四話 レッドフィッシュの昆布締め
馬車はガタゴトと進んでいく。
正直、乗り心地は現代の車と比べると劣悪極まりない。それもそのはず、地面はアスファルトなどあろうはずもないのでデコボコだし、車輪に衝撃吸収用のゴムなんぞついてないし。いかに日本の文明レベルが高かったか。思い知らされる結果となる。そう、幌馬車の荷台に乗って思ったのだった。しかし、初めて乗るとみんな痛がるから、とクッションを持ってきてくれた優しいリエッタに、そんな無様な弱音は吐けない。
そんな彼女は、とみれば、荷台への段差に腰掛けて、足をぶらぶらさせていた。可愛い。
「いやー、魔物出ないなあ。でたらこの爆弾が火を噴くのに!」
どこか楽しそうにトゲトゲした爆弾(?)を取り出すリエッタに首を傾げる。
「それ投げるとどうなるの?」
「魔力を込めると、五秒後に爆発するんだ! 錬金術の基本、フレアボム! 私は極めちゃってるから、煉獄フレアボムなんか作れちゃったけどねー! 威力の割に素材がアホみたいに消えたから二度とやんないけど」
なるほどね。やっぱ戦いなんかにも役立つものを作れるんだな。さすが錬金術、奥が深い。
「護身用に一個あげる!」
「あ、ありがとう」
ポーチに入れておく。俺は魔力を込められないので使えないのではないだろうか。
「そういや俺魔力ないんだけど……」
「まぁ、持ってていいと思うよ。私は剣術を齧ってた口だし、杖術も基礎はならったよ! リョウトも武器、なんか習ったら?」
「えー……? にわか仕込みは所詮にわか仕込みだしなあ……。運動は苦手ではないけど、武術ねえ……」
「もー、食材に関しては貪欲な癖に……」
「いや、割といつ死んでも別にいいからね……いでっ!?」
杖でぶん殴られたんだけど。すっげえ痛い。
「私はリョウトが死んだら悲しいよ! それでも、死んでもいいかなって思う!?」
「い、いやー、死んだらそれまでじゃん?」
「りょ・う・と!?」
「あ、ハイ。でも、これは割と本気な話するけど。……俺は、ここに来る前までは大体そんな感じだった。何で生きてるのか分からない。食を極めたいっていうのはあったけど、それは仕事として割り切ってる感じでさ。いざ、自由な時間があったからって、何かしてたかっていうと、何もなかったんだよね。俺の国では、十八歳くらいまでは親が面倒を見てくれるんだ。その間、俺達は社会に出て役に立つ勉強とかマナーとか、ざっくり言えば知恵を教わるんだけど、俺は十五歳の時、家族から出ていくよう言われた。働きながら学校にも行けたけど、半端は嫌だったから、俺は徹底的に働いた。それでも、十五歳が俺の国で生きていくには辛かったな。舐められるし、ひたすら雑用雑用。まぁ、十九歳になるまでいろんな場所で働いてみて、んで気づいたら何故かここにいた。そこからはリエッタに助けられたんだけど、なんで生きてるんだろうなあ」
ぼんやりとした一人語りだったのだが、もう一発杖で殴られそうになったのでそれを避ける。
「危ないって。痛いって」
「馬鹿! 命があるって、それだけで凄い事なんだよ!? 家族と離れるのは寂しいだろうけど、今の生き方を選んだのは、紛れもない自分自身。誰も知らないような場所に放り出されて、街にやってきたのはどうして? 死にたくなかったからでしょ?」
「そう……なのかも?」
そう取れなくもない。確かに俺は干からびるのは嫌だった。
そういう死に方を、望んでいるわけではない……だったら俺は何を望んでるんだろうか。
深く思考が沈む前に、リエッタの声で我に返る。
「そうだよ! それに、生きる意味はもうあるよ! ロワゾブリュ・ブランシェをおっきくすること! 常連さんや初見のお客さんに美味しい料理を振る舞って満足させること! これでも足りないなら、私が生きる意味になってあげる! 私は最高の錬金術師になりたいの! だから、私の錬金術の成果を、貴方が証明して! これは、私の失敗作を使って料理しているリョウトにしかできないことだよ!」
