六話 海老天うどん 2

 王都、プレッタ。


 エッタが語ったのは、イユフとはあまり交流のない場所だということ。イユフは南に面してしばらくすれば海が広がる一方、プレッタは北の最南端と呼ばれる場所で、縦に広い土地に繋がっている。谷を行くのだが、その山々から流れ落ちる清らかな水も売りのひとつで、遠い地へ販売されることも珍しくないのだとか。


 そんな関係上、谷の名もない村落では水田が広がっており、どこか日本の原風景を思い出させるかのような、その風景を見たことはないが懐かしいという矛盾を孕んだ感想を抱く。


 途中、ウルフというデカいオオカミのような魔物が馬を襲いに来たが、刹那に見えた炎を纏う斬撃が一撃でウルフを灰にさせた。素人目に見ても強そうなのが分かる。その熱量が膨大なのは、馬車の中にいても熱波で伝わった。


 馬車の中には、俺、隣にエッタ、正面にガルが座っている。ガルはチラチラとクライベルさんの方を見ている。気にしているのだろう。彼はとてもクライベルさんを尊敬しているようだし。


 休憩も挟み、夕方と呼べる時間になった頃、ようやく馬車が辿り着いた。


「おおおお……」


 荘厳な滝を背後に構える場所が高いお城。その城下町は壁で覆われていて、高い位置から降りていくような、そんな街が広がっている。


 門は開けられており、荷馬車などはチェックが入るのだろう。都度止められている。


 御者は構わずに門を通ろうとして、御者台に誰が座っているのかを見て、敬礼をするだけに終わった。さすがクライベルさん、有名人だ。


 この馬車は渋々、グレが操縦しており、クライベルさんと二人で御者台に。後でなんか奢ってもらうからな! と何故か涙目で俺が詰め寄られたのだが、なんでだろう。やっぱ有名人だから緊張したとか?


