五話 カツカレー 1

「美味いぞ……! 思い出を凌駕する味だ!」


 朝。魚を卸しに来たジェルがうどんを食べて喜んでいる。一緒に来ていたグレは同じくうどんを前にしていたものの、二本の棒を前に途方に暮れている様子だった。彼にフォークを渡して、微笑み返す。


「良かった。鰹節がないのでどうにも想定とは違うんだけど……鯖節があるのが救いだった。あご出汁もあるし……うん、満足な出来だよ」

「? よく分からんが、魚介の使い方が上手い。このお揚げ? だったか。これも甘い汁が溢れて堪らん……! にしたって、お前の魚の捌き方は洗練されている。他のやつにも教えていいか?」


 相変わらず何が通じて何が通じないのか分からない。言葉自体が通じているのは今でも奇跡だと思っているし。


「どうぞ。質のいい切り身が出回るとまわりまわって自分も助かるので」

「助かる。最近は魚すら捌けない漁師がいる始末だからな。漁師の風上にも置けん」

「別によくねー? 漁師は魚さえ取ってくりゃいいんだよ」


 ようやく食べれるようになったグレがうどんをすすりながらそういうが、それをジェルは睨んで、呆れたように溜息まで吐いていた。その様子にグレが少し眉をつり上げる。が、そんなもの関係ないと言わんばかりに、ジェルは口を尖らせた。


「良くない。どういう風に捌いて、どこが美味いのか。海を知り、魚を知らば、百戦危うからずだ。それでも海では何が起こるか分からない。油断したやつから死んでいく。海とはそういう場所だ。何事も万全に、だ。ご馳走様、凄く美味かった……次はきつね以外のトッピングを頼む」

「ご立派。漁師の鑑」


 肩を竦めるグレに、フン、と鼻息を鳴らし、ジェルはこっちにどんぶりを渡してきた。俺は無言で受け取りながら、ジェルの言葉を反芻する。確かに、油断は禁物だ。


 こういうプロの話は割合楽しかったりする。意識してないとできないことだったり、高い意識の保ち方など、色々参考になることが多い。


 はたと思いついたので、明日のうどんを伝えてみることにした。


「ああ、なら次は、俺の故郷のかしわうどんをご馳走するよ」

「どういうものなんだ?」

「甘く炊いた鶏肉を乗せるんだ。そして、天かすという油と小麦粉で作ったトッピングも乗せる。鶏の脂と甘い味付け、そして天かすの油でコクと奥行きが生まれる……」

「うっ……美味そうだな……。明日が楽しみになった」

「で、おれのうどんの上に乗ってるこの物体、なに? どういう料理なんだ? 外はふわっとしてて、モチっとしてるけど。魚だよな、美味い」

「白身魚の練り物だね。何天になるのかは分からないけど、すり身を丸く成型して揚げた、所謂丸天って言うものだよ。今回はオーソドックスに塩と叩いてすり鉢で練った白身、繋ぎに小麦粉とか入れて揚げ上がりを少しふんわりさせたんだ。俺の住んでたところでは欠かせない存在だったね」


 丸天うどんは福岡ぐらいにしか存在しないと言われた時、そりゃもう絶大な衝撃を受けたほどだった。自分が当たり前だと思っていたうどん屋の定番が青森に行って修行してた時、ニッチなもの扱いされてたんだから悲しみもひとしお。


「いやー……ますます、その日本? って国が気になってるぜ」

「与太を言わない人柄だというのは分かっているが、未だに信じがたいな。部屋に車輪ついてて自走し、舗装されてない道を探すのが珍しい国というのは」


 自分の過去は吹聴しない主義なのだが、グレが非常に話が上手くて、つい乗せられる形で俺の過去を喋っていた。どんな国に住んでいたとか。まぁ、これでグレが少しでも安心してくれたらいいなと思う。大事な姫様の近くに素性も知らないやつを置いてても怖いだろうし。そう言った意味もあるので今回は話すことにしたのだ。