思わず、目を見開いた。
なんて優しい子なんだろう。
こんな益体もない愚痴のような、しょうもなさ過ぎる疑問に真摯に答えてくれて、挙句に俺に生きる意味をくれようとしている。
なるほど、確かに人からすれば醤油なんかただのしょっぱい液体でしかない。俺が広めれば、その失敗作は失敗作ではなくなる。彼女の失敗作を口伝できれば、こんな俺にも、生きた証という奴が残せるんじゃないか。
「ごめんね、リエッタ。弱音だった。リエッタの錬金術が最高だったと証明するためにも、より一層、料理に尽くす。これからも一番いい失敗作を頼むよ」
「あはは、これからは、えっと、なんだっけ。しょう、ゆ? ってちゃんと呼んであげないとね!」
「だね。さて、サンドイッチを作ってきたけど、食べるかい? そろそろお昼だ。御者さんもどうですか?」
「おう、食う食う」
今日はリエッタがいるので、フライドチキンにチーズ、葉野菜にマヨネーズとブラックペッパーを混ぜたやつを挟んだボリューミーなサンドイッチを用意した。
「こ、これ……! この味、いいなオイ! リエッタ、マジじゃん、最近通ってる飯屋が美味いって! あんた姫様のくせに馬鹿舌だから聞き流してたわ!」
「ひっどーい! グレフォス、それはあんまりだと思うの!」
「いやいや。リョウトだっけ? 今度行かせてもらうよ、こりゃうめえ。なあなあ、このフライドチキンのスパイスの配合、こっそり教えてくれよ」
「いいですよ」
さらさらとスパイスをそらんじる俺に、御者――グレフォスは驚いているようだった。
「お、おい、いいのかよそんなあっさりと……」
「お客様が満足してくれることが第一ですから。それに、スパイスは教えましたが配合の分量はヒミツですし」
「おっ、なるほどな。案外強かだな」
「そうでなければやっておりませんので」
「ははっ、まあそんなわけえのにそうだよな、そんくらいじゃなきゃ潰れてるか! ま、ご馳走さん! 今度寄るよ、リョウト。おれはグレフォス! しがない馬車の御者さ。好物は魚」
「リョウト・クゼです。魚料理ですね、頼まれる方が少ないので頑張りがいがあります」
実際、肉ばっかだしな、注文。魚を頼まれるのはそんなにない。たまーに、焼き魚や揚げ魚を頼まれるが、どうにも塩蔵品ばかりだった。鮮魚を仕入れに行きたいとずっと思っていた。
「コルペスへは魚の買い付けかと思ったんだが、違うかい?」
「その通りです」
「ならおれが口利いてやんよ。慣れたやつらか地元民じゃないと足元見てきやがるからな」
「助かります! いや、ホント。交渉事は不得手で……」
「強かそうだが人がよさそうだもんな、アンタ。イユフの街のどの辺で構えてるんだ?」
「イユフ?」
「いや、出発してきた街なんだが……知らずに過ごしてたのか?」
「ハルコマータ王国のどこか、ということは把握してたんですが。そういえばこの街の名前は知りませんでしたね」
言うと、グレフォスが渋い顔をしてしまった。
「……変なやつ」
「そう、リョウトはヘンなの」
「姫様に言われたくはないだろうなあ……」
「なんでよー!」
頬を膨らませるリエッタが面白くて笑ってしまい、怒りだす彼女を宥めるために時間を使っていたら、あっという間に目的地に着いてしまった。
港町、コルペス。
街道沿いに流れる川が海へと広がっていく。その川を中心とした、白い石で出来た住居が立ち並ぶ。岩塩の結晶洞窟などもあり、岩塩の産出地としても知られているらしかった。
なんか海は魔物との格闘が多いらしく、屈強な水夫達が闊歩している。うわ、腕の筋肉すげえ!