 ともあれ、馬車を降りて、俺達はハルコマータのギルドの総本部に向かった。


「おお、大きい建物ですね」

「デカさは無駄にあるぞ。さ、入ってくれ」


 先導するクライベルさんに続き、俺とエッタ、ガルがそこに入る。


 イユフよりもさらに凄い臭気が襲って来た。タバコと酒の臭い以外、ほぼほぼ感じない。なんて場所なんだ。煤でなんだか視界もぼやけているし。


「おーい、ギルド公認店の料理人連れてきたぞー」

「クライベル様、一緒ですって誰を連れてきても。味が劇的に変わるわけじゃないでしょ?」

「そうかな?」


 エッタに頼んで失敗ポーションこと醤油も持ってきていた。ここで通用しなければ、俺も店に自信が持てなくなる。


 笑みを浮かべて、俺は全員に頭を下げた。


「リョウト・クゼと申します。大抵のものはご用意できますので、お申し付けください」

「んじゃ揚げ物。鶏」

「はい、鶏の揚げ物。他には?」

「いやいいわ。ここでガッツリ食うわけじゃないし。酒のつまみになれば」


 どうやら状況はイユフよりもマズいらしい。

 俺は早速厨房に入る。キッチンスタッフの女の子が訝しげにこちらを眺めていた。


「なんです、その褐色の液体は」

「なんだろうね。本当に知りたくなったら教えてあげるよ」


 材料は豊富にそろっていた。だが、清掃がなっていない。正直目も当てられない惨状だ。それは後で掃除するとして、俺は早速調理を。


 唐揚げを仕込み、揚げて、出してみる。低温から高温への移動が肝の、俺の唐揚げ。見た事がないのか、訝しげに金髪の青年がそれを齧り、目を見開いた。


「うんまっ! なんだこれ、うめえ! お、おい、みんなもなんか頼め。この料理人やべえかもしれねえぞ!」

「お、おれ、ミートボールパスタ!」「ハンバーグ!」「ステーキ!」「魚の串焼き!」

「はい、お待ちを」


 的確に注文を捌いていく。どの料理も概ね好評を得て、川魚だけは内臓を取るなと怒られてしまったが……危険だぞ食べるの。苦いし。


「クライベル様、凄いですね彼! 本物の料理人ですよ!」

「お褒めに預かり光栄です。美味しいと喜んでもらえるのが、何よりの幸せでございます」

「う、うおお……」


 笑みを浮かべる俺に、キッチンスタッフの女の子達が裾を引っ張ってくる。


「あ、あの! おしえてください!」

「そのつもりで来たんだ。俺は三日しかいない。分かんないことがあれば聞いて、頭に、体に叩きこんで欲しい。で、俺の料理にはこの醤油って言う、まぁ、このエッタが作る失敗ポーションが欠かせなくてね。認めてもらったら、彼女から納品してもらうようにしてね」

「は、はい!」

「よろしい。では、何から行こうか。基本的なステーキの焼き方からいこうか? ソースの作り方も一通り教えるから、なるべく一発で覚えて。三回目は答えないからそのつもりで」

「な、何故ですか?」

「やる気があるのに二回もチャンスあって覚えきれないなんて俺の中では無しだ。それか向いてない。じゃ、まず肉を焼く時はまずは強火、で、ひっくり返したときに弱火で――」


 俺のやり方を教えていく。彼女達もアンネには劣るが、優秀な部類だった。ちゃんと自分でメモをして覚えられるような工夫もしている。さすが本拠地、やる気と向上心のある人材がそろっている。


 エッタは俺が指示や教えを飛ばす様を、ガルとクライベルさんとで一緒に眺めている様子だった。それならそれで問題ない。


「違う、唐揚げは片栗粉じゃなきゃザクっとしないよ。どうしても小麦粉で揚げたいなら半分をよく混ぜて」

「は、はい!」

「ほらそこ、塩を使い過ぎ! 酒で流し込まれるだけの塩辛く油分しかないような料理の考えは金輪際捨ててくれ。肉はちゃんと水分拭き取って、塩コショウで下味! これが基本! ここでやり過ぎて味付けちゃったらダメだから! んでハンバーグは真ん中を窪ませて成形! 膨らんでくるでしょ? 破裂したら見栄えが悪いから。ちゃんとこれからは視覚的にも美味しそうに見せてくれ。そう、シチューの最後のポイントは塩なんだよ。根菜や鶏からいいスープが出てるでしょ? それをキリっとさせるのが役割。で、クリーミーさだけでは単調過ぎて舌が馬鹿になるから、コショウも入れる。これは入れすぎないで。辛くなるから。そう、そんな感じ。よーし、そうそう、ステーキソースはちゃんとフライパンの肉汁も使うこと。肉汁は余さず利用しようね」


 大回転を試みるギルド本部。噂が人を呼んだのか、今日は料理が大盛況らしかった。過去の売り上げを更新したとかなんとか。


 慣れない指導や調理環境の違い、加えて清掃の指導と実際に掃除を行い綺麗になったキッチンを後にした俺は精魂果てるほど疲れ果て、俺はとっぷりと日が暮れた頃に自由になった。しんどい。冒険者協会が宿をセットしてくれたらしいので、そちらへ向かう。その前に井戸で体を洗った。


 サッパリして部屋に行くと、エッタが寝息を立てていた。え、何でいるの? というかベッド大きくない?


 受付で話を聞くと、なんでもシャリエッタと一緒の部屋にしたのはクライベルさんのようだ。なんでそんなことするかな、一応男女だというのに。


 でも、俺も深く考える余力はなく、フカフカそうなベッドに抗えるわけもない。


 隣に仰向けになると、すぐに睡魔が襲ってきて、俺を眠りへと誘った。





 んんん……? なんか、柔らかいものが……顔に、当たってる?


