六話 海老天うどん 1
「おい」
ロワゾブリュ・ブランシェで仕事、そして銭湯、更に仕事のコンボを一週間こなしていると、朝一番に紅茶を飲んでいた俺へ、アンネが唐突に大きな包み紙を手渡してきた。
少し戸惑うものの、受け取ってみる。そこそこ軽い。なんだろうか。
「えっと……?」
「やる。こんなにお世話になってるんだ。感謝の気持ちというやつだ。受け取れ」
「お世話って……銭湯とか? 従業員としての福利厚生だけども」
「よく分からん言葉はいい。これからも頑張るぞ」
「開けていい?」
「ああ」
開けると、上物のシャツが数枚と革のエプロンが収められていた。シャツは手触りからして違う。これ、高級品だ。シルクに近い!
「ちょ、これ、高かっただろ。なんかごめん、アンネ」
「気にするな。お、お前に似合うと思って買ってきたんだ。素直に受け取れ!」
「……ありがとう。大事に着るね」
俺は着替えに自室へ向かった。元の世界でもちょっとなかったシャツの感じに驚きつつも、エプロンも着けて戻って来た。
「ど、どう?」
「うん、お前にはそういう格好が似合う。女性もいっぱい入ってきてるし、お前も少しはカッコつけろ。男はカッコつけてなんぼだ」
なにか……アンネの男性像は偏ってないか? と若干思いつつも、まぁ偏りなんて人によって違って然るべきだな、と思い直して、俺は頬を叩いて気合を入れた。
「よし、今日も頑張ろう、アンネ」
「ん。それでよし」
「ふぁー、おはよーございまー……あ! ご主人様がいい服着てる! これアンネちゃんが!?」
「そうだ。こうでもしないとこの男は身の丈に合った品を身に付けないからな。ずっと気になっていたんだ。もっと店長としての身なりに気を付けろ。それも商売のひとつだ」
アンネの言葉に、思わず目からうろこが落ちるような気分だった。なるほど、確かに上の者としてのふるまいなど、気に掛けたこともなかった。それは店の格にも大きくかかわってくるのだと、分かってはいたというのに。理解までしてなかったんだ。
そして、俺の格が低いと、彼女達にまで影響が及ぶ……それに考えがいかなかった自分を今すぐぶん殴りたい。
アンネの頭を撫でる。すぐ払いのけられてしまったが、俺は笑みを浮かべたまま。アンネに頭を下げた。
「ありがとう、アンネ。俺が悪かった。俺がそういうカッコをしてないと、君らまで舐められてしまうよな。すまなかった」
「ん、分かったならいい。上に立つ自覚を持て。リョウト、お前は今まで下で働いていたんだろう? 見れば何となくわかる。けど、お前は従業員を預かる身だ。よく分かったな?」
「勉強になるよ、アンネ。気を付ける」
「メンタルやモチベーションはアンネの方が上で、調理なんかはご主人様が上。教え教えられる関係というのは熱いですねえ」
セーラが自分の分の生姜紅茶を入れながら俺と同じ卓に着く。それを確認して、俺はアンネに視線を配った。
「アンネ、今日は何か覚えてみる?」
「では、麺の打ち方を教えてくれ。ほら、うどんとか言う奴。この間カレーを乗せてくれて、とても美味かった! あれを作れるようになりたい!」
「オーケー。とはいえ単純だしなあ。ジェルが来る前に仕込むよ。今からやろう」
「おう! 頼む!」
うどん打ちは水と中力粉と食塩を混ぜて練っていく作業だ。工程によってうどんを踏んだり、寝かせたりするのだが、俺のうどんは寝かすだけの工程だ。
福岡うどんを作っている。コシがなく柔らかいのが特徴で、麺がよく出汁を吸い込んで少し時間を置くとぷわっぷわになってしまう麺だ。他と比較すると水で締めないことが上げられる。
「ほうほう、小麦がまとまっていく……パンに近いものがあるな」
「ええ。これで、冷暗所で寝かせておいて……昨日置いておいた生地を取り出す。打ち粉……薄力粉をたっぷり纏わせ、薄ーく伸ばして、畳んで、切っていくんだ。麵切り包丁も届きましたので……」
「デカい剃刀みたいだな」
「あはは。で、等間隔でなるたけ切っていくんだ。一束くらいになったら取り出し、打ち粉をたっぷりで麺同士が引っ付かないように。ここで粉を惜しんだらいけない。後で塊になって凄いことになるから」
「うむ。やらせてくれ」
「ええ、どうぞ」
……ほうほう、初めてにしては上手いな。そこそこ揃っている。しかし、アンネは不服そうに頬を膨らませた。
「やはりお前みたいに美しくはないな」
「こればかりは慣れだからね。一緒に慣れていこう」
「分かった。で、出汁の取り方も教えて欲しい」
「いいよ。まずは、この昆布だけど、料理酒を含ませた布で表面を拭いて、切り込みを入れて水から――」
そうして、俺の和風出汁の取り方も伝授していく。分量は恐らく目で覚えているんだろう。俺の隣で、ほぼ同じものを作れていた。
「おお、いい匂い! ここからどうするんだ?」
「醬油を入れて、塩で味を調節。ほら、イイ感じの出汁になった」
「うん……美味い。塩気じゃなく、なんて表現したらいいのか、味が複雑だが調和してる。なるほどな。毎度斬新な発想だ。凄いぞリョウト!」
「お褒めに預かり光栄の極み、ってね」
「うん、その恰好ならその言葉もちゃんとしている」
真顔で言われると若干恥ずかしいんだけど。このアンネも美少女だからな……。というかなんだ、俺の周りの女の子可愛過ぎじゃね……?