リエッタは納品先へ行ってしまったので、馬車をなんか国の安全協会があるらしく、そこに預けてグレフォスと二人で街を行く。男二人というのも、なんだか随分と久しぶりな気もするなあ。
「こっちこっち、若いけど腕のいい漁師がいるんだ」
「へえ、詳しいんですね、グレフォスさん」
「さんはいらねえ、痒い。グレで構わねえ。さっさと来な」
素っ気ない口調とは裏腹に、陽気な笑顔で俺をエスコートしてくれた。港外れにある小屋に無遠慮に入って行くのに続いてみる。
「よう、邪魔するぜ、ジェル!」
「お、お邪魔します」
「……ん? グレ。誰だ、そいつ」
ジェル、と呼ばれた青年が俺の方を睨んだ。金髪ポニーテールで軽い印象を抱いてしまうグレに対し、藍色の髪を長くした鋭い瞳の青年は胡乱げなまなざしで俺を捉えていた。
俺は先に進み出て、頭を下げる。
「リョウト・クゼと申します。凄腕の漁師と聞きまして、お仕事の話をさせて頂きたく思い、参上仕った次第です」
「オレは貴族に魚は卸さない」
「いやいや、彼は料理屋。丁寧な口調はよく分からんが、アンタ貴族とかでも何でもないんだろ?」
「違いますね。ド平民です」
「そうか。じゃあこれを見てみろ。獲れたてだぞ」
鯛、だろうか。大振りだが、鱗や瞳に輝きがない。蒼い輝きが奔っているものなのだが、これには全くなかった。
「獲れたては、失礼ながら嘘ではないかと。新鮮ではありませんね。これでは商品になりません」
「目利きはできるようだな。いいだろう、それでこそ卸しがいがある。どれくらい欲しい?」
「毎日、そうですね……そこの籠を一つ分届けてくれれば。できれば白身魚が良いのですが、食べられればなんでも大丈夫です。デカいのを一匹どん、でもいいですし、このサイズの魚を複数でも構いません」
「なんでもいいのか?」
「ええ。ただ、新鮮なやつをお願いします。そこからは、俺の腕の見せどころですので」
そう腕まくりをするポーズをとると、彼は笑った。柔らかく笑うな、この人。モテそうだった。
「オレはジェイル。早速だが、卸した先で下手に振われたらオレの沽券にもかかわる。この場で何か、料理を作って見せてくれ。ここにあるものなら自由に使ってもらっても構わない」
「なるほど、かしこまりました」
魔物を倒して調理するかも、ということで少量の醤油と味噌を持ってきている。包丁は借りることにして、新鮮な魚に向かう。
……ん、乾燥昆布? これがあるならありがたい。
鯛を捌く。胸元に包丁を入れて頭を落とし、三枚に下して、中骨を渡して取り除き、血合い骨を取り除く。そのまま皮を引いた切り身を湿らせた昆布に貼りつかせる。それは置いておき、頭をかち割って中骨などを一緒に手鍋に湯を沸かして、水気をふいたそれらをぶち込み、弱火で出汁を取っていく。その間に、刺身を。理想は斜めに、一度で削ぐように薄く切ることだ。何度もぎこぎこやっていると、舌触りに関わる。
「生食に抵抗は?」
「オレは漁師だぞ」
「かしこまりました」
後は、醤油を少し煮詰めてとろみを出し、出汁に味噌を溶いたら仕上げ。
少し時間が足りないものの、昆布で締めた鯛は少しトロっとしていた。普通の鯛と味わいが違うだろう。
「どうぞ。鯛の二種の刺身盛り合わせと、潮汁です」
「タイ? これはレッドフィッシュだ。そう呼ぶのは初めて聞いた。刺身……塩がないが」
「こちらの液体を付けて召し上がってください」
「どれ」
おお、ここには箸があるのか。器用にそれを使い、ジェイルが昆布締めの方を先に食べる。
「……ほう」
潮汁も飲んで、彼は全てを食べつくして、箸をおいた。
「……卸すに値する。試して悪かった、リョウト。この昆布の旨味を利用するとは、まさに盲点だった。この調理法は伝えてもいいか?」
「どうぞ」
「……自分の料理にこだわりがないのも気に入った。プロはこだわりというしょうもない感情で仕事をしたりはしない。オレ達はきっと気が合う。どこからきた?」
「イユフからです」
「分かった。オレが直々に卸しに行くから、毎朝朝食を頼む。その分、安くさせてもらおう」
「ありがとうございます。好きな食べ物の傾向などを教えて頂ければ」
「麺だ。特に、リンガで食べたうどんという食べ物に目がなくてな……。この近辺に店はないのだが、一番好きな料理だ」
「うどんですか。なるほど、用意しますね」
「作れるのか!?」
「まぁ、そんなに難しいものではありませんし」
麺は作り方さえ知ってしまえば楽なのだ。特にうどんは小麦と塩と水を練るだけだし。かんすいや少し特殊な配合が必要になるラーメンよりうんと敷居は低い。ただ極めようとするともはや科学の領域にまで差し掛かるのだから、うどんはシンプルながら奥が深い。
「話半分だが、まぁそこそこ楽しみにしている」
