第9話:俺のヤマ勘はあてにならない


 ディフィルは仕方ないなぁ、と残念そうに呟くと壁となっていた王妃様の横をくぐり、俺の足下へと跪く。落ち着かない様子でその光景を見守っていた王様も、俺を一瞥すると渋々ベッドから一歩分離れた。

 俺はある種の恐怖と不安に苛まれながら、しばらく腫れた足首を観察する彼の空色の瞳を眺めていた。そして彼の右手が再び患部へと伸ばされるのを見て、思わず膝を折り足首をその手から遠ざけた。


「ん?」

「あ……あれ? あは、あはは」


 足が引かれてディフィルの手だけが取り残され、彼は不思議そうに目を瞬かせる。そこで俺は初めて自分でも無意識の行動に気づき、誤魔化すように口元を引き攣らせ空笑いをしてみせた。

 いや、だって怖いですって。情け容赦なく痛む部位をぎゅっとされちゃった手前、直後に彼へと黙ってその部分を晒すのはどうにも躊躇われた。

 身を縮こまらせて警戒を露にする俺の心中をようやく察したのか、彼はあぁ、と呟いた後に例の胡散臭さ全開の笑みをその表情筋に宿した。


「だーいじょうぶですよぉ、安心して力を抜いてくださいな。なぁんにも痛いことはしないからねぇ。今は」


 どう考えても一言余分ですよね。普通に安心させてください、お願いだから。しかもその笑顔は逆効果だと思います。

 言いたいことは山ほどあったが、それらを涙ながらに飲み込んで、俺は恐る恐る足首を再度彼の眼前に晒す。あまり逆らうのは賢明な判断ではないと、本能は必死に訴えているからだ。


「はーい、いい子だねぇ。素直な子は大好きだよん」


 好意を寄せられて嬉しくない人間なんていないのよ、なんて言ったのは誰ですか。世のちびっ子たちに嘘を教えちゃいけません! 少なくとも、ここに一人は嬉しくない人間がいたりします。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、ディフィルは笑みを絶やすことなく鈍痛を伝える箇所へと、今度はゆっくりと優しく包み込むように手のひらで覆った。一瞬脳に刷り込まれた痛みが思い出されて体が震えたが、何とか我慢してその様子をじっと見守る。そして彼の双眸がスッと鋭さを帯び、結ばれた口元から小さく息を吐き出されると、患部と接触している部分から一瞬の閃光が生み出された。


「うわ……っ」


 その手のひらから迸る眩しさに、俺は反射的に目を瞑る。何の注意事項もなくその場面を直視していたせいで、先ほどとは違った意味で視界が真っ白に支配された。しかしその瞼の裏まで侵入するような光は、本当に瞬間的なものだった。

 不意に起こった光の洪水が止んだのを感じ、恐る恐る閉じた瞼を開く。一体何が起こったのか理解出来ず、俺はただ目を瞬かせる。映る光景には特に変わった様子は無く、ただこちらを眺めていたディフィルが耐え切れないといった風にくくっ、と癖のある笑声を漏らした。


「はい、おわりぃ。どぉ? もう痛くないはずだよ~。大丈夫だとは思うけど、念のために二、三日は足首に負荷をかけちゃダメだからねぇ」


 彼は間延びした口調で注意事項を述べては、足首を包むようにしていた右手をそっと離した。ふと人肌の温もりが消えたそこに目をやると、腫れていたはずの箇所はすっかり元の状態に戻っていた。


「え? あ、痛くない……」


 そういえば、と俺は膝を折り足首を手元へと引き寄せると、手を添えてそっと動かしてみる。しかし先ほどまで感じていた痛みは全く無く、炎症による患部の熱もすっかり引いていた。何度も関節部分を動かしてみたが、特にどこにも支障はないようだ。

 ディフィルが丁寧に編まれた髪を揺らして立ち上がる。その様子を俺は脳内で疑問符を大量生産しながら眺めていた。

 捻挫は治ったということは理解出来る。怪我の症状も痛みも消えているのは確かだ。しかしどうやっても、その完治に至るまでの経緯が全く理解出来ないんですが。結果良ければすべてよしって言葉があるけど、結果よりも過程が大事っていう言葉もあるんですよ。

 そこではた、と巡らせていた思考を止める。そういえば裏がありそうな笑顔がチャームポイントなこの男、自己紹介の時に召喚士団団長と名乗っていた気がする。召喚士と言えば、俺の中のイメージはRPGでの一職業であり、いわゆる魔法使いに分類される人物のことであってだな……。


「魔法……?」


 ぽつりと、思い至った結論を呟いた。問題の召喚士様を縋るように見つめ、正否を問う。

 どう足掻いてもここは異世界だ。常識だけで理解出来ないことは、素直に現地の人に聞くのが一番。分からないものは分からない。ほら、よく言うじゃないか。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って。


「ン? あぁ、そっかぁ。こっちの知識がまったくないんだから、当然祈術のことも知らないよねぇ」

「きじゅつ?」


 俺の視線を受け止め、ディフィルは相も変わらぬ気だるげな双眸をさらに細める。その口から飛び出した初めて聞く単語に、俺は説明を求めるように僅かにその身を乗り出した。

 すると瞬時に彼の頬がにやり、と愉快げに歪む。そして冷めた印象を与えるその瞳は、ありありと明らかな奸智を宿していた。あれ、俺ってば何かやっちまった感じでしょうか。


「そ、祈術。まぁフェニッカで言う魔法とそう大差はないよん」

「へ、へぇ……」

「あれれ、もしかして祈術に興味あるの~?」


 ずい、と顔が近付いてくる。薄い唇がどこか意地悪そうな笑みを刻み、俺は本能が訴える危機感に従って僅かに体を後退させる。ギシ、とその身を受け止める寝具が体重の移動を告げた。

 首を横に振ることを許さないといった圧力がひしひしと降り注ぐ。ここで彼の意にそぐわない返事をする勇気を、生憎ながら俺は持ち合わせてはいなかった。あったら今頃俺はここにいないだろう。

 こく、と俺が小さく頷いてみせると彼は満足そうに眼瞼を細め、迫っていたその身を戻した。そしてそのままくるりと方向を変え、静かに治療を見守っていた王様と王妃様へと向き直る。


「ディフィル?」


 突然の行動に、二人共に怪訝そうな表情で首を傾げている。俺は状況が全く分からないまま、確実に増す嫌な予感に苛まれていた。こういう時の勘だけは百発百中だ。どうせなら試験のヤマ勘が当たってくれた方が、何百倍も嬉しいですけど。

 ほぼ諦めの思いで成り行きを見守っていた俺の余所に、彼はそれはそれは楽しそうな、まさに心躍るといった様子で右手を自身の胸に添え、口を開いた。


「ただいまを以って、ディフィル・レッテンヘイズは召喚士団団長の任を辞任し、王女殿下の教育係に就任いたしまっす!」



 全力で拒否権発動させていただきます。……あれば、だけど。

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