第31話 愛を確かめ合う、ディープキス。

「み、御藤くん、撫子ちゃん!?」


「……っ!」


 唇を重ねた同時に、柔らかい感触とぬくもりが、俺の唇を通して伝わってくる。


 撫子から漂ってくる甘い香りと、脳を刺激するピリッとした感覚。


 お互いに愛する人の感触を求めて、唇を重ね合った。


「……ナデコ」


「おにぃ……」


 もっと欲しい、もっともっとだ。もっと撫子を感じたい。


 そう思った俺が、少し唇を開いた、その時……


 突然、衝撃の出来事が起こった。


 俺の唇がこじ開けられ、撫子から想像もしなかった攻撃が繰り出されたのだ。


 愛を確かめるための、猛攻撃。


 唇をただ重ねるだけのキスではない……ディープキスと呼ばれる行為が、容赦なく俺を襲ってきた。


「え、えぇぇぇぇ!? 御藤くん! な、なな、撫子ちゃん!? こ、ここ、ファミレス! ファミレスなんだよ!? 人がいっぱい見てるんだよ! そ、それなのに、そんな激しいキスを……って、あわわわわわ」


 制止する初瀬峰の声は撫子には届かない。


 義妹は、自分の気持ちを寧々香に……いや、この場にいる全ての人々に見せつけるかの様に、俺と舌を絡め合う激しいキスを続ける。


 絶え間なく襲い掛かってくる撫子の甘い攻撃に、俺は何も考えられなくなり、その行為に耽っていく。


 お互いの舌が触れ合う、不思議な感触。


 初めて体験する大人のキスを、俺はただただ、貪る様に繰り返した。


「うぅぅぅ……御藤くんと撫子ちゃん、すごい、すごいよ……あんなにも、激しく、あぁぁぁぁ、なんだか、すごくエッチだよ」


 そんな快楽とも言えるキスに溺れるがまま溺れ、初瀬峰の声も、周囲の雑音も、どんどん遠のいていく。


 ──どれだけの時間、キスをしていたのかは分からない。


 そうして、どちらからともなくゆっくりと唇を離し、お互いの目を見つめ合った。


 頬を上気させ、撫子はとろんと蕩けた瞳で俺を見つめている。


「おにぃ、お願い……シテ」


 撫子の扇情的な表情に、俺は込み上げてくる感情を抑えきれなくなり、瞳を潤ませる彼女をシートに押し倒して……


「だから、御藤くん! ここ、ファミレスなんだって言ってるでしょ!」


 俺の首に初瀬峰の細腕が回されて、そのまま後ろへと引っ張られた。


「ぐはっ!」


「撫子ちゃんも、もっとしてじゃないよ! お願いだからに帰って来て! ここ、ホテルじゃなくてファミレスなんだって! 周りに人がいっぱいいるの!」


 初瀬峰に首を絞めつけられ、ようやく俺は側へと帰還した。


 あ、危なかった……何やってんだよ、俺。


 寧々香に本気を見せようと本気になり過ぎて、理性を失いかけていた……いや、失っていたな……撫子が可愛すぎて、己を御する事が全く出来なかった……


 俺は咳き込みながら、初瀬峰に絞められた首元を擦る。


「ゴホッ、ゴホ……あ、ありがとう、初瀬峰。どうやら、本気になり過ぎて何も分からなくなっていたみたいだ。もしも、初瀬峰が止めてくれていなかったらどうなっていた事か……」


「ホントだよ! ずっと見ていたかっ……じゃなくて、見ていられなかったよ!」


「いや、ほんとに面目ない」


「全くもう……」


 顔を真っ赤にして、頬を膨らませる初瀬峰に平謝りをしながら、俺は自分の身なりを整える。


 そして、心も一緒に整えると、対面のシートに座る寧々香へと向き直した。


「えっと、寧々香さん。あなたが俺の事を好きだって言ってくれたことは、本当に心から嬉しいです。ですが、今見た通り、俺はナデコ……撫子の事を本気で愛しているんです。ですから、俺の事は諦めてください」


