六話 海老天うどん 3

 美味しくなったギルドの食事。それは冒険者の母数の多い王都で広まったらどうなるか。


 満席で、立ちながら食べる人間まで出始めて、俺はあまりの忙しさに頭を抱えた。その間も手は休めていないが……キツイ。思ったよりこの子達が行き交ってて効率的に動けないというのもあるが、セーラとアンネがいればと思ってしまう。それはこの子達に失礼なので考えから消したが、やはりあの二人は群を抜いて要領がいい。この目が回るような忙しさの中、改めて痛感した。


「どーなってんだ……」

「た、多分、リョウト様のお料理がとても美味しいって広まったんですよ。で、まぁ、噂が噂を呼んで……凄いことに……」

「噂ではどこかで宮廷料理を学んだ、とか! 姫様公認の料理人! とかとか! そんな噂で溢れてるんですよぅ! あのクライベル様が直々に呼んでこられた時点で凄い事なんですよ! でもまあ、一度呼ばれた人は甘いもののスペシャリストで他の料理がてんで……。リョウト様みたいに何でもできる人って珍しいんです」

「そういうもんかね。はい、唐揚げとジル芋のフライセット。ステーキの玉ねぎソースもあがり! エッタ、よろしく!」

「はーい!」


 今日はエッタもエプロンを付けて給仕を手伝ってくれていた。室内にはクライベルさんもいて、目を光らせてくれている。エッタを守るためなのか。それともギルドの盛況を確認するためか、イマイチ判断しにくい。


 それでも混雑気味の店内も平和的に注文が回っていた。一段落して、俺は持ってこられていた椅子に腰を下ろす。きっつ。


「君らも交代で休憩ね。ちゃんと休んで、水分と塩分摂らないとダメだよ?」

「は、はい! テーブルを片付けたらそうします!」

「よし。エッタ、もう大丈夫。城に行くんでしょ?」

「そ、そうだけど……。あ、あのね? やっぱりリョウにも来てほしいんだ。一緒に。なんか、勇気が欲しくて……」


 そういうエッタが、少し何かに怯えている顔をした。ただ事ではないのは分かっているのだが、俺にも仕事というどうしようもないものがある。三日という制限付きの。


 しかし、


「……行っておあげなさい、リョウト君」


 クライベルさんがそう言ってくれて、踏ん切りがついた。


「分かりました。君らは俺抜きで回して、聞きたいことを整理しておくこと。聞きたいことはレシピとかでも何でも構わない。一つでもいいし、複数でもいい。何か考えておいて、それが宿題。エッタ、行こうか。その前に、水浴びだけさせて……」

「! うん!」


 そういうと、エッタはとても嬉しそうに頷いていた。


 全員が微笑ましく彼女を見守る中、俺はシャツを脱いだ。インナーのタンクトップ姿になる。厨房の中はムッとしていた。夏場とかは正直想像したくもない。


「行こうか」

「……な、なんか、薄着のリョウを見てたら、ドキドキしちゃった……」

「いや、まぁ、そんなもんだと思うよ」


 俺も君の薄着見てたらドキドキするし。

 とりあえず、ギルド裏の井戸のある方へ向かった。





 新しいシャツに着替えて、王城に進む。さすがは姫様。衛兵が敬礼する中、顔パスで通ることができた。


 そのまま、執務室とやらに引っ張られて行き、ドアを開けた。妙齢の女性が、金髪を撫でつけてこちらを見て、エッタを見て笑みを消した。なにやら、同じく金髪の男性と会話していたらしい。その男性がこちらを見て、とても柔和な笑みを浮かべた。二十歳前後の、背が高く線の細い、耽美なイケメンだった。


