第3話:王子様登場?


 あれ、ここはどこだ?


 ぱちりと開いた両の瞳に映るのは、吸い込まれそうな真っ青の空に、その中を流れて行く綿あめのような白い雲。そしてどこまでも続くエメラルドグリーンの海だった。足元には太陽の日差しを浴びて一粒一粒が金色に輝くような、眩いばかりの砂が一面に敷き詰められている。

 照りつける日光に肌がじりじり焼かれているようだ。暑い、ひたすら暑い。

 つつ、と頬を伝って流れる汗が砂の上へと落ち、その一滴は吸い込まれるように消えていった。

 どうやらここは海のようだが、なぜこんなところにいるのか。


 俺は今まで何をしていた?


 状況が全く理解出来ず、暑い中上手く働かない頭を必死に回転させる。

 そしてすぐに思い出す。手のひらに残った柔らかな肉の感触を。


「そうだ! 俺女に……っ!」


 思い出した途端に再び顔の血の気が引いていく。

 そうなのだ。俺は女になってしまったのだ。何かのマジックか手術の記憶が消されているだけなのかは知らないが、とにかく十七年間親しんだ俺の身体は女性のものへとなっていた。

 服を脱いで直接全裸を確認したわけではないが、少なくとも平野だった場所に二つの山は建設されていたし、下半身の方も改造されてしまっていた。

 あぁ、あの手にピタリとフィットする感触が何とも悩ましく恨めしい……と、その感覚を思い返しながら胸へと手を伸ばした。が。


「あ、あれ?無い……?」


 一度手を離す。そしてもう一度触れてみる。

 しかし、そこは確かに真っ平らだった。胸と思しき柔らかな感触はどこにも無い。

 あれは勘違いだったのか?いや、確かにお胸様を揉んだ感触が手にしっかりと残っている。ちゃんと人肌の温かさもあったし、偽物だったとも思えない。

 どういうことなのかと首を捻ると同時に、もう一つ重大なことに気付く。そう、大事な大事な息子様だ。


「ある……」


 消えていたその存在が戻ってきたことを確認すると、あまりの安堵にズルズルとその場に座り込む。

 そう、俺の身体は元の男の体に戻っていたのだ。

 神様ありがとう。俺を男に戻してくれてありがとう。もうこのまま天に召されてもいいですありがとう。

 本気で涙を流しながら、両手を組みひたすら空に向かって礼を言い続ける。

 あぁ、この身を焦がす太陽の熱でさえ今は清々しい。まさに気分はパラダイスだ。日本語がおかしくてもこの際気にしない。この心情が伝わりさえすればいいのだ。やったぜこんちくしょー!

