第11話



 「遅かったわ……中谷君」

 「どういうこと?」


 電話越しに彼女の落胆した声が響く。

 秀晴と再会した旨を美香に報告したのだが、美香がそういった。

 その意味を問いただすと、美香はさきほど透子から電話があったというのだが……。




 ――――泣かせるようなことはしない。大事にするよ。



 透子は小柴の言葉に、ドキリとする。

 驚きと嬉しさがある。

 自分のことを好きといわれた告白。

 しかも、相手は恋愛の意味とは違いながらも、親しくしている先輩で、好感は持てる人からの告白に、当然、いやな気持ちにはならない。そこは正直なところだ。

 だけど、彼を、秀晴を想うように、想えるのかと云われたらNOだ。

 それは無理な話だ。

 今までだって、告白してきた人間が、いなかったわけではない。

 相手が本当に本気の場合は、透子も事情を説明したのだが、理解して貰えず、透子から離れた。

 理解できるはずもない。

 日本を代表するようなプロ野球選手と「幼馴染で、ずっと好き」という時点で、全員が「断る口実に、そこまで云うのか」と云われた。

 だが、小柴は違う。

 すっかり箸も飲み物も手にしなくなった透子を見て、小柴は店を出るように促した。

 透子の自宅まで送り届ける道中も、黙ったままだった。

 今まで告白してきた人間のように、自分の気持ちを押し付けてくるようなことはなかった。




 ――――5年は……長い……。




 透子自身も思わないこともない。

 小柴からの告白は、もうそろそろ、秀晴への気持ちにピリオドを打つ機会なのかもしれない。

 恋じゃなくて、ただのファンで秀晴を思うこと。

 今すぐは無理でも、気持ちを切り替えていくのに、小柴なら、そこは理解してくれるだろう。

 一緒に、日曜日にリトルリーグの子供達と一緒に野球をやって、時々、プロ野球ナイターを見に行ったり。

 穏やかで優しくて、暖かい時間を、これから送ることができるかもしれない。

 小柴となら。


 「小柴さん……」

 「うん?」

 「さっきの話、あたしでよかったら……お受けします」

 「本当に?」

 「はい、でも、すごい、筋金入りですよ、ヒデのファンは」

 「うん、知ってる」

 「小柴さんのことだけ見るの、すごく時間かかるかもです」

 「でも、傍にいるだろ?」


 小柴が差し伸べた手を握り、残りの道を、2人で、手を繋いで歩き始めた。





 「――――てことが、今から30分前におきたそうですよ」


 美香が、中谷に携帯電話越しに伝える。


 「えええええ。どうすんのさー」

 「いいえ、中谷君のせいじゃないです。透子が決めちゃったんだもん……責められないもん」

 「荻島は、振られた――――か。僕が遅いばっかりに」

 「恋愛ごとで、相談とか報告とかめったにしない透子が、私に云ってきたってことは……もう決めちゃったんでしょう。だけどさ」

 「うん?」

 「荻島くんはバカです、考えすぎだよ、云ってみなくちゃわかんないんじゃない。選択権は自分にあると思ってるの? 透子にも選択権があるのを忘れてんだもん」


 美香の発言はキツイなと中谷は思う。

 選択を狭めるに充分な存在なのも、事実なんだと、中谷は美香に呟くと、美香は受話器の向こう側でため息をついた。




 翌日の昼休み。

 透子は小柴と昼にランチの約束をしていた。

 外で食べるために、エレベータを降りた瞬間、受付のエントランスが騒がしいなと透子は思う。


 「何があったの?」

 「有名人がきてるらしいわ」

 「有名人?」

 「来年のCMで使うんですって、『荻島秀晴』よ、広報と重役達が打ち合わせをかねて会食らしいわ」


 透子は一瞬息をのむ。

 その名前をここで聞くとは思わなかった……。

 女性社員の黄色い声はないものの、人が遠巻きにある人物に注目している。




 ――――ヒデ……。




 ひとごみの向こう側にいるのは、5年前から音信不通になった、幼馴染。

 秀晴は会社の広報の人間と話し合っている。が、ふいに顔をあげて、エレベーター前にいる、透子と視線が合う。

 秀晴もまた、遠巻きの視線を煩わしいと思い、これから乗り込むエレベーターへ視線を向けた瞬間のこと。

 そこにいたのは……ずっとずっと、会いたかった彼女。

 高校の時の再会とは違う。

 高校の時の再会は、透子も秀晴も互いが成長期でよくわからなかったが、今回は、ちゃんと、お互いが誰なのか一瞬で理解した。




 ――――ここで、踏み込んで、どうするんだよ、オレ……。




 そう思いながら、歩みは止まらない。

 透子の前でようやく立ち止まる。

 5年も音信不通で、最後のメールの返信もしない。

 なのに彼女はずっと秀晴を応援してたよと、中谷に昨日云われた……。

 もし……待ってくれてるなら……。


 「ひ、久しぶり、ヒデ」

 透子の方が口を開いた。

 「トーキチ……」

 「元気そうで、よかった。うちの会社の商品、たくさん宣伝してよ」


 そう言い捨てて、ヒデの横を通りすぎようとする。

 が、2歩目を踏み出した透子は秀晴に腕を掴れた。

 人目が、まわりの視線が集まっているのがわかる。


 「携帯の番号は?」

 「へ?」

 「後で連絡をいれる」

 「11桁をこの場で丸暗記できるの? ヒデのくせに」


 透子がいうと秀晴は笑う。

 気の強い彼女らしい口調が、バッテリーを組んでいたリトル時代の記憶を呼び覚ます。

 相手選手のデータは透子が丸暗記してて、全部透子に丸投げだった。

 たまに覚えてくると「ヒデのくせに頑張って覚えたじゃん」なんて、感心して、その後「この頑張りに答えて、絶対勝たないとね」と不敵に笑った彼女……。

 10年以上も時間が経ったのに……。

 会わなかった時間のほうが、長かったかもしれないのに。

 見た目だけは女の子らしくしてても 言葉遣いや、その表情は、同じ年の男の子を凌ぐ気性の強さ。

 マウンドに立った時の、昔の彼女と変わらない……。




 「試してみろ」


 透子が云い出すと同時に、秀晴は携帯を取り出して素早く番号を入力する。


 「じゃあ、また、連絡する」




 ――――連絡する……って、どういうことよ。




 秀晴は広報の人達に「お待たせしました」と呟いて、ちょうど来たエレベーターへと乗り込んだ。

 透子は周りの視線を振りきるように、エントランスを走り抜けた。




 ――――連絡しなかったじゃない。今まで。






 透子が息を切らせて、待ち合わせ場所にいくと、小柴がいた。

 互いのオフィスが近いとはいえ、外食となると昼休みは短くなる。

 息を弾ませて走ってきた透子を見て、小柴はどこかいつもの透子とは様子が違って、どこかおかしいとなんとなくそう思った。

 何かから逃げ出してきたようなそんな感じがする。


 「どうした藤吉……」


 小柴に言われて、透子は彼を見上げる。

 たった今、秀晴に再会したと、すぐには云えなかった。

 目の前にいる彼と、一緒に歩き出そうとしたのに。

 秀晴との再会は、伝えられない。

 すぐにわかってしまう事実だとしても。


 「昼休み、終っちゃうとまずいでしょ。ダッシュしてきました」


 小柴は透子の挙動不審を知りつつも、笑顔で、ランチの店を案内した。



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