第12話:スルースキルは必需品
しかしそれは幻だったのか、瞬きの後に見た彼の目元は、いつもの真摯な輝きを湛えたものへと戻っていた。
「――そう。まァ、護衛騎士に任命されたのは君自身の力が認められたってことだと、私は思うよ」
「光栄です」
ディフィルは少しの間を置いて、口角に笑みを残したまま告げる。ただし、先ほどのような面白がるような雰囲気ではなく、どこか見守るような穏やかな表情で。
常に胡散臭さの漂う教育係様の珍しく真面目な雰囲気に、俺はなんとなく口を挟んではいけない気がして、黙ったままそのやり取りを聞いていたのだが、ふともう一人、この場にいながら会話に参加していない人物がいることに気が付いた。
ジェラルドの側で無言のまま佇んでいるその人は、よく見れば見るほどある意味懐かしさを感じさせる風貌をしていた。異世界に来てからというもの、金髪やら碧眼やらに周りを囲まれているせいか、その黒髪黒目はどこか故郷を思い出させ、一方的な親しみを覚えるには十分だった。ただ、スッと通った鼻筋といい顎までのラインといい、色素以外の顔立ちはやはり異国の匂いを感じさせた。
微動だにせずただじっと立ったままのその姿は、王妃様とは違った意味で人形のようであり、またそのピクリとも動かない表情筋は、初めて会った時のディフィルのようでもあった。
しかしディフィルの時とは違い、同じ無表情でもゼルファーには不思議と不気味さを感じなかった。本当に、ただそこに感情というものがないような――無であるかのような、今までに感じたことが無い、そんな空気感を纏っていた。
俺が不躾にもまじまじと彼を観察していると、不意に光をも呑み込むような闇色の瞳が、スッとこちらへと動かされた。
その双眸に捉えられ、ギクリ、と俺は思わず身を固くする。気に触ってしまっただろうか。
「――――……」
何か言いたげに彼の口が僅かに開かれた時、急接近する地響きと共に、部屋の扉がものすごい勢いで弾かれるように開け放たれた。
「ディフィル団長おおおっ!! ここにおいでですかっ!?」
「うわぁっ、な、何!?」
突然の大声と共に慌ただしく現れたのは、本日二人目の初登場人物だった。
見た目から中学生くらいだと予想される彼は、ブラウンの瞳に焦りを滲ませ、扉を開けた格好のまま肩で息をしていた。触ると気持よさそうな赤色の猫っ毛から覗くその額や、そばかすのある鼻の頭には大粒の汗が浮かんでおり、よほど慌てているのであろうことが見て取れた。
「んー? あれ、トラーナくんじゃない。そんなに慌てると転ぶよぉ」
俺の驚きを余所に、ディフィルは特に気にした様子もなくのほほんと言葉を返す。
トラーナと呼ばれたその少年は、目的の人物を見つけ安堵したのか、その表情を軟化させた。
「あぁっ、良かった、ここにい、いらっしゃったんですね……!」
「うん、今日はずっとここにいるよん。というか、仮にも王女殿下の私室にノックなしで入るのはいけないと思うよぉトラーナくん」
仮にも、という言葉に若干の含みがあるのは気のせいだろうか。そりゃあ女になって二日目のなんちゃって王女初心者ですけど。
赤毛の彼は言われて初めて自分の不躾な行動に気づいたのか、驚きのあまりに口を半開きのまま停止した俺を見つけると、こちらが可哀想な気持ちになるくらいに一瞬にして顔を青ざめさせた。
「ハッ……!! ももも、も、申し訳あああありません王女殿下あああ!!」
これが世に言うスライディング土下座というやつだろうか。ズザザザザッという絨毯を摩擦する鈍い音と共に、少年は地面に額をめり込ませんばかりの勢いで土下座をしてみせた。
「い、いや、お気になさらず……」
俺はその勢いに押され、思わず若干引き気味になる。
そして同時に悟った。この少年も一曲ある人物だと。
王妃様の時といい今回といい、ここには慌ただしい人物が多いのだろうか。良く言えば賑やか、悪く言えば騒がしい。個人的には城内が重苦しい雰囲気であるよりは、ずっとずっと気が楽だけれども。
それよりも目下俺の関心は、摩擦熱をモロに受けたであろう額に向けられている。煙が出ていた気がしたが、果たして無事だったのだろうか。
「それで? 何をそんなに慌ててたワケ?」
「あぁっ! そ、そうでした!」
ディフィルが改めて話を戻すと、彼は本来を目的を思い出したのか、またも勢い良く顔を跳ね上げた。どうやら根っからのドジっ子気質のようである。
ちなみに彼の額は赤くなり、僅かに擦り傷ができていた。むしろその程度で済んだことが奇跡に近いと思うよ、少年。
「き、祈薬研究班が例の薬を研究していたんですけど、あの、ちょっと問題が起きちゃって……」
「あ、実はさっき団長辞めたから。ウィルに何とかしてもらってー」
「えぇぇっ!?」
そのリアクションは至極当然だと思います。衝撃の事実暴露があまりにも軽すぎて、少年の振り回され具合がちょっとばかり不憫に思えてくる。まるでこちらに来る直前の誰かさんを見ているようだ、うん。
ディフィルに助けを求めることから推測するに、彼は召喚士団の一員なのだろうか。
「で、でもウィラーズ副団長は今遠征中で不在ですし……それに、あの……」
トラーナが言いにくそうに口を噤む。要領を得ない彼の説明にジェラルドは怪訝そうな表情を浮かべるが、ディフィルはすぐに状況を把握したのか、やれやれと肩を竦めて見せた。
「あぁ、またやってるのか。仕方ないねぇ、あのイタズラっ子は」
小さく嘆息を漏らしては緩慢な動作で重い腰を上げると、教育係様は以前見せたひどく胡散臭い笑みを貼り付けて俺を見た。
「てことでちょっくら行ってくるねぇ、お姫様」
「へっ? あ、行ってらっしゃい」
不意に話の矛先を向けられ、反射的に見送りの言葉を返す。
「申し訳ありません、王女殿下。では失礼いたします」
ドジっ子少年は丁寧に一礼をすると、既に部屋を出て行ったディフィルの後を慌てて追いかけて行った。パタンと扉の閉まる音だけが残り、室内はまるで嵐が去った後のように静まり返っていた。
「行ってしまいましたね」
「……うん」
「それで護衛騎士の件なのですが」
「えぇっ!? 何事もなかったかのように再開!?」
美形騎士様、まさかの完全スルー。
「はい。彼――トラーナに関しては、いつものことなので」
「あ、そうですか……」
つまり、こんな騒動は日常茶飯事ということだ。あぁ、俺にもこんなスルー力が培われていくのでしょうか。異世界って怖い。
お姫様、はじめました 千暁紅子 @coco_chiaki
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