 とはいえ、そんなおとぎ話のような国の話など、信用などないのだけれども。


「船も帆船じゃなくて化石燃料で動くんだ。どの辺に魚がいるとか調べる探査機もあるんだよ」

「つくづく夢物語のようだが……お前が言っていないと信じてないぞ」

「あはは、まぁそんな国もあると心に留めて頂ければ」


 落ち着きながら、俺も眠気覚ましの生姜紅茶を飲む。うん、いい香りだ。セイロン系のように癖がなく、味はキャンディのように甘みが強い。独特な茶葉だったが、一般流通している紅茶はこれらしい。渋みもないし、アイスティーにしても美味しそうだ。ミルクティーも悪くはないが、もう少し香りが煙たかったり、渋みが出て味に奥行きが生まれている茶葉の方がよりおいしくなる。日本なら、アッサムになるのか。


 ふと入ってきた男を見て、俺は目を丸くした。スーツだ。この世界にもあるのか。


 逆に彼も驚いているようだった。俺を指さすその手が震えている。


「あれ、ユキじゃん。店は教えたけど来るの早くね? あ、リョウト、こっちは知り合いの医者……ってどしたのお前ら。見つめ合って。恋か?」


 俺もにわかには信じられないが、この肌の色……スーツ……


「ジャージ……? ま、まさか、日本人か!?」

「え、ええ。ということは、スーツ姿の貴方も……?」


 日本人なのか? という俺の問いに、彼は頷いて見せた。


「ああ。混乱させてしまって済まない。草壁由紀だ」


 そう言って、彼は長髪を撫でつける。異様に容姿が整った男だ。スーツの上に白いローブを纏っているのが、なんかちぐはぐだ。背は高く、細身のシルエットで、顔はクール系なのだが柔和な笑みが浮かべられ、不思議な魅力を醸している。


 歳の頃合いは、二十代後半か。いや、もっと行ってそうだ。三十代かな。


「草壁さん、始めまして。久瀬亮人です。リョウトと呼んでください」

「あ、ああ。で、ここでは日本食を出していると聞いてね。いや、この世界で言うとリンガ風か。俺も説明がめんどくさくて、リンガ出身と説明してる。……で、亮人君。頼む、何か鍋料理を作ってくれないだろうか。俺は鍋が好きでな……しかし、俺に調理のセンスは皆無だった。どうも美味くならん。できれば、水炊きとか寄せ鍋がいいんだが……」


 ぽん、と銀貨を置いた。本気のようだ。


「では水炊きにしましょう。鶏の出汁はありますし、ポン酢もありますしね」

「うおおお、ポン酢だと!? ほ、本当かい!?」

「ええ、お待ちくださいませ」


 この国は結構面積が北と南に延びているらしく、米や小麦がWで主食になっている。様々な食文化がまじりあって、様々な食材が流通している。


 まず鶏出汁で白菜とネギを入れる。更に鶏を微塵に切って叩き、同じく細かく切った人参とゆずの皮、白ネギとを混ぜてすり鉢ですって団子状に。鶏団子を入れて、骨付き鶏をぶつ切りにして入れて、白菜がとろとろになるまで煮込む。


