2-4

――おおぉぉぉぉーん。


そのうち遠くから低く、地鳴りのような音が響き渡る。

それを聞いて恐怖でびくりと身体が震えた。


「……来た」


隣の伶龍が鯉口を切る音が小さく、耳に届いた。

椅子から立ち上がり、今すぐ飛び出さんばかりに彼が腰をためる。


「まだ。

まだだよ」


穢れは出現しはじめたばかりで、全体はまだ現れていない。

その実体がこの世に確定するまではいくら攻撃しようと無駄なのだ。


「待てるか!」


「あっ!」


その蜘蛛のような長い足が見えはじめたところで、伶龍の脚が地面を蹴った。

そのまま弾丸のごとく飛び出していく。


「嘘でしょ!?」


後ろで祖母が頭を抱えているがわかったが、そんな場合ではない。

とにかく伶龍を追わなければ。


「伶龍!」


袴の裾を翻し、弓を掴んで慌てて彼を追いかける。

いる場所はわかっている、穢れの本体があるところだ。


「いたー!」


足の集まる中心、要するに蜘蛛でいう胴体の部分が穢れの本体だ。

そこを目指して走れば、容易に彼は見つかった。


「この!

くそっ!」


伶龍はダンプカーサイズの穢れの本体に向かって刀を振るっているが、核を守るように蠢く多数の蟲は刀では切れないって説明しましたよね?


「どいて!」


矢をつがえ、穢れを狙う。

しかし私の声が聞こえないのか、伶龍は穢れから離れない。


「邪魔!」


狙いを定め矢を放とうとした瞬間、伶龍が目の前に出てくる。

核に御符を打ち込むまで彼の役目は援護だってあれほど言ったのに、やはり理解していなかった。


「ちょっ、れい、りょう……。

あっ!」


とうとう耐えかねて手が弦から離れた。

私の意志とは関係なく放たれた矢は、伶龍へと向かっていく。


「避けて!」


私の声と彼が刀で矢を叩き落としたのは同時だった。


「……あ?」


低い声で振り返った伶龍が私を凄む。

そのまま一気に私へと距離を詰めてきた。


「テメエ、俺を殺す気か?」


「ご、ごめん!」


反射的に彼に謝っていた。

が、頭を下げた瞬間、疑問が浮かんできた。


……これは私が悪いのか?


確かに手が滑り、彼に向かって矢を打った私は悪い。

しかし伶龍だって邪魔になるから離れてと言っても離れてくれなかったではないか。


「てかさ。

さっきから散々、どいてって言ったよね?」


負けじと少しだけ上にある、彼の目を睨み返す。


「あ?

俺がやりやすいようにするのがオマエの役目だろーが」


穢れの足が向かってきたが、邪険に伶龍が刀ではじき返す。


「私が核に御符を打ち込むまでは援護だって言ったよね?」


伶龍が足を防いでいるあいだに、続けざまに穢れへ術の刻まれた矢を打ち込んだ。

蟲が蹴散らされ、徐々に核が姿を現す。

ソフトボール大のそれは、禍々しいまでに赤く輝いていた。


「そんなん知るか!

俺は、俺がやりたいようにやる!」


伶龍の視線が見えてきた核にロックオンされる。


「えっ、ちょ……!」


御符をセットした矢をつがえ、弓を引き絞りながら固まった。

跳躍した伶龍が穢れに取りついている。


「封じるのが、先……!」


しかし私の言葉など聞く耳持たずで、伶龍は大きく刀を振り上げた。


……ああ。

これは大失敗だ。


祖母や役人たちからの叱責を覚悟し、刀の行く先を見つめる。


――しかし。


「あ?」


それはスカッと核を掠っただけだった。


「んー?」


伶龍は穢れに乗ったまま首を捻ってなにごとか考えている。

周囲では蟲たちが集まり、次第に核をまた覆い隠そうとしていた。


「ちょ、伶龍!

なにやってんの!?」


また矢を打ち、蟲を蹴散らす。

今度は伶龍がじっとしてくれるから楽だ。


「うっせーな。

ちょっと外しただけだろ」


気を取り直したのか、彼が刀をかまえ直す。


「待って!

今御符を……!」


私が矢を放つのと伶龍が刀を振り下ろしたのは同じだった。

刃に弾かれ、矢が落下する。

伶龍はまたしても外したらしく、惨事は起きていない。

なら、まだいけるはず。


再び御符と矢をセットし、弓を引き絞る。

――が。


「おっかしーなー。

なんであたらねぇんだ?」


刀を逆手に持ち、乱雑に伶龍が核をぐさぐさと刺しだした。


「ちょっ、ストップ、ストーップ!」


止めたものの時すでに遅し。

伶龍の刀が核の中心を貫いた瞬間、一気に梅干し大にまで収縮した核はすべてのエネルギーを解放するかのごとく破裂した。

おかげで頭上から真っ赤な血のような雨が降り注ぐ。


「ああ……」


やってしまった。

これは絶対に、避けなければいけなかったのに。


「勝ったのになに落ちこんでんだよ」


打ちひしがれてしゃがみ込む私の膝を、伶龍は革靴のつま先でつついた。

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