第1章

第1話:こんにちは異世界、さようなら今までの俺


 十七歳の誕生日がなんだって?

 王子様が迎えに来る?


 冗談じゃない。


 目の前には警戒心全開のおじさんたちご一行。その手には何やら先の尖った農具のような物が握られている。

 俺は自分の置かれている状況が全く分からないまま、もしこのおじさんたちの誰かが噂の王子様だったりしたら人生に絶望してしまいそうだ、なんて思っていた。



     *  *  *



「真琴、誕生日おめでとう!」


 事の始まりは、俺の十七歳の誕生日を祝う母の満面の笑みだった。

 高校二年生の夏休みのほとんどをアルバイトに費やす予定でいた俺は、その日も例に漏れず八時間きっちり働いて帰宅したところだった。


「あ……うん、ありがとう」


 玄関を開けた途端に遭遇したその眩しいほどの笑顔に、少々戸惑いながらとりあえず礼を返す。

 しかしその普段の母よりも些か……いや、相当テンションの高いその様子に俺は嫌な予感しか感じなかった。

 それはもうこの十七年生きてきて身についた勘とでも言うべきか。過去を振り返っても、こういう状態の母と遭遇した場合に無事で済んだ記憶が無いのがまた何とも悲しい。


「ねーえ、真琴」

「は、はい?」


 思い出の海へとトリップしていた俺を引き戻すかのように、母上は先程と変わらない笑顔を向けたままこちらへと近づいてくる。それに思わず一歩後ずさりながらも、なるべく穏便に済ませようと顔面の筋肉をフル稼働して平常を装う。


「十七歳の誕生日のこと、覚えてる?」

「え? えーと……なんだっけ?」


 突然尋ねられても、俺の頭の中は真っ白だ。第一、今日は自分の誕生日だということすら忘れていたのに。俺の脳を占めていたのは、今日は人手が少ないから店長に扱き使われそうだなーとか、その程度のことだ。

 そんな答えが母上はさぞ気に入らなかったのだろう、見る見るうちにその表情は険しいものになっていく。


「忘れたの? もう、あんなに言ったのに! 十七歳の誕生日に、王子様が迎えに来るって言ったでしょう」


 ふん、と腕を組み咎めるように少し厳しい口調で言い放った内容は、それはそれは普通に考えると理解に苦しむものである。

 しかし残念ながら俺にはその『十七歳の誕生日』と『王子様』のフレーズの組み合わせには思い切り心当たりがあるため、明後日の方向を見ながら頬を掻く。


「あー……そういえばそんなこと言ってたような……」

「そういえば、じゃないの! もう……あんなに言って聞かせたのに、こんなにやんちゃに育って……」


 よよよ、と母上は顔を両手で覆い大げさなくらい悲しみに暮れている。

 しかし育ち盛りの少年として言うのであれば、自分は一般的だと思うのだ。むしろ今まで大きな反抗期を迎えることもなく、割りと素直な性格に育っただろうと自負している。

 だがどうやら女の子のようにおしとやかに育てたかったらしい母からすれば、さぞかし希望とはかけ離れた育ち方をしてしまったのだろう。


「それで? その王子様がどうしたんだよ。まさか迎えに来てるとか?」


 放っておけばいつまででも泣き真似を続けていそうな母なので、小さく溜息を吐いてから話の続きを促す。

 正直に言えば、この先なんて聞きたくないのだが。まさか本気で迎えに来るわけでもないだろう。あぁ、早く風呂入って休みたい。

 しかし子の心親知らず、俺の切実な思いを裏切って、ハッと我を取り戻したように母は顔を上げる。そしてどこか困ったように眉を寄せては嘆息する。


「それがね、何かトラブルが起きて迎えに来られないらしいのよ」


 そこで俺は思わず機能停止する。瞬きも忘れ、口をぽかんと開けたまま、瞬時に色々な考えが脳内を巡っていく。

 ぐるぐると様々な情報を照らし合わせて辿りついた結論は、どうやらこの母上様、本気で王子様とやらが迎えに来ると言っているらしいことだった。


「ちょ、ちょっと待った! え、本気で迎えに来る気か? 冗談じゃなくて!?」


 まさにパニック状態。脳みそフル回転で色んな分泌物が溢れだしそうだ。

 それに対し、その元凶である人物は堂々と胸を張って―――


「当たり前じゃないの。誰がそんな冗談言うもんですか」


 めまいがした。

 正直、今まで王子様のお迎えなんて冗談だと思っていた。いや、むしろ今も思っている。これは手の込んだ母のイタズラなのだと。第一考えてもみろ、おかしいじゃないか。男の俺になぜ王子様が迎えに来るのか?まず前提として間違ってる。普通なら、俺がお姫様を迎えに行くとか、お姫様が迎えに来るとか。そうだよ、王子様と言ったらお姫様だろう!二人は切っても切り離せない関係なのであって、王子様がいるならお姫様が―――。

