第2話:初めまして、私


「おい、聞いているのか!?」

「へっ? あ、はい!」


 現実逃避よろしく、回想の世界に浸っていた俺の頭上に、中年の男性の大声が降り注ぐ。それにより俺の意識は強制的に現実へと戻された。

 その声の迫力に思わず敬語で返事してしまう辺りは、きっとお母様の教育の賜物なのだろう。

 床へと落としていた視線を上げると、とっても険しい形相をしたおじさんたち一行が相も変わらずそこに君臨していらっしゃる。

その容貌はくすんだ茶髪に碧眼という身近でお目にかかったことのない組み合わせで、あぁ、異世界なんだなぁーなんてのんきに思ったりしちゃったり。


「ならさっさと答えろ! お前は何者だ? 鍵の掛かった食料庫にどうやって入った!?」


 どうやら俺が過去を振り返っている間にも詰問されていたようだ。痺れを切らしたのか警戒心と苛立ちを募らせて、一人のおじさんが入口付近で声を荒げている。

 状況から察するに、俺が辿り着いたのは食料庫らしかった。木造の小屋のような建物の中は真っ暗で、外からの光でようやく周りの状況が把握できる。

 傍には木箱のようなものがいくつか積まれている他、穀物が詰められているらしい袋などが点々と置かれているのが確認できた。

 しかもどうやら俺はその袋の上に落下したようで、すぐ横に口を開けた袋が横たわっている。よく見ると足元にりんごのような赤く丸い果物がいくつか転がっており、申し訳ないことに中身をぶちまけてしまったらしい。


「黙ってないで何か言え!」


 さらに浴びせられる怒声。そんなこと言われても、と俺は言葉に詰まる。


 母にとんでもない爆弾発言を頂いた後、俺は半分……いや、九割ほど魂の抜けた状態でひたすら真っすぐ歩き続けた。気分はまさに川の先にある花畑でも目指すかのように。

 歩き始めて五分、もしかしたら十分ほど経っていたかも知れない―――時間感覚が無かったので実際の時間は定かではないが―――とにかくそれくらいの時間が経った頃、俺は急に足元が崩れ落ちるような感覚に襲われて、そのまま現在地点へと放り出されたのだった。


 もちろん目隠しした状態でかっこよく着地なんぞ出来るはずもなく、落下の際にしこたま尻を強打し、今でもじんわりと鈍痛が広がっている。

 もう少し穏便に到着出来なかったものかと、この行き方を考えた人物に小一時間ほど問い詰めたい気分だ。異世界初心者にもっと優しい設計を。声を大にして主張したい今日この頃。

 とにかく、そんなこんなで俺は今この状況に至る。ちなみに目隠しは着地……正確には落下した時の衝撃で解けてしまったのだが、どうやらその役目を無事果たしたようだ。


「えっと、その、俺は怪しい者じゃなくて……」

「鍵のかかった食料庫に侵入しといて、怪しくないわけがないだろう!」

「ですよね……」


 とりあえずこういう時の常套句として不審者ではない事を主張してみたが、結果は火を見るより明らか過ぎて弁解のしようもない。

 どうにも都合の悪いことに俺が落下したこの場所には鍵がかけられていたらしく、そんな場所に急に人間が降って沸けば誰だって不審がるだろう。というか鍵のかかった場所でなくとも、知らない人間が急に現れればその時点で十分怪しすぎる。

 どうやっても現在の自分の状況を説明し得る手札を持たない俺は、異世界に来て五分足らずで半ば諦めかけていた。

 自分が何者かと問われても、母親に「私は本当の親じゃないのよ」発言されて訳分からないまま異世界に飛ばされた高校二年生です、というわけにもいかず、どうやってここに来たかは俺が聞きたいくらいである。誰か代わりに説明をしてください。切実に。

 俺が心の中で宛ての無い祈りを捧げている頃、ギンギンに睨みを効かすおじさんの背後ではこそこそと小声の会話が交わされていた。


「食料泥棒ですかね、やっぱり」

「だろうな。今年はどこも作物が不作だって言うし……」

「しかしなぁ、こんな子まで泥棒するなんて」


 おじさん集団の中に混じってこちらを見ていた年若い青年の表情に哀れみが混じる。

 ひっそりと交わされた話し声の全ては聞こえなかったが、とりあえず泥棒という単語だけは聞こえた。

 どうやら俺は食料泥棒に間違われているらしい。いや、食料庫に辿り着いた時点でそんなことになるような気はしていたが。

 そして会話の主は先頭切って俺に敵意を向けているおじさんへと耳打ちをし、一言二言と何やら言葉を交わした末に互いに頷き合うと、再びこちらへと注目する。


「お前を食料泥棒として騎士様に引き渡す。女だからって許してもらえると思うなよ」


 あぁ、お母様。俺は異世界に来てたった十分そこらで犯罪者になってしまいました。親不孝者でごめんなさい。これから裁判にかけられて、一生牢屋の中で過ごすのでしょう。別に女だから許してもらえるなんて思ってなかったけれども、世の中なんてものはそんなに甘くないですよね。そう、女だからって―――。


「……………………女?」


 長い沈黙の後、俺はぺたりと己の胸へと手を当てた。





 ―――むに。





「うそおおおおおおおおおおおおおおおお!?」



 そこにはあった。本来ならないはずのものが。

 柔らかいなぁとか、よく二の腕の感触と同じって言うけど確かにそれっぽいなぁとか思ってみたりしちゃったけども、そんな場合ではない。

 柔らかい中にも程良い弾力を持ち、滑らかな曲線を形取ったちょうど手の平に収まる程度の大きさのそれは、明らかに胸と呼ばれるものだった。


「な、なんだ!?」


 突然叫び声を上げる俺に、一体何が起こったのかとおじさん集団は身構えている。そんな彼らを尻目に、さらに重大な事実に気づいてしまった俺は慌てて股間へと手を伸ばす。

 ジーンズ越しにもはっきりと分かった。それの消失が。



「………………………………ない」



 ポツリと、呆然とした表情でただ一言だけ呟く。

 全身の血の気が引いていくようだった。


「お、おい……?」


 急に叫び出したと思ったら今度は放心状態となっている俺に、おじさんは恐る恐る声をかける。さきほどの食料泥棒とはまた違った意味での警戒心を抱いているようだ。

 その呼びかけにギギギ、と音が聞こえてきそうな機械染みた動作で首をそちらへと向ける。衝撃の表情のまま、唇だけを動かして。


「……俺、女?」

「ど、どう見ても男には見えないが……」


 先ほどまでは現状把握に追われていて気付かなかったが、よくよく聞いてみると自分の喉から発される声も何やら高くなっていた。服も体にピッタリと合ったサイズだったはずなのに、Tシャツもジーンズも、ぶかぶかで裾が余ってしまっている。

 そしておじさんの発言もとどめとなって、俺は完全に機能停止した。

 叫び声を聞きつけたのか、いつの間にか入口には大勢の人が集まって来ていたがそんなことはもうどうでもいい。




俺は本日二度目の三途の川を、本気で渡ってしまいたいと思った。

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