「あ、それと昆布などの海産物を紹介してほしいのですが。料理に使えるかもしれません」
「ああ、案内してやろう。来い」
その後、いりこはまだしも、トビウオの粉末や鯖節などがあり、思わず大量に買い付けてしまったが、まぁジェイルの効果だろうか。驚くほど安く手に入ってしまった。これで和風の出汁が作れる。想定外の収獲だ。
「これはうどんも気合を入れないとですね。何か食べたいトッピングなどはありますか?」
「……その、噛むと、じゅわっと甘い出汁が出てきた、揚げ物……あれはなんだったのだろうか」
「きつねうどんですね。薄揚げも作れるかな、豆腐も作れるっぽいし……」
薄揚げも大豆製品。豆腐から水を抜いて、薄切りにして低温の油でひろげ、高温の油に移動させるとぷわっと膨らむ。最初見た時の衝撃は今でも覚えている。
「ああ、これで和風料理に幅が出ます……!」
「ワフー?」
聞きなれない語感にか、ジェイルはともかくグレフォスも首を傾げる。慌ててフォローを入れた。
「ああ、俺の国の言葉なんです。多分、ジェイルさんの言うリンガ風ですね」
「ほほう。リンガから来た医者にも伝えておこう。リンガの料理をひたすら恋しがっていたからな」
「是非、広くお伝えいただければ。ロワゾブリュ・ブランシェを今後ともご贔屓に」
「後、オレにはそんな丁寧な言葉を使わなくていい。ジェルで構わん。年は変わらんだろうしな」
「了解、ジェル。ありがたいよ」
「うむ。ところで、何でグレと一緒に? こいつはこっそり姫様を監視している王宮の使いだぞ。王宮関係者か?」
「ちょ、バラすなよ!? あー……そゆこと。御者はまぁ、仮の姿ってわけだ」
「それはどうでもいいですね。俺は城とか王族とかとはまるで関係ないです。俺はリエッタの出資を受けて店を出しているというところは関係あるのかな。まぁ、もう返済自体は可能なのですが、少額ずつしか受け取ってくれなくて……」
というか、今にして思えばあんな店があんな額で買えてしまうのも驚きだ。普通の家は金貨五十枚じゃ効かないらしいし。リエッタの王族の威光か、それとも人柄の良さか。
「ああ、あの姫様は嫌いじゃない。根性あるやつだ。錬金術一本でなり上がっている。なるほど、あの姫様が認めたなら問題なさそうだな。彼女は意外に審美眼がシビアだぞ。意外にクレバーで強かで、押しが強いくせに他人の目線になれるし、自分を曲げない。もっとも、それが王族貴族に受けが悪かったらしくてな」
「ま、それでも娘は可愛いってことで、おれなどを含む色んな奴らが姫様を見守ってるって寸法よ! あーあ、隠してたのにこの馬鹿……まあ報告を聞く限り、経歴不明以外は物凄く真っ当だからな……。お前は要監視対象だったが、そろそろ外れそうだよ。ま、別の意味で監視対象だけどもさ」
「別の意味、とは? 害をなす以外に?」
「色恋」
あー、なるほど。そっち方面か。
そりゃ俺も若いし、リエッタも若いのでそういう方面もなくはないのか。まぁ、リエッタは可愛いし俺が惹かれるのは納得だが、彼女が俺に惹かれる絵を想像しきれない自分がいる。無理だって、あんな超絶美少女。どうやって口説くんだよ。俺は首を横に振った。
「リエッタは確かに可愛いけど、俺なんかとは釣り合わないよ」
「そう捨てたものじゃないと思うがな。お前はいかにも柔和そうで包容力がありそうだ。男にそういう包容力を求めるんじゃないか、姫様は心のよりどころを求めているだろうしな」
そう顎に手を当ててジェルが推測を口にする。
逆に俺が彼女に寄っかかっている状態なんだけど、まぁ、いいや。それを語ったところでどうなるというんだ。
「ちなみに、恋仲になるとどうなるんだ?」
「国に報告させてもらうだけー。特に何ともならんと思うけどなー。陛下も放任されてるし、後継者のレジェンサス王子はもう二十歳だし実権握ってるし、でてった妹に構ってらんねーでしょうし。ま、そういうことだから、ガンガンアタックしていいんだぜ!」
「今の状況が出来過ぎているんで、これ以上を望むと罰が当たりそうだ」
「うっわ、欲がねー。ま、そう言うところが姫様敵に新鮮なのかもね。あれで体育ってるし、そういう視線には敏感だしなー。あ、知ってっか? 姫様って小さい頃は引っ込み思案だったんだぜ?」
「え、それは想像がつかないな……どれだけ努力をすれば、自分を変えられるんだろう。凄いな、リエッタは……」
心の底から思う。三つ子の魂百まで。……そういう言葉もあるくらいだ。一度決まった性格を、根本から変えるなんて。どれだけの意識がいるんだろうか。きっと、俺の考えなど及びもしないほどの……
「……あー、なるほどね。お前そういう性質か」
「だな」
ジェルとグレはお互いに微妙な笑みで頷き合っている。
何か納得しているけど、俺は困惑していた。なにこれ、俺だけ分かってないのか?