 そこまで思考が巡りに巡ったところで、その活動は急停止する。


『お姫様はあなたよ、真琴』


 唐突に思い出す、幼き日の母の言葉。


 お姫様は、俺。


『そう、お姫様。だから王子様が迎えに来た時に恥ずかしくないように、ちゃんと綺麗にしておかなくちゃね』


 そうだ。なぜ小さい頃にフリフリふわっふわの服を着せられた?髪を伸ばしてリボンでまとめていた?なぜこの母は、俺を女の子のように育てようとした?


「―――あの、お母様」

「ん?」


 思わず畏まった言い方で呼びかけると、不思議そうな顔で首を傾げる。

 あぁ、そうだ。自分の母親の性格をすっかり失念していた。漫画家という職業故か否か、常日頃から夢見がちな言動をする親だったが、決して嘘は吐いたことは無かった。いつも自分に正直で、真っすぐで、その影響か俺自身も嘘は大嫌いだ。

 そんな母親の発言である。よくよく考えれば全て本気に決まっているじゃないか。

 俺は一つ深呼吸をしてから、自分に向かって人差し指を指す。


「えーと……お姫様?」

「そう、お姫様」


 いとも簡単に肯定されて、逆に反応に困る。

 思わず自分へ向けていた指先を下へと方向を変え……


「あの、俺、ついてますよ?」

「分かってるわよ、そんなこと。誰がオムツ換えたと思ってるの?」

「ですよね……」


 遠い目をして呟く。当たり前ですよね、母親ですものね。聞いた俺が馬鹿だった。

 何となく行き場を無くした人差し指が物悲しい。


「って、こんなことしてる場合じゃないのよ! 真琴、ちょっと来なさい」

「えぇ?」


 もうまさに為すがままといった状態である。困惑の俺の腕を引っ張ると、靴を脱ぐのも待たずにずんずん家の中へと進んでいく。

 靴が中途半端に脱げてしまったせいで廊下に片方乗り上げている。しかしそんなことはお構いなしに母はそのまま階段を上り、二階の突き当たりにある扉の前までやってきた。


「え? ここって……」


 他の部屋の扉とは違い、どこか古めかしさの漂うその扉は、実は我が家の最大の謎である。幼い頃からずっと鍵がかかっており、一度も開いた所を見たことが無いのだ。

 いわゆる、開かずの間。

 しかも母はその鍵を無くしたと言っていたのだが―――当の本人は俺の手を離すと、ズボンのポケットから何やら小さな鉄の棒のような物を取りだした。

 持ち手の部分に緻密な細工が施された、古く錆びれた鍵だった。そしてそれを黙ったまま扉の鍵穴へと差し込み、ゆっくりと手首を捻る。

 するとカチャ、と予想よりも軽い音を立ててその錠は外れた。


「開いた……鍵、無くしたって言ってなかった?」

「そうでもしないと真琴探して開けちゃうでしょ? 私と似て好奇心旺盛なんだから」


 扉を解放し用済みとなった鍵を俺の目の前でひらひらと振って見せては、それを大事そうに再びポケットへと収める。

 確かに鍵があると知れば、俺は意地でも探し出していただろう。

 好奇心旺盛な上に思い立ったら即行動に移してしまう自分の性格は身に染みて分かっている。この性格で色んなことに首を突っ込んだのもいい思い出だ。


「さ、おしゃべりはここまで。時間無いんだから」


 懐かしい過去へと意識と飛ばしているのも束の間、パンと一つ手を打つ音で現実へと引き戻される。そして不意に後ろから視界が白い布で覆われた。


「え、何? 何だよ、これ?」

「目隠し」

「いや、それは分かるんだけど……」


 突然視覚を奪われ焦っている俺に構うことなく、目隠しの布は後ろでしっかりと結ばれる。

 その意図するところが全く分からず、俺の頭にはクエスチョンマークが大量生産されるばかりである。


「よし、準備完了! 真琴、それ取っちゃダメだからね」

「なんで? というか、目隠しする必要ある?」

「大いにあるわよ。この扉通る時にそれしてないと、向こうの世界へ行けないんだから」


 そこで再び俺はフリーズする。何やら聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。

 もう、嫌な予感のオンパレードである。


「あの……色々と質問があるんですけど」

「時間が無いから、手短にならいいわよ」


 仕方無いわね、と母は質問受け付け体制に入ったようだ。見えないが、きっと癖で腕を組んでいることだろう。

 正直疑問が多すぎて何から聞いていいやらという感じではあるが、とりあえず思いつくものから言ってみる。当事者である俺にも色々事情やらを聞く権利くらいあると思う。今更な気がしなくもないが。