と、入店するいつもの姿。
「おはよー! リョウ、朝食出して」
「はーい、今日は何にする?」
エッタは元気よく片手を挙げた。
「朝うどん! 大盛り!」
「はいよ了解。アンネが打ったやつ食べてくれないか?」
「おお、アンネちゃん凄い! うどん作れるようになったんだね!」
「まだこいつには及ばないけどな」
アンネが作ったうどんは俺の昼食と夕飯になるだろう。少し不揃いだが、それによって食感が均一でないのが気になる。それも手作りうどんならではのアジというものだが、さすがに客に出すには躊躇われる。
誰も気にしないかもしれない。けれども、気になるかもしれない。
できることを全力で。万に一つのマイナス要素も、お客さんの前に披露したらダメだ。
ウチにきた以上、食事という極上の娯楽を味わい尽くしてほしい。
湯切りして、ちょっと冷水で締めてみる。
「ん? 今までそのまま器に入れてたよな?」
「ちょっとした工夫かな」
冷水で締めた麺に熱々の出汁を掛けて、今日はエッタの大好きな甘辛く醤油と砂糖などで炊いたバッファローの薄切り肉……つまるところ肉うどんが完成。
ラーメンとチャーハンをヘビロテしていた彼女だが、今度はうどんと唐揚げ丼をローテーションしている。ワカメなんかも入れてみるが……ちょっと無駄なあがき感がある。まぁ、若いなら平気なのかもだが。
「わーい、美味しそう! 頂きまーす! ……んん? 麺が、いつもより弾力ある?」
「水で締めたんだ。こっちの方が好き?」
「うん! いつものは箸だと持ち上げるの難しかったから」
ああ、なるほど。ぷわっぷわになった福岡うどんは地元民すら苦労するからな。そういう意味では締めた方がコシも出てくるし、そっちの方が良いのかも。地元の味を再現するということにとらわれ過ぎていたな。
「さて、今日は何が出そうかな……暑くなるらしいし、冷肉のサラダかなあ」
「あれ美味しーよねえ! あのしょうゆと柑橘のサラッとしたドレッシングが!」
「ポン酢ね。ドレッシングを作ってもいいんだけど、まぁ、ポン酢でいいかなって」
「あ、作れるんだ、ドレッシング」
「そりゃね。ん、らっしゃい」
ジェルが魚の入った籠を店内の奥に置いてくれる。俺はうどんの準備を始めた。今日ジェルに食べさせるのは、海老天うどんだ。昨日活きのいいエビを仕入れてくれた。それがまた大振りで、昨日はミックスフライ定食をオススメしてたな。タルタルソースも中々良くできていた。
席に座るジェルに、セーラが水を置いた。それを飲んで、彼はこちらを向く。
「今日は何をご馳走してくれるんだ?」
「海老天を。そろそろ暑いし、ざるうどんにしてもいいかもな」
「ざるうどん?」
「冷たいつゆで食べるうどんなんだ。にっぽ……リンガのざる蕎麦みたいな感じなんだけど、分かる?」
「分からん」
「じゃあ明日はそうしようか。美味しいよ。天ぷらも数種類作るから」
「ああ、楽しみにしている。今日の海老天も楽しみだ」
「お待ちくださいませ」
「リョウト、やろうか?」
「いや、手が空いてるので俺がやるよ」
「ん、わかった」
「お、おいリョウト!」
駆け込んできたのはガルだった。うどんを茹でる俺に、彼は荒い息を整えながら近づいてくる。
「こ、ここ、ギルド公認になったろ!? 査察にハルコマータのギルド協会の総責任者が来るんだよ! ここに!」
「はぁ……。それが何か?」
海老天うどんをジェルの前に出し、泡を喰ったように慌てるガルに向き直る。
「ヤベェことなんだって! ハルコマータギルド総長、クライベル・ガウンヒルトは美食を食べまくってて生半可なものじゃ満足できねえんだ! 気に入らなかったらギルドの提携切られるどころか悪評流されて最悪潰されるぞ、この店!?」
「そしたらまた一からやっていくさ。俺のやることに変わりはないよ。全てのお客さんに今自分ができる最高の料理を出す。その人が来ても同じさ」
「その通り。飯屋はそうでなくてはならん」
初老のしゃんとした背筋の男性がにこやかに入店していた。いつの間に。
あのガルも頭を下げている。確かに、なにか雰囲気があるな、この人。
「総長、お疲れ様です!」