「リエッタ! おかえり! ん? そちらの彼は?」

「えっと、お初にお目にかかり光栄です……えっと、すみません。リョウト・クゼと申しますが……」

「ああ、僕はレジェンサス・ハルコマータ。この国の第一王子だ。よろしく、リョウト君」

「あ、はい。こちらこそ。で、そちらは……国王の奥方様ですか?」

「ええ。ハリエッテ・ハルコマータよ。で、どうしたの、リエッタ。独り立ちなど間抜けなことはやめる気になった?」

「なってないよ。経過を報告しに来ただけ。……錬金術師の商売は、順調だよ。姫様に関しての勉強よりも、成果がある」


 硬い表情のまま紡がれるエッタの言葉は、とても硬質だった。本当に義務から報告しているような感じだ。それを鼻息で一蹴したのは、ハリエッテさんだった。


「そんな無駄な努力をしなくとも、姫として生きればいいのよ。いずれ、立派な貴族や商人の花嫁に――」

「そんなの、嫌だ! 私は……私は、ちゃんと自分で決められる! もう、お母様の操り人形じゃない!」


 エッタが初めて俺の前で見せる激しい怒りに、思わず息を吞んだ。可愛い子って、こんなに怒ってても可愛いんだな、なんて少し場違いなことも思ったりしたが、それよりも珍しさが勝つ。


「リエッタ。ここで暮らすことが、幸福で安寧なの。どうしてわからないの?」

「……そんな人生、欲しくない。私は、錬金術師のシャリエッタなの! やっぱり、来るんじゃなかった……お母様は、結局、政略結婚の道具が欲しいだけなんだね」


 そう言って、彼女は退出していく。ハリエッテを睨んだのは、実の息子だろうレジェンサスさんだった。


「母様、リエッタにあまりにも厳し過ぎます! 臣下や騎士にまで、彼女に関して触れるなと命じておいて、彼女の自由すら認めないなんて! そんなに、自分の実の娘じゃないことが嫌なのか!」

「レジェン、お前にも分かる日が来ます」

「そんな日は来ない! リエッタ!」


 駆け出していく彼を見送り、俺は改めてハリエッテさんに向き合った。


「……貴方は、追いかけなくていいの?」

「必要ありませんし。親子のすれ違いなんて、俺の出る幕じゃない。……ハリエッテさん、あなたは誰よりも……エッタが可愛いんですね」


  ◇


 私――シャリエッタは、扉を出てすぐのところで、荒い呼吸を繰り返していた。やっぱり、お母様は私を愛してくれてない。分かっているんだ、そんなことは。実の娘に産まれてこなかったから、当然なんだ。こなければ、よかった。やっぱり……


「リエッタ……」


 お兄様が肩に手を置くのを弾く。


 こんな時、欲しい人の手がこない。私に、きっと魅力がないからだ。


 でも、そんな彼は、まだ室内にいる。なんでだろう。


「貴方は、追いかけなくていいの?」

「必要ありませんし。親子のすれ違いなんて、俺の出る幕じゃない。……ハリエッテさん、あなたは誰よりも……エッタが可愛いんですね」


 そんなことを言い出すから、ビックリした。

 こっそりと室内を覗くと、驚いた顔のお母様の顔が。あんな顔、見た事がない。明らかに慌てている。


「な、何を根拠に。あの子は、私の娘ではないのよ? どうしてそう思うの?」

「だとしたら、こっそりエッタを助けたりしないでしょう。家に居て欲しいのも、ちゃんとエッタに幸せになってほしいから。今の自分が幸せだと感じているから、彼女にも同じ道を用意してあげたかった親心だと思います。臣下への触れるな、は……恐らく、義理の娘だからという世間の目もあるのと、あまりにも、エッタが可愛過ぎたんでしょう? それと、そのエッタの母……妾の方との交遊もあったはずです。あなたが、エッタが想像するエッタが憎くて仕方がない、なんて存在には、俺には見えないんですよ。違いますか?」

「あ……う……」


 お母様は真っ赤になり、そして溜息を吐いた。呆れたようにリョウを見ている。まるで、知らない人を見ているような気分にもなって来た。

「察しのいい子ね。全部バレてるなんて。そう、亡くなっているシャリエッタの母……フリャーラは私の唯一無二の大親友よ。同じ人を夫にしたいってずっと約束してたんだから。優先順位は、私が一番目になってたけど……あの人は、二人を平等に愛してくれた。その大親友の子よ? 可愛くないわけないじゃない。でも、世間はそう見てくれない。妾の娘にまで優しくしている姿を見せたら、王妃としての品位に関わる。そう、王と二人で話し合い、その取り決めを作った。抱きしめたかったに決まっているでしょう。頭を撫でたかったに決まっているでしょう! 錬金術の才能があった時は飛びあがって喜びたかったわ! あの子が出ていったのも、寂しいけど、自立ができるような女の子になってよかったと心の底から思った。でも、あの子はきっと無理して明るく振る舞ってしまっているの。あれだけ心細かったのに、あの子は変わろうとした。今も、その途中だと思うの」

 語られる言葉に、私は思わず息を呑んだ。


 これが、お母様の……本音、なの? 私が妾の娘だからって、嫌いでは……なかったの?


