第10話:寄り道だらけのお勉強会
「えー何なに? リーグレルフ王国とは、君主制の国家であり、二大大陸の一つであるグラミリア大陸の南東部を領土とする。国の東側はエーブルダータ海に面し、北はパッシュゲルム公国、西はアンウェーツ王国、南はヘイツ国とそれぞれ国境を接している。人口は約六千万人、国土面積は約三十五万……」
「人口はフェニッカでのイタリア、面積はドイツくらいだねぇ」
「は、はぁ……土地は肥え豊かな自然に恵まれた気候の穏やかな国であり、四季の変化も比較的小さい。えーと……ぴ、ぴっつぇーね?」
「季節の名前だよん。フェニッカ風に言うなら、ピッツェーネは春。ちなみにトルトーラが夏、ボーロディオが秋で、リッタリアが冬ってとこかな。それぞれ四大精霊の名前から取ってるんだよ~」
「四大精霊……?」
「そ。世界の大部分を構成する火、水、地、風の
「あー……あのですね、教育係様」
「んー? なぁに、お姫様?」
パタン、とわざと音を立てて分厚い本を閉じる。そして向かい側に座り頬杖をついている相手を一瞥しては、深く深く溜息を吐いた。
「俺の頭は至って一般的な作りなので、そんな一度に色々教えられたって覚えられません。しかも何、この本? もしかしなくても、これ全部読むの……?」
「もっちろん! どうせ陛下の命令でしばらくはおとなしくしてなきゃいけないんだし、この私が教育係になった以上はみーっちりお勉強してもらうよぉ」
「うぅ、拒否権が欲しい……」
思い付きのように教育係へのびっくりドッキリ転職を提案しましたこのディフィル様、なんと見事一発採用されちゃいまして。厳密に言えば王妃様から多少のお小言があったが、それでも俺に色々教えるには適任者だということで、既に別の人に教育係が決定していたにも関わらず華麗に転職を果たされた。異世界は今転職ブームの真っ最中なのでしょうか。
とりあえず一つだけ確実なのは、俺に拒否権は無いということだ。悲しきかな、日本でも異世界でも俺に決定権は無さそうです。
ある意味お先真っ暗な現実に俺はがっくりと肩を落とす。ちらりと視界に入るのは、今し方閉じた書物。その厚さはおよそ五センチ。しかも同じような厚さの物が円卓の上に山積みされていた。そしてその中にはびっしりと見知らぬ文字が綴られ、俺は今ひたすらにそれを音読させられている。
正直、わんぱく小僧路線で育った俺に読書というものは非常に苦痛だった。いや、多少は本を読んだりもするけれど、こんな分厚い辞書のような物は読む気になれないというのが本音だ。
――――あれ? ちょっと待とうか、俺の思考。何かおかしいですよね。どう考えても変ですよね? なんで知らない文字を音読出来るんですか、自分さん。
「ねぇ、ディフィル……さん」
「ん? ディフィルでいいよぉ、お姫様。で、何?」
「あぁ、じゃあ――――ディフィル、これ何語……?」
ジェラルドとは違う意味で呼び捨てにし難いのだが、それはひとまず隅に置いておいて。
不可解な現象に眉を顰めては、書物の背表紙に書かれている文字を指差す。日本語でも英語でも、ロシア語でもアラビア語でもない。それどころか俺の知っている限り、どこの国の文字でもないように見えるんですが。まぁ俺の知っている言語なんてメジャーなものしかないのだが。
むしろ問題はそこではなくて、仮に元の世界に存在する文字だったとしても、俺が読める文字なんて日本語と英語とドイツ語くらいなもんだ。……英語だって読めるのはほんの少しだけだし、日本語でも読めない漢字とかありますけどね。ちなみにドイツ語は、育ての母上様の趣味で教えられました。
「何って、シャント語ですよん。リーグレルフの公用語の」
「そんな当たり前のことのように……」
「だって当たり前のことですもん。姫様こそ、その書物を読んでおいて何を今さら」
「うっ……」
それを言われるともう何も言えない。事実、俺は初めて見る文字を何の疑問も無く読んでいたのだ。深く考えなければうっかり見過ごしてしまいそうなほどに、その羅列された文字には全く違和感を覚えなかった。
俺はちらりと本の表紙を見遣る。シャント語と呼ばれるその文字の形象は明らかに見たことのないもので、普通なら読めるはずのないものだった。しかしその文字で綴られた本の題名を、確かに俺は読むことが出来た。
「リーグレルフ王国の歴史……って読むんだよな、これ?」
「うん」
「んでこっちが、これでバッチリ! 初心者に優しい祈術&召喚術入門(初級編)……で合ってる?」
「そ、大正解。ついでに教えておくと、姫様の今喋ってる言葉――――それ、シャント語だよぉ」
「…………はい?」