 甘い匂いがする……なんだこの花みたいな香りは……。


「んうっ!?」


 甘く、驚いたような声がして、思わず目を開く。


 目の前に、立派な二つの白い山と谷が。胸だ……おっきいな……。


 視線を上げていくと、真っ赤になっていたエッタと目があった。


「……お、おはよう」

「お、おはよう。エッタ、昨日俺もここで寝るって話聞いてた?」

「う、うん。……ちょっと、照れくさいや」


 そう言って彼女が距離を取った。


「いや、大分離れてたんだけど、なんであんな至近距離だったのさ」


 俺は寝相はいいはずなんだが。

 言うと、上目遣いで彼女は「あー……」とつぶやきつつ、続けてくる。


「お、怒らない?」

「別に怒ったりはしないけど」

「え、えっとね。リョウをギュッとしたくて……胸に抱きしめてたんだ。だ、ダメだった?」

「いや、構わないけど。次は俺が起きてる時にして。そっちの方が幸せそうだ」

「わ、わかった!」


 ともすればセクハラ気味なセリフなのだが、彼女は拳を握り締めて眦を上げ、決意を固めているようだった。燃えているところ悪いが、そんなに気合がいるならやんなきゃいいのに。


「ギルドに行こうか。朝ごはんにしよう」

「はーい!」


 元気よく返事をして、着替え始めるエッタから音速で逃げ出す。ドア越しに白旗を上げることにした。


「あのさ。俺も男だから、そういうのは……その、性欲抑えらんないから勘弁して」

「リョウならいいもん」

「俺が良くない。恋人にすらなってないんだから、そういうのは時期尚早だ。着替え終わった?」

「うん」


 室内に入ると、まだ下着姿のエッタがニッと笑った。メリハリの効いてるくせに、細いボディーラインが眩しい。白のタイツとブラジャーの姿だったが、それだけでも破壊力は十二分……心臓が早鐘を打っていた。鼻血でそう。


「あはは、リョウ! 顔真っ赤だね!」

「あのなぁ……恥ずかしくないのか?」

「恥ずかしいけど、それ以上にリョウに喜んでほしい!」

「こういうのは勘弁して。頼むから。抑えらんなくなる」

「具体的には?」


 にゃろう。真顔で訊いてくるものだから、もう直接教えてやる。


 俺は華奢な彼女を折れんばかりに抱きしめる。首元に顔を持ってきて、思いっきり彼女の香りを吸い込んだ。甘く鼻腔の中で燻って、脳髄を溶かすほど甘い匂いが衝動を焼き切らんとしていた。


 顔を離すと、真っ赤になっているエッタが驚いた顔で立っていた。人が慌てていたら、自分が冷静になれてしまう。微笑みまで浮かべる余裕ができてしまった。


「こういう目に遭います」

「……じゃあ、ギュッとして欲しい時は下着姿で待ってるね」

「やめろっつってんの!」

「あだっ!?」


 額を小突いて、俺は自分の荷物を取って外に出る。


「俺は先行くぞ」

「ああ、待ってよぉ!」


 彼女を待たず、俺は先に出ることにした。


 これ以上彼女に付き合ってたら脳が沸騰する。よく耐えたよ、俺。普通押し倒してるって。絶対そのまま昼過ぎまで求め合うって。


 確かに、彼女の孤独も完全に理解できるとまでは言えないが、想像するに難くない。ずっと頭を撫でてもらえなかった彼女にできた、褒めて、頭を撫でてくれる俺という存在はきっと誰よりも近く感じるはずだろう。

けど、それと恋愛とか性の対象と結びつけるのはとても――とても安直だ。もっと彼女は自分を大事にして欲しい。俺なんかとあんないい子がつりあっているとも思わないし思えない。


 でも、エッタは俺に好意を抱いている。でなきゃあんなことはしないだろう。

それ自体は悪い気はしないし、嬉しかったりはするのだが。あんなにド直球に求められると俺の心臓に悪い。


 未だにドキドキしている心臓を宥めながら、俺はギルドへと急ぐのだった。

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