第5話



 春―――――。

 ソメイヨシノは散って、八重桜が満開の頃、校内は新入生を迎えて活気があった。

 新入生はみんなピカピカしてるみたいだ。

 いや。制服は確実にピカピカだな。

 いやあピカピカにもなるだろう。

 都内でも有名私立校に入学を果たして。しかも、有名人がいる。

 3週間前に全国ネットで有名になった男が。

 しかもそいつは、あたしの幼馴染だ。


 「トーキチ! おま、ナニぼけっとしてやがんだよ。クラス変え見たか?」


 ヒデ。

 荻島秀晴。

 あれだけ周囲が騒ぎたてているのに、あたしの前にいるのは5年ぶりに友好を暖めたがっている普通の野球好きな少年。

 違う。あの大会に出るまではそう思っていた『普通の』野球好きな少年だと。

 だが、今現在のこいつは『未来が輝かしい』野球好きな少年。


 「見てない」


 大会が終って、コイツはちょっとだけ髪が伸びた。(あくまでもちょっとだけ)


 「同じクラスだぜ!」


 そうか……。

 そんな無邪気にはしゃぐヒデは、全国の野球少年の注目の的だ。

 いや、野球少年だけじゃない。

 多分、今、野球少年達よりも熱い視線を送るのは、ヒデの卒業後にドラフトで勝ち取りたいプロ野球チームのスカウトマンだろう。

 記録的な春の選抜。

 ヒデは連日の接戦を勝ち抜いて、決勝のマウンドに上り、ノーヒットノーランで優勝旗を手にした。

 あたしはアルプススタンドで、連投するヒデを見た。

 5年前の小さな野球少年が――――まさかこんなに化けるとは思わなかった。

 ストレートでは最高で150キロ台のスピードを誇るだけではない。

 スピードに差はあるものの多彩な変化球を繰り出して、精密なコントロールを誇る右腕。

 この腕はまさに、メディアが注目する逸材だ。

 もともと、野球部への入部希望者は多いが、この春、荻島秀晴見たさに、入部希望する生徒が増えている。

 その相乗効果で、うちの吹奏楽部も部員は増えるようだ。


 「なんだよ、なんだよ、ノリが悪いな」


 再会からこっちずっとランチは一緒に食べている。

 この日も一緒に弁卓を囲む。教室で食べているんだけど……。


 「いいや、呆れてんのよ」

 「ナニが」

 「あんたのその、マイペースさに」


 同じ学校の生徒から、休み時間の度に覗き込まれ注目されているのに、全然気にしないカンジが、なんとも呆れる。


 「ああ、野次馬? この1ヶ月だけだ。あと夏大会の前後か。なんだよ、繊細ぶっちゃって」

 「繊細なのよ」

 「ごめん、トーキチ、笑わせないで、貴重なご飯を吹き出しそう」

 「ギャグを飛ばしたつもりはない」

 「いや、それ真顔で云わないで」


 あたしは有無を云わさず、ヒデの座っている椅子の下を蹴り上げた。

 その様子を見て、一斉にドン引きになるクラス。

 そうだ、そうだ、悪かった。ついつい大会前のノリでやってしまった。

 今や世間ではスーパースター扱い。荻島秀晴様に今の所業はないね。

 なのに、この一瞬クラスの空気の凍ったカンジも意に介さず、マイペースに会話を進める。


 「おっめーは、んとに、手が早いな。てか、脚か」

 「……」

 「なんだかんだで、トーキチの神経もけっこう太い」

 「ナニが」

 「いや普通その椅子ケリはないっしょ」

 「……」

 「でなきゃマウンドに――――――――――――」


 そこまでヒデがいうと、あたしはヒデを睨み上げる。

 云うな、それ以上は。


 「……なんでナイショなの?」


 こそっと呟くように云う。


 「……気分的な問題です」

 「気分ねえ」 


 云える分けない。

 ヒデに再会してなかったら、てか東蓬に入学してなかったら、野球と関係無ない場所での高校生活をしていたら公言したかもしれない。

 小学生の頃、リトルリーグにいたんだよ。ピッチャーやってたんだよ――――――――なんてね。

 でも、ココは野球の名門だ。

しかも、目の前にいるこいつは、マスコミにはやくも注目されている将来有望なピッチャーだ。

 だからそんな昔話を公言したって誰も信じないだろうし、ナニを云ってんのって鼻先で 笑われるのがオチだろう。

 だからわざわざ自分から吹聴しないだけだ。


 「トーキチ。野球が好きなんだからマネージャーになればいいのに」

 「なんだ、すでに『南ちゃん』はいるっしょ」

 「いるけどさ。うちは大所帯だから何人いてもいいっしょ」

 「新入生がくる。で。そんな中でどうよ、美香ちゃん。可愛くない?」

 「ああ、まあ、可愛いよね」

 「おお!」


 でもヒデは眉間に皺を寄せる。


 「でも、なんで?」


 鈍いヤツだ。


 「いや、あんたの彼女にどうかと思ったんだけどさ」

 「……」

 「可愛いし、気がつくし、どんなもんかなって、ヒデは、あーいうカンジの子。好みだったでしょうよ。小学校の時とかさ……えーとなんだっけ浅田さんだっけ? いいなーとか云ってたじゃん」

 「そういうお前はどうなの」

 「へ?」

 「彼氏は」

 「いません。出会いが無くてね。いいの、そのうち宮城野先輩に合コン設定してもらう予定だから」


 「合コン!!」


 そう叫ぶ。両手の拳を握り締めて肩を震わせてる。


 「……チクショウ。青春してやがるな」

 「羨ましいか」


 あんたの方が何倍も青春でしょーが。

 羨ましがるな、そんなもんに。


 「オレにも設定してくれ」


 バカヒデめ。


 「今のあんたはそんなの必要ないでしょうよ。全国ネットでファンレターきてる」

 「手紙は人肌じゃないっす、トーキチ先輩。それに――――」

 「それに?」

「どんなに騒がれても、認めてもらいたい人に認めてもらってないしな」


 なんだそれは、ヒデを認めていないって誰よ。

 そんなはずないでしょう。


 「そんなライバルがいるのか」


 こんだけ騒がれてるのに、あんたを認めてない人間て。


 「一時はそうかなとも思ったんだけど、改めて考えてみるとライバル……じゃないから」


 「は?」

 「オレを認めて意識してくれてるでしょ、ライバルなら。だから、ライバルじゃないの。オレの一方通行なんだよ」


 ふうん。


 「片想いなの」


 恋愛でなくても、片想いは切ないな。

 知らなかったよ。ヒデにそんな想いさせる人物がいるなんて。


 「相手が鈍いってのもあるんだけどね、オレもはっきり云わないから」

 「なんだ、意外と身近にいるんだ? もっと距離のある人物かと思った」


 ヒデは弁当を食べ終わると片付けて頬づえをつく。




 「近くて遠い存在なんだ。もう、ずっと、特別だったからな」




 このヒデに、そんなことを云わせる人間がいるんだ。

 なんかヒデが気持ちを伝えられないぐらい特別な存在がいるなんて知ると、胸の奥が締めつけられるように、悔しいような切ないような気持ちになってしまった。




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