「えぇと……とりあえず、向こうの世界って?」

「向こうの世界は向こうの世界よ。今私たちがいるこの世界とは違う世界。簡単に言っちゃえば、異世界ってやつ?」

「あー……」


 この世に、突然異世界へ行ってらっしゃいと言われて素直に受け入れられる奴がどれくらい居るんだろう。

 むしろ目の前に異世界がありますと言われて、信じる奴はどれくらい居るのだろうか。

 あ、なんか目隠しが湿ってきた気がする……。


「事情は分からないけど、向こうが迎えに来られないっていうんだからこっちから行くしかないのよ」


 弱ったように小さく嘆息が聞こえた。


「……俺が行くの? 向こうに」

「うん」


 迎えは向こうから来る予定だった。そして迎えに来るのは王子様なわけで。それらの情報を合わせて見えてくるのは。


「王子様は向こうの人……ってことで正解ですか?」

「バッチリ正解」


 出来れば外れて欲しかったです。

 なんていう心の声など届くはずもなく、正解を褒めるように何度か拍手の音が聞こえた。こんなに褒められて嬉しくないことなどこれが初めてだ。


「もう質問はいい? まぁ向こうに行けば嫌でも分かるわよ」


 まだまだ聞きたいことは山ほどあるはずなのに、途方に暮れている俺の頭はすでに容量オーバーで爆発寸前だ。

 その上とってもお気楽思考の持ち主の母が相手では、そこまで詳しい説明を望めるはずもなかった。


「真琴、いい? 扉に入ったらとにかく真っすぐ歩いてね。適当に歩いていれば結構すぐ着くから。あと、目隠しは向こうに着いたって分かるまでは外さないこと。じゃないと迷子になっちゃうからね」


 あぁ、とうとう本気で出発するらしい。

 諦めにも似た溜め息を深く深く吐きながらも、行き方に関する注意事項をしっかりと記憶に刻みつける。迷子には絶対なりたくないという一心で。

 聴覚がキィ、と古びた扉の開く音を捉える。すると中から流れ出て来たもやっとした空気が鼻腔をくすぐった。


「埃くさっ!」


 それは多分に埃を含んだ、決して新鮮とは言えない空気だった。

 無意識に思い切り吸い込んでいた俺はそれを体の中から追い出すように勢い良く咳き込んだ。


「仕方ないでしょ。この部屋滅多に開けられなくて、ろくに掃除も出来ないんだから。しばらく鼻で息しないようにしなさい」


 そう言って咳き込み続ける俺の背中を一度叩くと、そのままぐいぐいと力を込め押し出すように前進を促す。


「わ、そんなに押されると怖いって!」

「あなたが進まないからでしょ。さ、行った行った!」


 俺は視界の効かない中で歩くことに若干の躊躇いと感じながらも、引くことを知らない母と背後からの力に負けて恐る恐る一歩を踏み出した。

 その時の俺の心の中には限りない不安と、そしてちょっぴりの好奇心があった。本当にちょっぴりの、そこら辺の砂一粒分くらいのものが。

 そしてその微々たる好奇心は、俺に肝心な部分を聞いていないことを思い出させた。

 どこかひんやりとした空気を足の爪先に感じながら、背後にいる母に問いかける。


「ちなみにさ、その王子様ってどんな奴?」

「さぁ?」



 数秒の沈黙。



「へっ!? え、ちょ、知らないの!?」

「うん」

「あれだけ迎えに来るって言っておいて!?」


 てっきり知っているものと思っていたのに、まさかそんな返答が返ってくるとは予想外もいいところだ。

 俺は思わず声を上ずらせて問い詰める。


「だって迎えに来るとしか聞いてないんだもの。ほら、早く進みなさい!」


 もう、呆れやら驚きやらで脳内会議室では大暴動が起こっている。ついにはさっきから必死に状況整理に努めていたミニ俺が仕事を放棄し、ちゃぶ台をひっくり返した。

 幼い頃から散々迎えに来ると言っておいて、相手が誰だか知らないとは夢にも思わないだろう。想像を超えたことを軽々としてみせる、さすがは俺のお母様。

 そしてそんな偉大なる母はとどめと知ってか知らずか、更に巨大な爆弾を投下していってくれた。


「誰に!?」

「あなたの本当のご両親」



 その時見えた川は、もしかしたら三途の川だったのかもしれない。


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