 その上から葉の部分を入れ、豆腐を静かに入れて、ヒラタケのようなキノコを入れてみる。全体がぐつぐつし始めたら、これで完成。


 ポン酢は醤油2、酢1でつくり、上に冷凍していた柑橘の汁を入れる。溶けたらポットに入れて、鉢のような取り皿を出して、完成。


「どうぞ、鶏の水炊きです」

「おお、透き通ってて、鶏の脂で黄金色に出汁が輝いている……!」


 鶏の出汁は本来白濁するのだが、出汁の取り方を工夫して丁寧にすると、透き通るのだ。


「頂きます!」


 草壁さんが一口食べ、それからあっという間に気持ちいい食欲で食事を空にしていった。


「……美味い……やはり日本人は醤油だ……」

「〆はうどんか雑炊、どちらにしますか?」

「うーん、うどんで。うどんも置いてあるのか、素晴らしい」

「かしこまりました。今朝、打ち立てで熟成がまだなのですが……」

「とんでもない! 打ち立てのうどんが異世界で食べれるなんて……! なんとか生きててよかった……!」

「味を付けます? ポン酢で食べます?」

「ポン酢で食べる」

「かしこまりました」


 その後、鶏団子と白ネギを追加し、煮込んだうどんを出す。

 気持ちのいい食欲は続いた。あっという間に鍋が空になる。


「ほー、表情を変えない根暗のユキが嬉しそうにしてらぁ」

「珍しいな。そ、そんなに美味かったのか?」

「う、美味かった……今まで食べたどの水炊きよりも素晴らしく感じたよ」

「久しぶりだからじゃないですかね。平均よりは美味しいと思いますが」

「いやいや! 亮人君、やるじゃないか! 伊達にその歳で店を構えてないね!」

「若輩者ですが色々学ばせて頂きましたので」


 本当に、俺は運がいい方だ。あんだけ盛大に飛び出しといて、住み込みで雇ってもらわなかったら今頃どうなっていたんだろう。


 少し思案していた草壁さんだったが、もう一枚銀貨を添えた。


「もう少し、せっかくだから食べさせてくれ」

「それでは、ジェルさんのおかげで新鮮な魚介が入ったので寿司なんてどうでしょう」

「で、できるのかい!? 是非頼む!」

「未熟者ながら、握らせて頂きます。あ、お代は結構です。銀貨一枚で充分ですから」


 今日はマグロっぽい物や鯛っぽいもの、少し変化球でアジっぽいものなどもいる。


 お酢に砂糖を混ぜ、ほんの少し柑橘を絞る。シャリを作って、よし。準備完了。


 それらを下してさくにしつつ、斜めに、マグロは気持ち厚め、鯛は気持ち薄め、アジは中間くらいに。アジの上にはすりおろした生姜を少し乗せる。

マグロ四貫、アジ二貫、鯛四貫の握りずし。


「お待ちどうさまです」

「なんでえ、これ。米の上に生魚乗ってる。変な料理だな」

「グレ、リョウトが考えなしにその料理を出すとは思えない。ユキ、お前の故郷の味か?」

「ああ、そうだ。見るのは久々だよ……!」


 刺身しょうゆも小皿に入れて出しておいた。寿司を見ると、やはりというか、彼の表情はほんにゃりと崩れていた。日本人にしか分からないだろう、この寿司を前にした高揚感は。


 箸で摘まみ上げ、少し醤油をつけて、彼は寿司を口に運んだ。


「ん、美味い……。ちゃんと寿司だ。酢飯を作るのが上手いな、甘みも丁度いいし爽やかだ。けど、少しシャリの握りが硬いかもしれないね。ああ、いや、マズいわけじゃなく、すっごく美味いんだけど、って感じで……!」

「あはは、精進します。寿司だけは修行中だったんですよ。まだ拙くて……。もう少しシャリの量を減らすべきですね」

「うーん、量は丁度いい感じに思うけど……」

「こればかりは指先の感覚ですしね。これから養っていきます。よろしければ、お付き合いくださいませんか? 寿司の味が分かる人にお願いしたいのです。お安くさせて頂きますよ」

「願ってもない! こ、これから、言えばいろんなものを作ってくれるか? 肉じゃがとか、日本風カレーとか、お好み焼きとか!」

「勿論です。ただメニューにないものは仕込みがないので少しお高いですが」

「ああ、払う! 水炊きもうどんも寿司も見事だった……。同じ日本人として、俺も何か返せるといいんだけど……」

「ウチの料理を食べてもらえるだけで、これ以上ないお返しでございます」

「そうか。昼は食べない主義だから、朝と晩に寄らせてもらうよ。つ、次は、肉じゃががいいなって……いや、ジル芋なんだから肉ジルなのか?」

「肉汁みたいですね……。でも了解です。晩までには染み染みの肉じゃが、作っておきますね。味噌汁は何がいいですか?」

「キノコ類かな……豆腐でもいいけど。いいのかい? 負担にならないかい?」

「いえいえ、大丈夫です。ちなみに、どこの住んでました?」

「福岡だ」

「あ、俺も出身はそうです。ああ、うま味調味料でもあれば豚骨ラーメン出来たんですけど……」

「いやいや充分だよ。か、唐揚げとかもあるのかい?」

「ありますよー! 今は米粉と片栗粉のハイブリッドですね。一個味見します?」

「したいな。いや、この国の飯屋はあんまりしょっぱくなくてご飯もピラフとか混ぜ物ばかりでね……し、白いご飯も言えば出てくる?」

「でますよ。麦二割の麦飯になるのですが、そこそこ人気ですねー」

「くう……! 俺はここに通うよ、というか拠点を移す!」

「まぁ、よく考えてください。はい、唐揚げです」


 出された唐揚げを一礼して、彼は齧った。サクッという耳障りの良い音が響く。


「…………。君が女の子なら結婚を申し込んでいたよ」

「だっははは! おれと同じこと言ってらあ!」

「言わんとすることは分かるがな。こんな料理の美味い嫁はオレだって欲しい」


 おぞましい想像をしているようだが、俺は女の子になりたい願望なんぞありはしない。体力的にも筋力的にもこの体でよかったと本当に思っている。どれが欠けていても、今の俺にはなってなかった気がするし。