「疲れるほど仕事をした覚えはないが。今日は査察と称して、あの跳ねっかえりのアンネローゼが認めたという人物を見に来たのだが、いやはや心意気は素晴らしい。時に、見た事ない料理を彼は食べているが」
ジェルを見てそう言っていた。ジェルは軽く頭を下げて、海老天うどんを食べている。
アンネはじぃ、と彼を見上げていたが、やがて口を開いた。
「なんだよ、パパ。食べにきたんじゃないのか?」
「愛娘の舌を疑うものか。ここへはプライベートという奴だよ。さ、店主君。お名前は? ちなみに私は、クライベル・ガウンヒルト。好きに呼んでくれたまえ」
「く……リョウト・クゼです。クライベルさん」
「ではリョウト。この店で一番のメニューを出してくれないかね」
「それだと全部になりますが……」
そう返すと、目を丸くして、さも愉快そうに彼は喉の奥で笑っていた。
「くくくっ、いや、まさしく。こういう男の料理を求めていたのだよ。では、指定させてもらおうか。麺料理を頼む。見た事ない料理が見れそうだ」
「ではラーメンにしましょう。チャーハンもお付けしますか?」
「うむ、よく分からんがつけてくれ」
「かしこまりました。今しばらくお待ちください」
いつも通りだ。炊いておいた白飯、溶いた卵、刻んだチャーシューに長ネギ。卵を最大火力のフライパンに投入し、半ば固まってきたら白飯。ある程度混ざったら残りの具材を入れて塩コショウ、醤油で味を付けて出来上がり。チャーハンのコツは油だ。今回はラードをたっぷり使った。フライドライスと言っても過言ではないほど豪快に使うのがコツだ。
続いて、ラーメン。醤油に昆布やトビウオなどで強化されたタレをどんぶりに注ぎ、その上から鶏と豚を煮込んだスープを注ぐ。美しい透き通った褐色となったスープに、ゆで上がった麺を乗せ、泳がせるように撫でつけて綺麗に演出。そこにチャーシューを二枚、白髪ねぎ、半熟の煮卵を半分に切って添えれば、完成だ。
「お待たせいたしました。ラーメンとチャーハンになります」
「うむ。こういうのが食べたかったのだよ。気取ったコースなどよりも地元民が食べているだろう料理をな。箸はあるかね?」
「どうぞ」
「うむ。頂くとするよ」
まずはスープから行った。無言でラーメンを啜り、チャーシューを喰らい、間にチャーハンを挟んで半分程食べて、ラーメンを汁まで飲み干し、チャーハンも完食していった。ガルの食欲とそんなに大差がないが、所作がより洗練されている。
「うむ! 美味かった! いい店を出しているな、リョウト君。君はもう、恐らくハルコマータで一番の料理人だろう。この料理の完成度は素晴らしい。芳醇な香りのする小麦の麺、魚介や動物の旨味をミックスさせたスープ、口に入れるとほろりと溶ける豚の煮物、そして味の付いた卵……全てが互いを引き上げているのだ。素晴らしいよ。これだけの麺料理はそれ専用の専門店を出したいくらいだ。そんな君にお願いがあるのだが……君の技術を伝える気はないかね? そうすれば、もっとハルコマータの食生活が豊かになる! レシピなどを書いて、それを出版しようではないか!」
「いいですね。けど、自分は文字が苦手で……」
異世界文字はある程度読めるようになってきたが、書けはしない。難し過ぎる。
「ほほう。アンネローゼ、技術の習得に後どれくらいかかりそうだい?」
「分からない。正直、毎日吸収するものが多過ぎて……引き出しが物凄いんだ。だから、ジャンルを区切って教わった方が良いかもしれない」
「ふーむ……。リョウト君、ウチから二名出す。彼らの給金は協会側が払おう。そして資金面でも、このロワゾブリュ・ブランシェを援助させてもらう。だから、教えてやってくれないかね」
「それは無理ですね。この厨房だとアンネひとりの方が良い。他は……率直な物言いをすれば、移動などの観点で邪魔になります」
「ふーむ……では、リョウト君。三日、休日は取れるかね?」
「あ、はぁ……アンネ、俺がいない間、メニュー表にあるのはできそう?」
「可能だ」
「良かった。その三日間で俺がどこかに行って教えればいいんですね?」
「話が早くて助かる。王都プレッダのギルド協会本部で腕を振るってほしい。報酬も確約しよう。なるたけ、君の考えている思想や技術を、惜しむことなく伝えて欲しい」
「勿論です」
