5.降って湧いた婚約話
「そもそも婚約破棄をしたいのならば、その前に互いの家の力関係と、話を持ちかけたのがどちらかと、その真意を正確に予測して慎重に動かなければ、ちょっとした家同士の争いになりかねないですよ」
「さらりともの凄く怖いことを言わないで、サラサ……」
「言っておかないと、ハンナ自身が後々後悔するかと思いまして」
「いやまぁそうなんだけれども」
はぁ、と昼間に話したサラサとの会話を思い出してため息をつきながら、私はとことこと簡易な部屋着の裾を揺らしながら屋敷内を移動する。
屋敷に到着し、晩御飯も済ませ、お母様の何とも言えない視線は気づかないこととし、寝るまでの各自時間にあたるこの時間。お母様はニースの相手をし、お父様は自室にこもっているはずであり、情報収集にはうってつけのタイミングである。
正直に言って、昼間に目撃したあの不可解な光景の中心人物であるルド・ヴァレンタイン様とこのまま結婚したとして、私にとってはまぁ悪くない生活にはなりそうな気はしていた。
物語の中の純愛なんて夢見る歳は過ぎたものの、見た目と物腰は王子様であることは確かだ。不可解なほどに振り切ってはいるものの。
お父様が言うように悪い話しどころかとてもいい話しな気もしているのに、いまいち踏ん切りがつけられない。
それは単に、女関係への嫌悪感がジリジリと燻っているからだ。
あの調子では、きっと結婚した後も女に囲まれる姿を見ることになるのだろう。知らない香水の香りを漂わせ、どこからかの頂きものなんて携え、薄っぺらな嘘を悪気もなく話すのかも知れない。
一夫多妻制も望めば不可能でもない婚姻制度であるから、何人もの妻に紛れて埋もれるだけの一生にすらなる可能性もある。
「……前世を思い出してやる気になったのはいいものの、もの凄く男性不信になっている気がする……」
はははと乾いた笑いを1人で浮かべながら、私はコンコンと屋敷の一角にあるドアをノックする。しばしの後にドアが静かに開き、隙間からアラン兄様が不思議そうな顔を覗かせた。
「どうしたんだい、ハンナ。珍しいね、こんな時間に。どうかしたのかい?」
私と同じ、栗色の柔らかい癖のある髪をさっぱりと切りそろえ、エメラルドグリーンの瞳が予想外の訪問者に驚きながらも、人のいい穏やかな笑みを浮かべている。すらりと細身で背の高いアラン兄様も、簡素な部屋着を身にまとい、散らかっているけどと一言添えて私を自室へと招き入れた。
アラン兄様の自室には大量の書籍が壁一面に並べられ、部屋の隅にある机には大量の書類や封書などの紙類が積みあがっている。
「何か僕に聞きたいことでもあるのかな。答えられるかはわからないけれど」
机上に散らばった書類を軽くまとめながら、アラン兄様はこちらの様子を穏やかに伺う。とはいえ、そもそも察しのいいアラン兄様は何も言わずとも私の言いたいことなどわかっているようであった。
「私の婚約者のことで知っていることがあれば教えて欲しいんです」
「んー。やっぱりそれだよね」
少し困ったように眉をハの字にしつつ、ソファに腰掛けるように私を目線で誘導する。
「僕は確かに父上の後継としていろいろとついて回っているけれど、関わらない事柄も多いし、ハンナの婚約話もその一つかな。僕がハンナ以上に知り得ていることは多くないと思うよ」
「……そうですか……」
はぁと気落ちしてがっくりとうなだれる私の頭を優しくなでながら、アラン兄様は致し方ないという風に小さく息を吐く。
「……本当は父上たちに口止めされているのだけど……僕が知り得ている範囲なら、今回の婚約話は相手さんからで、ハンナを大層気に入ってくれているらしいよ」
「え……お話しは向こうからなんですか!?」
ばっと伏せた顔を勢いよくあげると、アラン兄様は元気だなぁと笑う。
「確実ではないけど、父上は僕にそう言っていたと記憶しているよ。突然降って湧いたいい婚約話しだと、びっくりしていたし」
婚約者のルド様に気に入られているらしいとは寝耳に水である。けれどあんな王子様みたいな人と遭遇すれば覚えていそうなものなのに、私には全く覚えがない。
どこかのパーティーで一目惚れされた……なんてロマンティックな話しはたまに聞かないこともない。が、誰もが見惚れるような浮世離れした美人でもない私に、王子様のように女性に囲まれているような相手も相手なだけに、現実味は薄い。
と言うことは本人でないヴァレンタイン家のどなたかと、婚約者にと気に入られるほどの接触があったのか……。
深まるしかない少ない情報に困惑する私に、アラン兄様は困ってるなーと苦笑を浮かべる。
「父上と母上はハンナを愛しているよ。この話しならハンナが幸せになれるだろうと喜んでいたし、突然の降って湧いた婚約話に思うところは色々とあるとは思うけど、よく考えてあげて」
「……はい、それはわかっています。忙しいところごめんなさい。話してくれてありがとうございます、アラン兄様」
にっこりと歳の差な妹スマイルを浮かべると、アラン兄様は分かり易く笑み零れた。ちなみにであるが、お父様に溺愛されている私は、アラン兄様にも歳の離れた可愛い妹として可愛がられている。
ひとまず味方は多いに越したことはないので、引き入れられる可能性のあるところに愛嬌を振りまくことは忘れない。
「あ、そういえば相手さんがライトと同じ学校らしいから、僕よりライトの方がよく知ってるんじゃないかな」
「……本日教えて頂きました……」
「あ、そうなんだ。優しそうな人だった?」
くったくなく尋ねるアラン兄様に、私は何とも言えない表情で答えるほかなかった。
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