オレが結婚なんか申し込んで、そういう選択肢を狭めていいわけ、ないじゃないか」
「……」
「オレは幸運にも10代で夢をかなえて、なりたい職業になれたけれど、大半のヤツはまだまだ悩んでるんだよ。やりたいこと、仕事として取り組みたいこと、目標を見つけること、そういうの、もっとゆっくりやるだろ?」
「……そうだけどさ」
「自分のペースに巻き込んでいいのかなって、そういうのもあったよ。アイツがオレを選んで後悔させるんじゃないかなって」
「おーまーえー」
「何?」
「どうしてそういうの、本人に云わなかったんだよ!」
「云えるかよ、オレは惚れてるけど、あっちはオレをただの幼馴染としか思ってないかもしれない」
「ホント小心者だよ」
「悪かったな」
「振られるのが、怖いのかよ!」
「気持ち押し付けていくよりは、軽口叩いて、それをはぐらかされた方がマシだな」
「……」
「今更……振られるのはいいさ、別に。ただ、あいつが幸せであるなら、それでいいんだよ」
秀晴がそう呟いた。
中谷は片手で頭を抱え込む。
――――お前、僕が藤吉さんと会ってるって云っただけで、あんな表情するのに、今更振られるのはいいって、言動不一致もいいとこじゃないか。そんなんでメジャーでやってけんのかよ。
「とりあえず、しばらくココにいるんだな?」
中谷はスツールから身体を離した。
「ああ」
「また。連絡するけど、逃げるなよ」
「……どうせ、日本を出るんだ、それまで何があっても別にどうでもいい」
投げやり気味に秀晴は云う。
その様子を見て、中谷はふと、思った。
――――怪我をしてからの荻島は、自分を大切にしないで生きてきたのか。
身体のことは、野球をやるために、どれだけケアを心がけてきたかは、怪我の後からの活躍で中谷だって伺い知れるところだ。
大切にしないのは、心だ。
「なあ、荻島、携帯は繋がるだんろうな?」
「ああ、怪我した年に壊されて、機種変更したんだ教えておく」
「壊された?」
「ヘンな女に付きまとわれて、そいつが壊していったんだ、透子に連絡とれなかった理由それもあるか」
物理的な原因もあったわけだ。
中谷は秀晴から携帯の番号を聞き出して、今度こそバーラウンジを後にした。
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