 両腕を広げ南国っぽい風を全身に浴びながら有頂天で砂浜を駆け回っていた俺だったが、しばらくして少し離れた所に人影があることに気付いた。

 後ろ姿で顔は見えないが、それは紛れもなく水着姿の女性のシルエットだった。

 身体を元に戻してくれた上に水着のお姉さんまで用意してくれるなんて、なんて慈悲深い神様なんだろう。もう一生ついていきます。

 俺は心の中で固く神様に誓いを立てると、ルンルン気分のスキップでそちらへと近づく。


「お嬢さん、俺と一緒にあははうふふの甘いひと夏のアバンチュールを過ごしませんか?」


 一応言っておくと、普段の俺は決してこんな台詞を言える人間ではない。女の子と緊張して喋れないような性格でも無いが、こんな風にナンパをしたことも無い。

 しかし今の俺は最強だ。黄泉の国から甦った不死鳥だ。今なら何だって出来るぜ!的なノリで。

 俺の誘い文句に愛しの彼女が振り返る。さぁ、早くそのお顔を俺に見せておくれ。

 流れる亜麻色の髪、その隙間から覗く健康的に焼けた肌。頬骨の浮き出たこわばった骨格に、凛々しい眉毛、中央に割れ目の入った顎。そしてその顎には立派な青髭が―――。






「ぎゃあああああああああああああああああ」


 俺は盛大な悲鳴を上げてバネで弾かれたように起き上がる。

 とんでもないものを見た、気がする。恐ろしい、恐ろしすぎる。

 いや、きっと夢だ。今のは夢。美しい曲線を描いたその豊満なボディについていたのが厳つくゴツイ、ぶっとい眉の男の顔だなんてまさかそんなことあるわけがないじゃないか。

 きっと俺は悪夢を見ていたのだ。その証拠にほら、頬をつねったら涙が出るほど痛いじゃないか。ここがきっと現実で、あれは夢だったのだ。

 ほっと安堵の息を吐く。あぁ、世界の終わりを目撃してしまった気分だ。


「あのー、お一人で楽しそうな所申し訳ないのですが」

「うぇっ!?」


 一人で百面相をしていたところに、不意に横から控えめな声がかけられた。俺は驚きのあまりに口から心臓が飛び出そうになり、おかげで奇声が返事となってしまった。


「大丈夫ですか? 随分うなされていたようですが、悪夢でも見たのですか?」


 心底心配そうに問いかける声の主へと顔を向けると、そこには思わず目を瞑ってしまいそうになるほどに眩しく光り輝いている美形の男性がいらっしゃった。

 一本一本が丁寧に作り上げられた絹糸のような黄金色の髪、筋の通った鼻にすっきりとした顎までの輪郭。くっきりとした目元は快活さに溢れ、その中心には宝石のような輝きを秘めた、深海を思わせる濃い青色をした瞳を宿していた。

 例えるならば、おとぎ話に出てくる王子様がそのまま現実世界へと抜け出てきたような、そんな存在感だった。

 俺は思わず言葉を失う。今までの人生でこれほどの美形を見たことが無かったからだ。

 身近で出会うことはもちろん、テレビでも俺は見たことがない。単に外国人を見る機会が少ないだけなのかもしれないが。

 もう口半開き状態でただひたすら凝視する。特にその瞳はじっと見つめているとそのうち吸い込まれてしまうんじゃないかと思うような、そんな不思議な魅力を持っていた。


「もしもーし。聞こえてます?」


 眼前でひらひらと手を左右に振られ、ようやく俺は我を取り戻す。

 危うく美形の魔力にやられてしまうところだった。


「あ、あぁ。ちょっとナイスバディなお姉さんにむっさいおじさんの顔が付いてて……」


 そりゃあもうキング・オブ・悪夢の座に相応しい悪夢だった、と言いかけてピタリと止める。あることに気付いてしまったからだ。


「どうしました?」


 目の前の超絶美形は途中で言葉を途切れさせた俺を怪訝そうな目で見ている。

 どうしたもこうしたもない。今喋った俺の声が、明らかに高かったのだ。

 瞬時に思考が脳内を駆け巡る。

 悪夢は確かに夢だった。ということは、その前の男に戻った自分の身体も当然―――。


「大丈夫ですか? 姫様ー?」


 あ、なんか決定打を聞いた気がする。

 俺は視線を下へと遣って―――なだらかなはずのそこに、膨らみを見た。

 夢は夢、現実はこっち。なぜだか神様の高笑いが聞こえた気がした。

 くそう、一生ついて行くなんて誓った俺が馬鹿だった。もう二度と信じるものか。神様のバカヤロウ。

 勝手に誓われた上に逆ギレされては、神様もさぞかし迷惑だろう。


「姫様って……俺?」


 泣きそうになりながら尋ねる。


「もちろんです。他に誰も居ないじゃないですか」


 ですよね。俺はささやかな期待を打ち砕かれ、がっくりと肩を落とす。

 周りに視線を巡らせると、どうやらここは古めかしい木造の建物の中らしいことは分かった。タンスや棚など、生活感溢れる家具に囲まれて俺はベッドに寝かされていたようだ。ちゃんと布団も掛けられていた。


