永遠を願う一日

桜 花音

第1話

「ただーいまぁ」

 私の帰宅を告げる声に、扉の向こうから「にゃおん」と鳴き声が聞こえる。扉をカリカリッとして、開くのを今か今かと待っている。

「ふふっナオったら。もうちょっと待って」

 扉を開けた途端、黒い塊が飛び出してきて、足元にスリッとする。ナオはいつも勢いがいい。そんなナオを抱き上げて喉の下を撫でると、ちょっとうっとりした顔をする。

「ただいま。いい子にしてた?」

 ゴロゴロと喉を鳴らしながら、私の撫でる手に身を委ねてくる。もっと、もっとって要求するかのような表情をしていたのに、急にビクッとした。

「あ……」

 ナオは目を開いて私の後ろに視線を向ける。途端にさっきまでの甘え顔は嘘みたいに警戒心剥き出しになった。

 ナオの視線の先では、威嚇されて動けなくなった彼がいる。

「……ひょっとして、俺、警戒されてる?」

「そう、だね。やっぱり」

 そうなるかな、と予想はしていた。

 威嚇を解かないナオに私は視線を向けて、安心させるように首や頭を撫でる。

「いつまでもそこにいるのもなんだし、入っておいでよ」

「あ、あぁ」

 少し緊張した面持ちで、彼は靴を脱いで入ってきた。

 そっと私の横に立ち、ナオを伺う。

「は、はじめまして」

 ナオにそう声をかけて、恐る恐る手を伸ばそうとした瞬間。

 ――シャアァァッ

 ナオの威嚇がピークに達して、私の腕からすり抜けた。

「あっ……」

 私の前に降りて、彼に向かって低い声をあげる。

「んなぁぁぁおっ!」

 しっぽをブワッと膨らませて、彼に鳴き続ける。

「あちゃー、思った以上だ」

 決して人懐こいわけではないナオだから、彼に対して多少警戒心を持つだろうとは思ってた。それでもここまでとは……

「ごめん」

 彼に申し訳なくなる。ナオの事は話してあったけど、こんなに威嚇をされたら、たまらないだろう。

「うん、でも当然かもな」

「……え?」

 威嚇し続けるナオを見つめながら、彼もまた、ナオから目を離さない。

「だってこれ、明らかにキミを守ろうとしてる。しっかりしたナイトだね」

 彼はしゃがみ込んで、ナオと近い目線で見つめあう。ナオは変わらず威嚇を続けているというのに、うるさがらず、ちゃんと向き合ってくれる。

「ナオくんは、わかってるんだよね。僕が、ナオくんからキミを奪うんじゃないかって。守りたいし、心配だし、不安なんだ」

「……」

「僕は、ナオくんから奪いに来たんじゃないよ。だけど、僕も一緒にいさせてくれないかな?今日はその挨拶にきたんだ」

 彼の言葉が届いているのか。真剣な様子が伝わったのか。まだ警戒は解かないものの、鳴き声はおさまってきた。

「会ったばかりで信用出来ないだろうけどさ。少しずつ、僕の事も知っていってよ。少なくとも、彼女の事はナオくんに負けないくらい大好きだよ。だから、よろしくね」

 ナオに言ってるのに、嬉しくて思わず涙腺がゆるむ。


「さて、お近づきの印に、こんなものを持って来たんだけど。ナオくん、気にいるかな?」

 そう言って鞄をガサゴソしはじめて、取り出したのは……


「にゃあぁぁぁんっ」


 さっきまでの警戒はどこへやら。しっぽをピンと立てて彼に擦り寄っている。

「……随分とちょろいゲンキンなナイトだわ」

 彼に高級猫缶を用意され、ナオはたちまちメロメロになってしまった。

「挨拶に来るのに、手ぶらな訳ないだろ?」

「ちゃっかりしてるわね」

「しっかりしてるって言って欲しいね。キミの大事な家族に用意するものなんだ。真剣に考えたんだよ」

 ナオはすでに猫缶に集中している。そんな姿も可愛いけれど。

「あれ?泣いた?」

 頬をそっと撫でられ、ビクッとする。さっきの言葉にゆるんでしまった涙腺の名残りが、目元にあらわれていたようだ。

「ちょっとね。だって、ナオにあんな事言うと思わなかったから」

「そう?でもあんな姿みたらね。キミを守るのに必死なんだ。そしたら僕も真剣に答えるべきだろう?」

「待って。そんな事言われたらまた泣いちゃう」

「泣き虫だなあ」

「うるさい。泣かせた張本人が」

 照れ臭くて、誤魔化すように彼の胸に飛び込む。きゅっと抱き締めると、そっと抱き返してくれた。

「ありがとう。ナオの事、考えてくれて」

「当然。これから家族になるんだ。認めてもらうように努力するよ」

「……大好き。那央くん」

「それ!今後、どうしようね?」

 彼が抱きしめていた手を離して、顎に手を当てて考えはじめた。

「僕が那央。そして黒猫のナオくん。どう呼び分ける?」

「あー……今までは一緒の空間にいなかったしね」

 私の中では、ナオと那央くんで使い分けていたけど、これから一緒の空間にいると紛らわしい?

「でも、ナオはナオだもん。小さい頃からずっとナオだもん」

「だよね。じゃあ僕の呼び方かえる?」

「那央くんを?でも那央くんも他は難しいなあ」

「『あなた』とか『ダーリン』とか」

「嫌だよ!さむっ」

 あははっと那央くんが笑う。そんな那央くんを、猫缶で

 満足したナオがジトッとした視線を送る。

「おっと。やっぱりまだ簡単には認めてくれないよな」

 ナオは当たり前!と言わんばかりに那央くんを無視して、私の横で丸くなる。そんなナオを、私はそっと撫でてやる。

 大好きな人が、笑っていて。

 大好きなコが、くつろいでいる。

 あったかくてしあわせな空間。

 願わくばこんな日が永遠に続いてほしい。

 そんな幸せな一日だった。

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