「え? な、なに? 俺なんか変なこと言った?」
「いーや。お前はとんでもない女たらしになりそうだなーって」
「え、なんだよそれ! ひどくないか?」
「酷くはない。オレの所感も同じだ。リエッタが好きそうな人だな」
「え、ええ……?」
「何の話してるの?」
「「「うおっ!?」」」
良からぬ話をしていたわけではないが、俺もグレもジェルも驚いてしまった。いつの間にか背後にリエッタが。気配を全く感じなかった。
だが、ニコッと笑った後、何故か俺に飛びついてくる。柔らかい……後、なんか凄くいい匂いがする……脳が沸騰しそうになるが、深呼吸で落ち着……かねえ! いい匂いが鼻腔に燻って凄くドキドキしてしまった。何だこの高揚感。
「えへへー、聞いちゃった! 頑張ったって思うんだね、私の事!」
「あ、ああ、その話。凄いと思う。自分の性格を変えるなんて、生半可な覚悟で出来ることじゃない。リエッタは凄い。どれだけ努力してきたのか……浅い俺の考えが及ばないほどだ」
「えへへー! じゃあ、撫でて欲しいの!」
グレは目を険しく細めた。何故だかは分からない。だが、俺の答えなんてとっくに決まっている。
しかし決意とは裏腹に、女子に触れたことなどない俺は、結局おっかなびっくりと頭を撫でた。指通りの良い髪だ。潮風で少しざらついているかな。それでも自分の髪より細く頼りない。
彼女は、何故か驚いているらしかった。自分からせがんで来たのに、不可解極まりない。
「……ホントに、撫でてくれるんだ……ホントに、私に触れてくれるんだね。えへへ」
そう言って、彼女は嬉しそうに俺の手を引く。
「さ、帰ろ! きっとお客さん待ってるよ! グレフォスも早く早く!」
「リョウト、うどんを楽しみにしてる」
「え、何その料理! リョウト、また新メニュー!? 私が試食一号だよね!?」
「いいよ、リエッタ。ただ、フォークは難しいかも。お箸を使わなきゃいけないかもね」
「うっ、あれ苦手なんだよねえ……」
ジェルに見送られながら、俺達は馬車に乗ってイユフに戻る。その道中、リエッタは昼寝を始めてしまった。よく寝れるな、こんな揺れの中。そう言えば磯釣りに誘われた時、夜更けに出発して帰りの真昼間に寝たことがあったっけ。しけていると波打って下から突き上げるような衝撃が来るのだが、どんな環境でも寝れるものだと、何となくそのことを思い出す。
そんな中、グレがちょいちょいと手招きをした。広い御者台に二人で腰掛ける。
言うのを彼はためらっていたようだが、顔を近づけて小さな声で話し始めた。
「姫様に触れるのがどれだけ特別か、ちょっと説明しとくわ」
「え、ダメだったのか?」
「いーや。ただ、姫様の引っ込み思案の元となったのもそれがきっかけだ。姫様は、妾の子なんだ。母親は既に他界している。……子供の頃、彼女は甘えることができなかった。愛されたいと願っていたはずだったんだ。だが、我らも命じられた。当時の近衛騎士や侍従にな……当時の王妃様が、姫様に触れるなと。撫でてはいけないと。陛下もそれを黙認した。だから、我らは寂しいと泣いた、彼女を撫でることすらできなかった。ま、それが公僕だしな。で、姫様はとある城にきた錬金術師に弟子入りして、基礎を教わって、城を出ていった。これ一本で生きていくって。そこからは、想像がつくだろう?」
……あの笑顔の裏に、どれだけの苦労があったんだろう。誰も助けてくれない実家は苦しかったろうに。物心ついていて、一瞬で離反できた俺とは……違う。子どもの頃から、全員が彼女の味方ではなかった。引っ込み思案だったのも納得だ。そんな中でまともに育つはずがない。
それに、基礎だけ習ったのであれば、城を飛び出た時も、独学で学んだはずだ。俺みたいに師などいない。彼女は、あんな華奢な手でなり上がっていったんだ。綺麗だから、そういう視線も浴びただろう。騙されるなどからは、守られていたはずだが。恐らくはグレなどが見守っていたのだろう。それを加味しても、彼女は孤独だったに違いない。