「まったく。村人たちが騒いでいるから何かと思えば、食料庫で姫様が気絶していらっしゃるし……とても驚いたんですよ、私」

「あー……そういえば食料庫にいたんだっけ、俺」


 徐々に夢と現実の整理が出来てきた。

 食料庫でおじさんたちに責められていた時に、女へと変化していた自分の身体に驚きすぎて気絶したんだろう。そしてそれ以降は全て夢、と。

 どうやら三途の川は本能的に渡らなかったようだ。

 残念な気持ちと夢で良かったと安心する気持ちが入り混じって、なんとも複雑な気分だ。

 そこでハッと気づく。この超絶美形、俺をナチュラルに『姫様』と呼んでいることに。


「あ、あなた様は俺のことを知ってらっしゃりますのでございましょうか?」


 思わず畏まりすぎて敬語として形を成していないが、そんなことはどうでもいい。

 この何も分からない異世界で四面楚歌を経験した俺としては、一刻も早く自分のことを知っている存在に出会いたかった。

 そういえばこの超絶美形、金髪碧眼という何ともオーソドックスな王子様顔ではないか。

 まさかこの人が母の言う王子様なんじゃ―――。


「当然です。貴女は我らの大事な大事な姫様なのですから」

「じゃ、じゃああなた様は王子様なのでやがります?」

「いいえ、そんな恐れ多い。私はただの騎士でございますよ」


 俺の淡い希望は一瞬にして砕け散った。

 その美貌でただの一騎士なんて、何か詐欺的なものを感じる。

 それでも諦められない俺は、砕け散った希望を接着剤でくっつけ直して縋りつく。まさに必死。


「もしかして王族にありがちな権力争いに巻き込まれて正体を隠して騎士をやってるなんてことは―――」

「残念ながら、私は代々騎士の家系の生まれで、幼い頃よりその修行に明け暮れておりました」


 そうですよね。さっきも学んだじゃないか、俺。世の中はそんなに甘くないって。

 今度こそ修復不能なほど、粉々に砕けた希望にもうなす術はない。


「はぁ……迎えが来ないからって行く宛てもないし。そういえば泥棒として突き出すって言ってたような……」


 何も告げずに異世界へと放り込んだ張本人を恨めしく思いながら、ふと気絶の直前に言われた言葉を思い出して、さらに絶望の淵へと沈む。

 結局俺は牢屋へ行く運命からは逃れられないのか。お母様、もう俺はダメなようです。


「あぁ、それなら大丈夫ですよ。姫様の迎えというのは私のことですし、食料泥棒の件については、あなたの無実は証明されましたから」

「先立つ不孝をお許しください……って、えっ!?」


 完全に一生を牢屋で過ごす気になっていた俺に一筋の光が差す。急に世界が輝いて見えた。


「む、迎え? 本当に? 無実ってことは、牢屋に入らなくてもいいのか?」

「本当です。牢に入る必要もありませんよ」


 ふにゃ、と情けないほど安堵に顔を崩れさせた俺に、騎士様はえらく爽やかな笑みを披露して下さった。

 それはまさに救世主の微笑み。あぁ、もう一生ついていきます。

 しかし彼はすぐに笑みを消してしまう。


「姫様を迎えに行けなかったのも、食料庫に間違って転送されてしまったのも、すべてこちらの手違いです。申し訳ありません」


 己の失態を告げ、腰から上半身全体を折るようにして深々と頭を下げる。カシャン、と腰に下げられた物が音を立てた。剣だ。

 なんとも礼儀正しい謝罪だ。彼が騎士だというのは本当なのだろう。仕草の一つ一つに誠実さを感じる。


「そ、そんな謝らなくても……それに俺、急に色々あったから訳分かんなくて。とりあえず状況とか事情とかを説明してくれるとありがたいかなー、なんて」


 相手の対応に思わず俺も畏まる。とりあえず、現状がどうなっているのか教えてもらいたい。それを知らないことには、今の俺にはどうする事も出来ない。

 果たして俺に教えてもらえるのかと不安に思いつつ、少しばかりはにかみながら頼んでみる。

 すると、彼は上体を元に戻して了解を表すように一つ頷きをして見せる。金の髪がさらりと頬に流れた。


「そうですね。ですが城で姫様の到着を待っている者もおりますので、道中で一つずつ説明することに致しましょう」


 そう言って、美形騎士様は極上の悩殺スマイルを投下した。

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