第4話




 「トーキチ、お前何それ」


 ヒデがあたしの持つ紙袋を見て尋ねた。あたしはソレをベンチに置いてグラブを填める。


 「バレンタイン用パウンドケーキ。一応、オンナノコなんで、梅の木ファイターズのみんな用」


 本日の朝練前のことだ。

 参加した全員に配布することは前から伝えていたのに、すっかり忘れている。

 「もしかして、まさか、お前が作ったのか?」

 「お母さんと一緒に作ったよ、一人でなんてできないよ、量もあるんだから」

 「へえ……お前も女の子なんだなあ」


 失礼な、やらないぞ、ヒデの弟の朝晴にやっちゃうぞ、朝晴は速攻で胃袋に押し込む、脅威の二歳児だからな。

こういうの大好きなはずだ。

 それに、ヒデ、あんたにあげる最初で最後のバレンタインチョコになるんだよ。多分。

 まあ、いらないかなあ。

 雅晴兄貴が作るお菓子の方が美味しいもんね。

 それを食べ慣れているヒデには、あんまりいいものじゃないかもね。


 「だけど、初めてじゃね? トーキチがオレにバレンタインチョコなんてさ」

 「……あんた限定じゃないっつの。まあ、後1ヶ月で卒団だし、餞別みたいなもんだよ」

 「餞別……」


 そういって、ヒデはあたしの顔をまっすぐ見る。

 ヒデ、わかってるんだ。

 餞別という言葉を呟くあたりで、ああ、耳にしてるんだなってわかる。

 あたしは溜息をついてヒデを見る。


 「聞いてるとは思うけど、引っ越すことになった」


 あたしが云うと、ヒデはボールをグラブに投げ入れる。


 「……おせーよ、一週間前からオレの耳には入ってた。公団舐めんなよ、情報なんざぱあああっと広まっちまうんだから」


 そうなんだ。

 公団のコミュニティって、独特で世帯が密集してるから、何かニュースがあると広まるのが早い。


 「いつまでいるんだよ」

 「ん……と、3月末まで」

 「中学は?」

 「うん……隣りの区の青葉一中」

 「そうか」

 「楽しかったよ、ヒデ」


 野球は好きだけど、ヒデとバッテリー組めるとは思わなかったから。

 ヒデには……悪いことをしたなと、思っている。

 最近は特にそうだ。

 誰がどう見ても、あたしとヒデじゃ、ヒデの方がピッチャー向きだ。

 あたしは確かにコントロールがいい。スローカーブだって得意だ。

 だけど、知ってる。

 ヒデが本気で投げたら、小柴さんクラスの速球だってことは。

 小柴さんは中学では野球をやっていない。

 肘が悪化して、ドクターストップをかけられてそのままになってしまった。

 もしもヒデがマウンドにたって、あたしがホーム座ったら、多分、ヒデは云う通りに投げてくれると思うけれど、無茶はする。

 小柴さんと同じようになってしまうかもしれない……そんな不安があって、あたしは、何も知らない何も気がつかない振りで、マウンドに出張っていた。

 ヒデは、野球少年だから。

 大きくなったら、プロになるんだ……の科白は、数年前まではよく口にしていた。

 今は照れくさくて云えないだけで、実はプロにはなりたいなと思ってるんだってことはわかってる。

 もしピッチャーになったら、ヒデの性格だから、怪我した場合は無理するだろう。

 キャッチャーだって充分危ないけれど、まだプロテクターが守ってくれそうに思う。

 もし、小柴さんみたいになったら、そんな夢も見れないじゃない……。

 あたしはどんなに投げて無茶しても野球できるのはここまでだし、別にいいんだけど……ヒデは違う。


 「悪かった」


 みんなが集まるまで、軽くヒデとキャッチボールを始める。


 「は?」


 「ピッチャーがあたしで」

 「何云ってる、らしくねーぞ、トーキチ」

 「そうかな」

 「自信満々で投げてくるくせに」

 「自信はあるよ」

 「うーわー云ったな、てか、云うかお前」

 「この自信がなくちゃ、こんな我侭通せないよ」

 「?」

 「本来。マウンドに立つべきはヒデだからなあ」

 「なんだそれ」

 「ヒデがマウンドに立った方が、いいんだよ。この2年、初戦の相手はあたしがエースで舐めてかかってた」

 「……でも、それが相手チームの敗因だからな」

 「もしも――――あんたがピッチャーやってたらさ、アンタ馬鹿だから絶対、無茶する。あたしがマウンドに立ってれば、あんた出張らないっしょ?」

 「なんじゃそりゃ」

 「……今、ここに、マウンドに立つヒデを見れないことは、ちょっと惜しいけれど、いつか見せてくる?」

 「……オレにピッチャーやれってか」

 「だって、ヒデ、ピッチャー気質なんだもん」

 「……」

 「ヒデが譲ってくれたもんだからなあ、このポジションは」

 「随分、謙虚じゃねーの。どうした、バレンタインの本命は実はオレで照れ隠しかよ」

 「そこはずうずうしいぞ、ヒデ」

 「だから。気色悪いっての、らしくねーっての」





 最後が近づいていると思えば、らしくなくなる。

 だから、あたしは笑う。

 いつも、バッター相手に対している時のように。

 内心の動揺を絶対に出さないように。

 こんな風に、キャッチボールできるのは、あとちょっとなんだ。

 ユニホーム着て、野球するのも、マウンドに立って投げるのも、ヒデと何気ない話をしながらキャッチボールするのも。

 あたしの生活のそれが総てを占めていたのに、それは終るんだ。

 数少ない仲良しオンナノコ達ともお別れだ。

 中学は真新しい環境の中で始まるんだ。


 「来月の最後の試合は、絶対勝つぞ、トーキチ」

 「?」

 「お前が投げて、勝つんだ。最後の試合で負けたらしまんねぇよ」


 ホント、ヒデは負けず嫌いだ。

 あたしもそうだけど、ヒデは負けた試合は絶対に泣く。

 オトコノコが泣くなと一喝したら、なんでお前はそう冷静なんだよと、キレられたことが、一度ではない。


 「笑って終わりにしたいからな」


 笑って終りにできるならいい。

 でも、もし。

 勝っても負けても、あたしが泣いたら、是非知らん振りをして欲しい……。

 最後の最後まで、エースナンバー背負ってる限り、『倣岸不遜のトーキチ』のイメージダウンは、避けたいところだからね。




 「お前がマウンド降りて、お前がいない場所で野球するなら、オレ、ピッチャー目指すよ。それまでは、バッテリーだ」




 ヤバイこの野郎、泣かすな。

 今、涙腺のあたりがブワって熱くなったよ。


 「是非、そーしてくれ」


 一言、そう云った。

 声が震えないように、肩にだけ力を入れて、あたしはヒデのグラブめがけてボールを投げた。




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