 苦笑しているお母様が、続ける。

「でも、貴方はリエッタをエッタと呼んでるわね。……私はね、未来永劫、彼女を撫でることはできない。でも、貴方が代わりに、エッタをたっぷり可愛がってあげて」

「お断りします」


 スパッと言い切っちゃった! え、なんで!? リョウ、頭撫でてくれないの!?


「俺は誰かの代わりに彼女を撫でるなんて、そんな行いはしたくない。俺は自らの意思で、彼女を撫でます。彼女を可愛がります。ただ、そうですね。そんなに言うなら、誰の目も届かないこの執務室なら、問題ないんじゃないですか?」


 え、あれ、こっちくる!?


「うわぁ……!?」「うおっ!?」


 扉に寄りかかっていた私達は思わず倒れてしまった。お兄様が倒れ込んでくる。痛い……重い……地面に伸びた私達を、ようやく顔が見れたリョウは笑いながら指さしていた。


「ほら、全部聞かれていたみたいですよ。可愛い可愛いエッタに」

「なっ……!? 貴方達……!」

「母様……」「お母様……」


 もう撤回できないと悟ったか、お母様は視線を右往左往させた後、諦念の溜息を吐いた。そして、咳払いを挟む。


「……こほん。エッタ……その、色々、ごめんなさい。でも、こうすることが正解だと思ったの。この国のためにも。でも、そうね。ここなら……誰も見てないわ」


 腕をひろげるお母様が、見えなくなる。涙が溢れて、視界が滲んで、顔がぐしゃぐしゃになっていくのを感じる。


「酷いことをしてしまってごめん。でも、貴女がまだ私を母だと思ってくれるなら……抱きしめさせて欲しいの」


 優しい声。優しい言葉。心の奥底で求めていたものが突然降ってきて、心が……壊れそうになる。幸せで、おかしくなりそう。


「……お母様に、抱き着いてもいいの?」

「ええ、そうよ」

「……ギュってしてくれるの?」

「いくらでも。だって、私は……貴女の、お母さんだもの」

「お母様……っ!」


 耐えきれなくなって、私はお母様に抱き着く。頭を撫でてくれる。リョウとは違う、細く、柔らかい手が髪を撫でてくれる。それだけで、ああ、たったそれだけで……心が温かさで満ち溢れていくのを感じる。


「……ずっと、こうされたかった。愛してるって、証明してほしかった……!」

「ごめんなさい……エッタ……」

「ううん、お母様の気持ち、やっとわかったから……。でもね、お母様。私はね、お外で頑張ってみたいんだ。誰もを笑顔にする、一番の錬金術師になりたいの。許してくれる?」

「エッタがそれを望むなら。これからは、本当に助けがいる時は言いなさい。母親として力になるから」

「うん……うん……!」


 一通り泣いた後、部屋を見渡すとリョウとお兄様はいなくなっていた。気を遣ってくれたのかな。


「でね、お母様。好きな人ができたの」

「あのリョウトって子でしょう? 分かりやすいんだから、貴女は……」

「えへへ。今リョウトは、この街のギルドで料理を教えてるんだ。明日、またイユフに帰るつもり」

「そう。あんな子が付いててくれると安心だわ。察しがいいし、優しいし、顔も割といい方ね。彼と結婚するなら、一度報告に来なさいね。それと、彼に感謝も伝えておいてくれるかしら。エッタとこうできるきっかけを作ってくれたお礼をね。……じゃあ、もうちょっと、もうちょっとだけ……お母さんに、ギュッとさせてね」

「……うん、お母様……!」


 欲しかった人のぬくもりを、私は存分に味わって。


 夕方まで続いた親子としての時間は、宝物になった。

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