脇に積まれた大量の本を指差したまま、瞬間冷凍でも施されたかのように体を固まらせる。すぐにはその内容を理解出来ず、視線を彼に釘付けたまま十分な間を置いて、そして俺はゆっくりと人差し指を自分へと向けた。
「えっと……え、今、えぇ? うそ、日本語……じゃない?」
「やーっぱり気づいてなかったねぇ。それはもう立派なシャント語を話してらっしゃいますよ~」
俺のあまりの動揺ぶりにディフィルはクスクスと、面白さの極みといった様子で喉奥を鳴らす。
いや、笑いごとじゃないですって。日本語ではない? 今喋っているのはシャント語だって? いやいや、俺そんな言語知りませんよ。知らない言葉を話せるというのなら、ぜひその方法を伝授して頂きたい。英語ペラペラってちょっと憧れなんだよねー、ってそんなことはどうでもよくてですね。
「……なんでシャント語喋れるの、俺?」
「さぁ? いやー世の中には不思議がいっぱいだねぇ」
「さぁって、そんな無責任な……」
ディフィルは大げさに肩を竦めつつ、しみじみといった様子で呟いた。
明らかに怪しい、怪しすぎる。あまりにも演技染みたその動作に自然と嘆息が漏れた。どう考えても何かを隠しているように思えるんですが、どうしてくれようかこの教育係さん。
どうにもディフィルの言葉を鵜呑みに出来ず、俺はしばらく疑いを込めた視線を送り続ける。すると彼はこちらをチラと横目に見遣り、そして観念したのか、仕方ないといった様子で口を開いた。
「……まぁ、どうしてもって言うなら教えてあげてもいいよ~?」
「えっ、本当に?」
「んふふふ……知りたい?」
「そ、そりゃあ知りたいよ。だって俺、シャント語なんてたった今初めて知ったんだし」
双眸を細め不敵な笑みを覗かせる教育係を前に、俺はたじろぐ。その笑い方、不気味なのでぜひ止めて頂きたい。だからと言ってここで引くわけにもいかず、気を持ち直して真っすぐに彼を見遣る。
それにしてもこの教育係、本当に俺を教育する気があるのだろうか。いや、あんまり教育する気が起きてもらってもそれはそれで困るのだが、それでも生徒の質問には誠意を持って答えるのが先生の義務ってもんですよ。
ディフィルはじぃっと怪しげな色を宿した瞳で俺を見つめ、やがて一度瞼を閉じると微笑をその口元に刻んだ。そして一度小さく息を吸い込むと、右の手のひらで己の顔を覆った。
「ディフィル?」
「姫様、この顔に見覚えないかなぁ?」
俺が怪訝な表情で首を傾げると、彼は右手を一度左へとずらしてから、素早く顔の前を横切るようにスライドさせた。
するとあら不思議、なんとそこには黒髪黒目の日本人男性がいらっしゃった。
薄い唇、目尻の垂れた一重の両眼、さほど高くない鼻、左目尻の泣きぼくろ。飛び抜けて整った容姿ではないが、人の良さそうな雰囲気がそこそこ女性受けしそうな人相の青年だ。
目の前で起きた瞬間的大変身に、俺は零れ落ちそうなほどに目を見開く。突然容貌が変わったことももちろんびっくりだが、俺にはそれ以上に驚く要素があったのだ。
「え、うええええええええ!? うそっ、小林さん!?」
初登場の小林さん。またの名を、さすらいの敏腕アシスタント・ミスター小林。
俺が幼い頃から年に一度ほどふらりと現れては、危機に瀕している漫画家の母を華麗に助けて行くという謎の人物である。ちなみに開かずの扉に続く、我が家の七不思議の一つである。
そんな彼が一体なぜ、ここで現れるのか。半開き状態の口から声にならない疑問が漏れ出るばかりだ。
「あったりぃ。覚えててくれて嬉しいなぁ」
「いや、そりゃあ七不思議になるくらいだし覚えてはいますけど……な、なんで? えぇ、もしかして……」
俺の脳内はある結論に至ろうとしていた。必死に情報のパーツとパーツを組み合わせ、そこから考えられる可能性と言えば。
「そ、謎の凄腕アシスタント小林とは仮の姿。しかしてその実体は……」
俺の言葉に被せるようにして彼は垂れた眦に皺を刻む。そしてまたもやサッと顔を遮るように右手を動かすと、その顔は半分ほど伏せられた眼が怪しげな、元の彼のものへと戻っていた。
「この私、ディフィルでしたぁ~っ!」
「…………マジ?」
「ちょーマジ」
ディフィルはにっこりと満面の笑みを披露しながら、どこぞの女子高生のような口調で肯定してみせる。
七不思議の一つ、謎の凄腕アシスタントの真相が今明らかに! みたいなナレーションでCMに突入するんですよね、テレビ番組の場合。これがテレビだったら、さっさとチャンネルを変えてやるのに。
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