 片付けをしていると、買い物に出ていたセーラが帰って来た。


「ただいま戻りましたー、ご主人様……って、あー! なんか陰気な医者!」

「? ……ああ、グレンハッタ家のメイドか。何でこの店に?」

「そっちこそ、コルペスに拠点移したって聞いてますけど」

「いや、もうこっちに住むことにした。あそこの食文化だけはどうにも慣れない」


 セーラは草壁さんと知り合いのようだった。色んな繋がりがあるんだな、結構。世界は広いようで狭い。ちなみに、食文化はピラフとかのことかな。それとも独自の味つけなんかがあるのだろうか。醤油のない世界で魚介と言って連想するのが魚醤だが、市場や屋台を見ても、そういうエスニックな感じも特にしなかった。


「どんな食事をされてたんですか?」

「パエリアもどきとか、白身魚のシチューとか……まあ、食べられなくはないが、果てしなく異文化でね……。慣れたと思っていたんだが、やはりこうして故郷の味を食べると、ああ……涙が出てくる。俺は医者をやっている。魔術で外傷を、薬調合で体調などを担当している。ところがコルペスはタフな水夫ばかりでな、俺のところみたいな若い医者に掛かってくれないんだ。裂傷を負おうがどてっぱらに穴が空こうが、唾つけりゃ治る的なやつも、極端だがいるんだよ。本当に、異文化過ぎてな。こちとら子供が擦りむいたくらいで病院に行く国に住んでたというのに。あまりにも稼げないから、冒険者もやっている。亮人君、稼げなくなったら俺を皿洗いで雇ってくれ」

「あ、あはは……。分かりました、その時が来れば。でも、お仕事頑張ってくださいね。医者は希少な職業ですから。俺には無理ですし。俺は食事でサポートしますよ!」

「ああ、頑張るよ。さて、引っ越しの準備をしてくる」

「あ、本当に越してくるんですね」

「俺は嘘が嫌いなんだ。ご馳走様、亮人君」

「ええ、草壁さん。またいらしてください!」

「水臭いな、同じ故郷出身同士、由紀で構わないさ。ではな。グレフォス、馬車に乗せてくれ」

「おっす。おれらも行くか、ジェル」

「だな。ご馳走様だ、リョウト。最高だった。明日も楽しみにしている」

「はい、由紀さん、グレ、ジェル。お気をつけて」


 三人を見送って、俺はセーラに向き直る。彼女もこっちを向いていた。首を傾げている様子ではあったが、特にこちらへ質問はないようだし、俺から切り出す。


「由紀さんと知り合いなんだね。意外と顔が広いね、セーラ。どういう知り合いなの?」

「いや、ピンポイントで知り合いが来るんですよぅ、ここ。びっくりします。えっとですね、坊ちゃまは幼少期、とても線の細い美少年だったそうです」


 想像がつかん。あのガルが? マジで?

「で、まぁ風邪をよく引いて。若くて腕のいい医者に良く治してもらってたんですが……それがあのユキ・クサカベって人です」

「その由紀さんと俺は同じ故郷出身なんだよ。いやあ、スーツ姿カッコいいなあってそうだよ! 俺も服見たかったんだ! どうしよう、さすがに中のシャツは買ってるけど……」

「あー、ご主人様、ご主人様。ここにいるじゃあないですか。おしゃれ大好きメイドのセーラちゃんが! 買いに行きましょ! 安くていい店知ってるんです!」

「ま、間に合うかな、開店時間に」

「張り紙でもしておけば大丈夫ですよ! そのいっつも同じ上着が気になってたんです! 何着か買いましょう!」

「お、おう。俺はこういうの全く詳しくないから、セーラがいてくれて心強いよ」

「でしょう? さ、まいりましょー!」


 いつもよりテンションの高いセーラに半ば引きずられながら、俺は服を買いに行くのだった。

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