それでも、彼女はまっすぐに育った。明るく、誰にでも話しかけるようになった。一発でヘンだと断じたこんな出自不明の怪しい俺に、親切にしてくれた。
同時に、そんな彼女への想いは……痛いほど伝わる。グレは騎士だったはずだ。少なくとも侍従の関係だったはずだ。
助けたかっただろうに。頭を撫でてやりたかったろうに。
その歯がゆさ、そのやりきれなさを思うだけで、身が張り裂けそうだ。
「グレ……俺なんかが、撫でてよかったのか? ホントは、君の方が……」
「ははっ、そこは安心しろ。おれは従者以外の感情なんてねえ。可哀想だとは思うがね。おれは命令に逆らってまで彼女を助ける気概がなかっただけさ。でも、本当にオマエってやつは、人に寄り添て考えられるんだな。どんな教育されたんだよ」
苦笑するグレに、俺は頷いて見せた。
俺は一方的に彼女を知ってしまった。俺は、何をすべきか。いや、彼女に何をしたいか。
決まり切っている。
「……決めたよ、グレ。俺は彼女を大切にする。彼女をちゃんと理解して、その上で彼女を褒めて、叱り、喜びを分かち合って、頭を撫でる」
「……そーか。あーあ、姫様も羨ましいぜ。リョウト、お前女の子だったら絶対ほっとかなかったぜ」
「気色の悪いこと言うなよ……」
「いや、悪い悪い。んじゃ、頼むぜ。姫様の、未来の旦那候補!」
「ま、旦那候補はなった時に考えるよ。俺も寝ようかな、今日は日差しが気持ちいい」
「うっへえ、おれの雑談に付き合えよー」
「また今度、店に来たらゆっくり聞くよ」
「姫様の言い分だとスッゲー人混みらしいじゃん。ゆっくりなんてどだい無理だろ」
「まぁ、寄ってくれ。少し盛ってあげるから」
「おう、楽しみにしてるわ」
そう笑う食えない内心の彼に微笑み返し、俺は荷台に戻る。
あれ、寝ころんでいた彼女が、座って寝ている。……もしかして、また聞かれたのか?
少し離れて座ると、目を閉じたまま、リエッタが近づいてくる。そして、頭をこちらの肩に預けてきた。
「起きてるでしょ」
「寝てるの」
「さいで。おやすみ、リエッタ」
「エッタ」
「え?」
そう彼女は目を開いて、こちらの顔を覗き込んでくる。蒼い瞳が、真摯に揺れていた。
「そう呼んでほしいの。小さい……ホントに小さかった頃の、愛称なの」
「……いいよ、エッタ」
そういうと、彼女は頭を寄せてくる。その頭を、俺は撫でた。
「えへへー。甘えて、いいんだよね?」
「うん。俺もエッタに甘えるから。いっぱい頼ってくれ」
「うん! よろしく、リョウト! ……リョウトって愛称はないの?」
「なかったなぁ。この国では親しい人を略称で呼ぶ文化があるの?」
「そだよ。だから、まずは名前を調べるんだ。訊ねたりとかして」
「なるほど……」
危なかった……うっかり知らない人を略称で呼ぶとキレられる可能性があるのか。
でも、愛称か。
「んじゃエッタ、俺をリョウって呼んでほしいな」
「……! うん! 改めてよろしくね、リョウ!」
ガタゴトと馬車が揺れる。いつの間にか寝入った彼女が太もも辺りに倒れ込んでくる。あーあ、涎が……別にいいけど。
あ、そう言えば。
服……そろそろジャージじゃきついよな……適当なシャツを買ってごまかしていたけど、何着か着まわせるのが欲しい。
とりあえず――
「姫様がしていい寝顔じゃないぞ……」
幸せそうに涎をたらしながら寝ている彼女の頭を撫でながら、俺も目を閉じる。
ガタゴトと馬車が揺れる中、意識が沈んでいくのを感じながら、俺もつかの間の眠りに落ちたのだった。
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