第11話:黒との出会い

 あまりの真実に、俺は口を開けたまま呆けたように動作を停止させる。

これまでの十七年、俺は普通の人生を歩んできたつもりだったのだが、実は知らない間に既に異世界人との接触を済ませていたらしい。世界って狭い。狭すぎる。扉を開けたらそこは異世界でした、なんて話がそうそう転がっているとも思えないけれど、もしかしたら案外あるのかもしれない。ほら、同級生が宇宙人でしたとか、奥様は実は魔女だったとか。

そんなことを遠い目をしながらぐるぐると考えていたのだが、ふと結局シャント語ペラペラ事件の真相に辿り着いていないことに気が付いた。


「で、でもさ、ディフィルが小林さんだったとして、俺がシャント語を話せることとどう関係があるんだよ?」


 僅かに眉宇を顰めて、憎らしいほどに楽しげな様子の彼を見遣る。

 小林さんの正体は確かに判明したが、それとこれとの関係性が全く見当たらないのだ。薄らと甦る記憶によれば、俺は小林さんと初対面の時から普通に会話を交わしていたはずだ。決して異世界の言葉というものを認識した覚えは無い。

 俺の食い入るような視線にディフィルはその特徴的な笑いを零すと、おもむろに右手をこちらへと向け――――


「お姫様は覚えてないかなぁ? 初めて会ってすぐ、私がこうやって頭を撫でたこと」


ポン、と頭部へとその手のひらを乗せた。

 それは思いの外優しい感触だった。えぇ、それはもう悪魔の如く捻挫した足首を握りしめた手とは思えないほどに。


「そういえば……頭撫でられた、かも」

「なぁに、その苦々しい顔は」

「いや、ちょっと……」


 俺が眉間に皺を寄せて呟くと、ディフィルは怪訝そうな表情を浮かべる。

 それはそうでしょうとも。今俺の脳裏には幼い頃の懐かしい記憶と共に、つい今朝方体験した電撃のような痛みも同時に思い出されたのだ。思わず口もへの字に曲がるってもんですよ。

 この十七年の人生で、小林さんと言葉を交わした回数は五本の指に入る程度だ。それ故に、数少ない会話は結構印象に残っていたりする。その中で確かに六歳の俺は、初対面の小林さん、もといディフィルに頭を撫でられていた。


「で、それが何か関係あるの?」

「その時にね、言語知識の共有を行ったんだよ~」

「言語知識の共有?」


 またしても初耳の言葉が出てきた。

 ディフィルはスッと右手を引き戻すと、そのまま自分の頭部を人差し指で指し示す。


「そぉ。私の言語知識を姫様と共有する術を施したワケ。するとなぁんとびっくり、シャント語が喋れるように~」

「へぇ、そんな便利な術もあるんだな……。あ、それならこの本の内容も全部術で覚えられるんじゃないの? 国の歴史とか祈術の入門書なんかディフィルの頭の中に入ってるだろ?」


 そうだ、そんな術があるのなら最初から大量の分厚い本なんて読まずに済むじゃないか。途方もない音読の作業から逃れられるのではと、俺は期待を込めた視線でディフィルを見つめる。人間、楽な方法があればそっちを選ぶのは本能ってもんでしょう。

 しかしそんな熱い視線を受け、教育係さまは無情にも三つ編みを微かに揺らして首を振った。


「出来ないことはないけど、あくまで強制的に記憶させる術式だからねぇ。精神衛生上よろしくないから、オススメはしないよん」

「精神衛生上?」

「うん。無理やり脳に知識を捩じり込む感じだから、あまりに膨大な量を記憶しようとしたり、対象者に資質が無かったりすると下手したら精神的に狂っちゃうんだよねぇ。だから表だって禁止はされていないけど、普通は暗黙の了解って感じで使う人はいないんだよん。まァ、こんな術使えるのはごく一部だけどねぇ」


 げ、と俺は顔を青ざめさせる。なんだかえぐい話を聞いてしまった気がする。というか、そんな危険な術を俺に施したんですか。六歳の俺はそんな危険な頭ポンポンだとは露知らず、普通に接していたから恐ろしい。


「てことで、これが姫様がシャント語を話せる理由。納得した?」

「とりあえず、六歳の時にとんでもなく危ない橋を渡ってたってことは理解したよ……」


 自然と漏れだす嘆息と共に肩を落としては、円卓へとその身を伏せる。一日が始まってまだ半分も過ぎていないはずなのだが、既に疲労感が半端ない。なんだかとってもお家に帰りたい気分です、お母様。


「さぁーて、謎も解けたことだしお勉強に戻ろうねぇ。ほら、続き読んで読んで~」


 若干のホームシックに沈んでいる俺に声だけの圧力が降り注ぐ。何という情け容赦ない教育係だろうか、くそう。

 ここで抵抗するのは賢い選択ではないと、まだたった数時間の付き合いでも十二分に分かっている。育ての母といい、この教育係といい、俺の周りはゴーイングマイウェイの方が多すぎる。神様、俺は一生苦労性で過ごす星の下に生まれてしまったのでしょうか。

 己の行く末に一抹の不安を覚えつつ、伏せていた顔を上げて閉じられた本へと手を伸ばすと、不意に扉の方からノックの音が響いた。


「ど、どうぞ」

「失礼致します」


 自室にノックをされることなど今まで無かったので――あの母の性格故に――、慣れないながらも扉に向かって返事をすると、直後に入ってきたのは相も変わらず眩しい光線を放つ美形騎士様だった。


「ンー? おや、ジェラルド。ゼルファーも一緒とは珍しいねぇ、お姫様にご用かなぁ?」


 ディフィルが扉の方へと顔だけで振り向くと、すぐにまた何やら面白そうな物を見つけたように、ニヤと双眸を細めた。

 ジェラルドの後ろに続いて部屋へと入ってきたのは、見知らぬ人物だった。

 ゼルファーと呼ばれたその青年は扉を閉めると、ジェラルドと共にこちらへとゆっくりと歩を進めてくる。

 まるで生粋の日本人のような艶のある漆黒の髪は長く、襟足辺りで一つに纏められ、歩く度にしなやかに波を打っている。僅かに伏せられた両眼から覗く瞳は深い闇色で、まるで全ての光を吸収してしまうかのような静けさを孕んでいた。

 彼らは俺たちが囲んでいる円卓から少し距離を開けて立ち止まり、そしてジェラルドは先ほどの問い掛けに頷いてみせた。


「えぇ。本日より姫様付きの護衛騎士となったので、そのご挨拶に」

「ふぅん、結局君たちがなったんだ~。まぁ剣の腕が立って姫様と年が近い人材となれば、君たち以上の適任者なんていないだろうけどねぇ」

「いえ、他にも腕の立つ者はたくさんいますよ。その中で私を護衛騎士に選んでいただけたこと――こんなに名誉なことはありません」

「またまたぁ、そんな謙遜しちゃってさ~。国内でも指折りの騎士の名家、ハイネンス家の名が泣くよぉ?」


 話の内容を聞くに俺に関することなのだろうが、当事者を置いて二人の会話は続く。

 騎士の名家ということは、ジェラルドは本当にエリート街道まっしぐらな騎士様なのだろう。容姿が猛烈に王子様風なだけに、もったいないなどと余計なお世話なことを考えてしまう。


「――いえ、家は関係ありませんから」


 不意に、ジェラルドの目が細められる。



 俺の気のせいだろうか。一瞬、彼の瞳に陰りが見えたような気がした。

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