俺の技術はまだ発展途上だけど、役立つなら是非学んでほしいし、こちらもこの世界の食文化をもっと知りたい。断る理由はない……こともないか。ちょっとアンネが不安だ。まだ教え切ったわけではないし。愛弟子と言えばそうなんだけど、あれから一週間程度でどこまで一人で出来るのか。まぁ、要領いいからぱっぱとこなしそうではあるんだけど。
ふと、クライベルさんがエッタの方に視線を向けた。
「シャリエッタ姫も、ご一緒にいかがかな? 一度、王宮に帰った方がよさそうだが」
「……そうだね。一旦報告に帰るよ。リョウトもいるし!」
クライベルさんは頷き、そしてガルに顔を向ける。うわ、あのガルが緊張しているようだ。珍しい。
「ガルガデッド、彼らの護衛を頼みたい。万一もあってはいけないからね」
「了解したぜ、総長!」
「よし。では、早速行こうか。私はあまり無駄が好きじゃなくてね」
「アンネ、大丈夫そう? セーラ、バックアップしてあげて」
「アホ。こういう時は、信じてるの一言でいいんだ。守り切ってやるから安心しろ」
「わかった、信じてるよ、アンネ」
「おう!」
「バックアップは優秀メイドのセーラちゃんにお任せあれー!」
「頼もしいよ、セーラ。俺がいない間は、二人とも銅貨二枚分プラスさせてもらうよ」
「やったぜ!」「ひゃっほう! さすがご主人様!」
これで店側は大丈夫だろう。
俺はエッタに向き直る。エッタも俺を見上げているようだった。
「よろしく頼むよ、エッタ。で、その王都プレッダまでは遠いの?」
「ううん、山で見えないけど谷を馬車で通れば半日で着くよ。魔物が出るけど、私がいるし、ガルガデッドもいるし、いざとなったらクライベルさんもいるから!」
「総長様のお手を煩わせるこたあねえ。オレが一人で何とかしてやるぜ」
「ふむ。私も動かなければ鈍ってしまうからな。私にも剣を取らせてくれ、ガルガデッド」
「総長がそう仰るなら……」
「クライベルさんってお強いんですか? 穏やかそうですし、戦っている姿が想像できないのですが……」
俺の質問に、ガルは顔を真っ青にしていたが、クライベルさんはまたも喉の奥で笑っていた。慌ててガルが俺の頭を掴む。
「ば、馬鹿かお前は!? ハルコマータで知らないやつはいねえ剣の達人なんだぞ!? 何失礼こいてんだコラ!」
「あ、そうだったんですね。すみません、何分俗世に疎いもので……」
「そうだよ、リョウト。この人凄い人なんだよ! 十歳で最年少でのドラゴン討伐を成し遂げて、二十歳で剣王って呼ばれてて、なんか、こう、各地のギルドで何百人ものお弟子さんがいるんだ。ハルコマータで知らないの多分リョウトだけだよ」
「え、そうなの……?」
メチャクチャ有名人らしい。まぁ、常識だったろうし、常識をわざわざ話題にする人間などいない以上、俺に知る手段はなかっただろう。
「すみません、クライベルさん……」
「くくく……っ、いや構わんさ。ああ、面白い。私を知らないのであれば、物腰柔らかな老人に見えるのは致し方ないこと。にしても我が名前はこの国全土に届いていると思っていた。私もまだまだ未熟よな。精進するとしよう。ガルガデッド、行きは私だけで魔物に対応しよう。君は帰りを頼まれてくれるか?」
「お、おう! 必殺の剣、勉強させてもらいます!」
「何、ただの老人剣術よ。大剣は持てなくなったしな」
それでも大振りな、取っ手でわかるが片手剣が鞘に収まっている。マントを翻し、白い装束を纏ったクライベルさんが先を行く。
「行こ、リョウト! 私の故郷――プレッダへ!」
「ああ、行こうか、エッタ。その前に準備してくるね」
「! ……ほほう、君はその呼び方を許されているのか。青春だな」
顔を赤くするエッタは無言でこちらの服の裾を握ってくる。
「……エッタも準備しようか」
「う、うん! そうする!」
裾を離して駆け出していく彼女を見送りながら、俺は自室へと向かった。
エッタの故郷か……どんな場所なんだろうなあ。王都って言ったら、活気があるんだろうなあ。
想像だけが無限に広がる中、俺は新しくアンネに貰った服などをリュックに詰めて、俺はとりあえず心構えだけはしておくのだった。
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