4.噂の彼

「あ、あの、ライト兄様。ルド・ヴァレンタイン様は……その、どんな方でしょうか?」


「は? ルド・ヴァレンタイン?」


 学校も終わり、普段通りの迎えの馬車でニースの隣の定位置に乗り込み、ライト兄様を最後に拾って帰る最中。慣れたように馬車に乗り込むライト兄様が落ち着く前に、フライング気味にサラサに聞いた”ルド様”のフルネームを復唱する。


 母譲りの私の栗色の髪とエメラルドグリーンの瞳とは違い、父譲りの黒髪に黒曜石のような深い黒の瞳のライト兄様。長めな前髪の間から怪訝な顔をしながら、私の向かい側の定位置に腰を落ち着け、カバンを横の空いている座席に卸す。

 

 少しの間をおいて、ライト兄様はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「なんだよ、急に。婚約とかどうしようもないから相手になんか興味ないとか言ってたじゃないか。ハンナ、お前今日はホントいつにもまして朝からおかしい奴だな」


「朝の件はひとまずほっておいてと言ったじゃない……。それよりルド様はどういった方なんですか、ご存じなんでしょう?」


 出してくれ、とライト兄様が御者に声をかけ、ゆっくりと馬車が動き出す。


「あぁー……ルド・ヴァレンタインな? 家柄もいいし、愛想もいいし、あと顔がよくて、女にもてるな」


「は? 女にもてる?」


 聞き捨てならない単語に思わずライト兄様を二度見する。ぞわぞわと前世の嫌な記憶がにじり寄ってくるのを感じた。


 女に寄っていくのか、女が寄ってくるのか、掃いても捨てても泣いてもキレても繰り返される前世の夫の不誠実な日々。もうあんな虚しい想いは絶対にこりごりである。


「あぁ。お、ほら丁度いい、あそこの真ん中にいるのがそうだよ」


 ライト兄様が通っている学園の敷地に沿って走っていた馬車は、御者への声掛けで静かに道路脇へと寄り停車する。停車した馬車から顔を覗かせると、学園の敷地と道路を隔てる柵ごしに学園内が見えた。


 場所は中庭のような場所であるのか、噴水や花壇など美しく整備された庭園のようだった。その庭園の一角に、確かに謎の人だかりが見える。


 よく見えず、馬車の窓にへばりついて目を凝らす。そこには何人もの女生徒に囲まれ、周囲の女生徒より頭一つ分ほど抜きんでた背の高い一人の男子生徒がいた。


 細見の長身で、長い金髪をゆるくオシャレに一纏めに束ね、にっこりと人のいい笑みをその端正な顔に浮かべて女生徒たちと談笑している。美しい金髪と蒼い瞳が日に照らされ、ウソみたいに輝いているように錯覚させる男子生徒だった。


 何事か馬車内にまで女生徒の声が漏れ聞こえてくるので、はしたないとは思いつつ窓を開けて耳を澄ます。


「ルド様、よろしければこちらをお受け取り頂けませんか? ルド様に召し上がってほしくて、クッキーを料理長に教えて貰い作ってみましたの」


「あら、そんな何が入っているかもわからないものを食べてルド様の体調が崩れましたらどうなさいますの。それよりも父が王都で流行の飴細工というものを持ち帰りまして……」


「そんなことよりルド様、ルド様がお好きと仰っていた限定の観劇のチケットが……」


 聞いているだけでゲンナリしてくる女生徒たちのアピール合戦の嵐に、空いた口がふさがらない。曲がりなりにも自分が好きな男性の前で、他の女を蹴落とすほどの醜い行動に女生徒たちを走らせるほどの存在のようである。


「あかん、これはあかんやつだ。女が寄ってくるパターンの人だ……」


 ずるずると馬車の窓にへばりつきながら力尽きる私の耳に、風に乗った涼やかな声が届く。


「ストップストップ、小鳥ちゃんたち、そんなに慌てなくても僕は逃げないよ。白魚のような細い指が僕を想ってお菓子を作ってくれて、僕は世界一幸せな男だ。そんな僕に、意地らしくて愛らしい顔を向けながら、いつも心を配ってくれる小鳥ちゃんが本当に愛しいよ。いつも僕の好きなことを一生懸命に考えてくれる小鳥ちゃんは、世界中の宝石よりも美しい心の持ち主なんだね……」


 以下は女生徒たちの黄色い歓声によって聞き取ることはできなかった。


「出してください……」


 馬車はまたゆっくりと走り出す。風に乗ってまだ先の歓談が聞こえてくるような気がした。


「な、もてるだろ?」


「……もてるという次元を逸した光景を見た気が……。とはいえ、そうですね、女が寄ってくるというより、光だか餌だかで集まってきた女性を一網打尽する系の方ですね……。というか小鳥……? 聞き間違い……?」


 ツッコミどころが多すぎて、まとまらない思考回路で必死に考える。


 自身に群がる女生徒たちへの対応など、確かに優しく、物腰も柔らかく、容姿も分かり易く王子様のようで、もてる理由も頷ける。


 滞りなく滑り出す歯の浮くようなセリフは全く見過ごせないが、分類的には確かに王子様キャラだ。


「まぁ、本当にあのルド・ヴァレンタイン様なのかは定かではありませんが、婚約をどうするか、相手をきちんと知ってから判断するのでも遅くはないのではないですか?」


 サラサの声が脳裏に蘇る。


 ふふふふと得体の知れない声を出しながら肩を震わす私を、ライト兄様とニースが遠巻きに伺う。


 確かに女性から人気もあり、物腰も見た目も王子様キャラで、更には家柄もよく素敵な殿方ではある。


が。


「女関係に地雷だらけの男はもうご免なのよ……」


 馬車の窓をがっと荒く閉めて、見た目と人気具合に一瞬揺らいだ自分の頬をパンパンと叩き、気合いを入れ直す。


「私の人生設計に男運のなさは絶対に絡ませてやるものですか……っ」


 謎の黒々としたオーラを馬車内に漂わせる私を、キョトンと眺めるニースと、ニヤニヤしながら眺めるライト兄様がいた。

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