 そう言った俺の事を、寧々香はしばらくの間、ただジーっと見つめていた。


 無反応、とでも言うか。撫子とそっくりな無表情で、俺のことをただジッと見つめ続けている。


「……ね、寧々香さん?」


 あまりに微動だにしなかったので、心配になった俺は寧々香に呼びかけた。


 すると、彼女は表情一つ変えずに、おもむろに黄色いバッグからスマホを取り出すと、どこかに電話をかけ始めた。


「おにぃ、もしかして……」


「ああ、そのもしかして……だな」


「あ、もしもし、お母さん? そう、ウチ。うん、今大丈夫?」


 寧々香は、お母さんと呼んだ。


 恐らく、今見た事を佳奈美さんに話す為に電話をかけたのだろう。


 だが、すでに覚悟を決めていた俺は、事の成り行きを静かに見守る。


「うん、あのね、どうしてもお母さんの耳に、いれておきたい話があるんだけど」


 寧々香はそこまで言うと、テーブルの上にスマホをおいた。


『寧々香? 話って何かしら?』


 スマホから聞こえてくる佳奈美さんの声。


 どうやら俺達にも聞こえるようにと、ハンズフリーにしたみたいだった。


「えっとね。話ってのは、妹の撫子と、お母さんの再婚相手の子である将輝さんについての事なんだけど」


『撫子と将輝くん……の?』


「そう、あの二人の事……」


『何かしら? まさか、あの二人に何かあったの?』


「うん。落ち着いて聞いて欲しいんだけどね。実はあの二人……兄妹だって言うのにさ、愛しあってるみたいなんよ。家族って意味じゃ無しに、恋人同士って意味で」


 寧々香がそう言った後、佳奈美さんは『……え?』と言ったまま黙ってしまった。


「二人で、熱心なキスを交わしてたよ。兄妹なのに、唇を重ねてキスを……」


 寧々香がそう言った後、暫くの間、スマホからの音声が途切れた。


 その沈黙に、俺の背中に嫌な汗が流れて行く。


 覚悟はすでに決まっている……とは言え、その沈黙がイヤなものには変わらなかった。


 ──兄妹で愛し合っている。


 その事にずっと後ろめたいモノを感じていた俺は、佳奈美さんにバレる事で彼女を悲しませてしまうのではないか……幼い頃の誓いを破る事になるのではないかと、そう思ったから。


『将輝くんと、撫子の二人が……愛し合って? キスを……?』


「そう、キスしてたの。見ているこっちが恥ずかしくなるくらいの、うんとイヤらしいキスを……ね」


『……』


 そうして再び沈黙が流れた……


 が、すぐにスマホから佳奈美さんの声が聞こえて来た。


『なぁんだぁ、ビックリしたぁ。二人が事故か何かに遭ったのかと思ったよ。そっかそっか、そう言う事か。もう、寧々香ったら驚かせないでよ』


「「「「え?」」」」


『で、話ってそれだけ?』


 佳奈美さんの返答に、寧々香だけではなく、俺達三人も同時に驚いていた。


 絶対に良くない反応が返ってくると思っていたのに、予想の斜め上の反応が返って来たから。


「そ、それだけって……あの二人、愛し合ってるんよ!? 家族としてではなく、愛し合う恋人として! 兄妹なのにキスまでしてるんよ!」


 捲し立てる様に喋る寧々香。


 それとは対照的に、スマホからは佳奈美さんの落ち着いた声が聞こえてくる。


『うん、分かってるよ。分かってて、そう言ってる。いいのよ、あの二人は。いつかこうなるんだろうなって、そんな風に思っていたから』


「そ、そんな風にって……お母さんは前から、二人が恋人同士になるかもって、思ってたってことなん?」


『うん、思ってたよ。変質者に襲われた撫子を、将輝くんが助けてくれたあの時から、ずっと思っていたの。仲睦まじい二人を見ながら、大事な娘の事を任せられるのは彼だけなんだ……てね。だから、もしも二人が愛し合う事になったら、祝福してあげなくちゃって……すでに恭一さんとも、そう話し合っていたのよ』


 父さんも……? 父さんもすでに、俺と撫子が恋仲になってもいいって思ってくれていた……?


 そんな昔から、ずっと……そんな風に思っていてくれていただなんて。


 俺は想像もしていなかった両親の気持ちに、驚きを隠せなかった。


「二人が愛し合うのを、そんな前から認めていたの? お母さんも、再婚相手の人も、昔から二人が恋人になることを……認めていたって言うの?」


『そうよ、だからいいの……そっかぁ、今まで気づかなかったなぁ。とても仲が良い兄妹には見えていたけど、すでにラブラブだったなんてねぇ。寧々香が言う様に、二人が愛し合っているって言うなら、お祝いしてあげなくちゃ』


 スマホのスピーカーからは、佳奈美さんの朗らかな声が聞こえ続けている。


 しかし、寧々香はそれに返事を返す事も無く、ただただ、呆然とテーブルを見つめていた。


「……こんなことまでしたのに、撫子の悔しがる顔が見られないどころか、将輝さんまで恋人に出来ないなんて……そんなのって」


『ん? 寧々香? 何か言った?』


 寧々香は首を振ると、すぐに震える声で返事を返した。


「……あ、う、ううん、なんでもないよ。どうやら、ウチが心配する様なことじゃなかったみたい」


『そう? それならいいんだけど……あ、そうだ、寧々香。田舎から母さんがいっぱい野菜を送ってきたの。良かったら、そっちにも送ろうと思ってるんだけど?』


「……うん、わかった……お婆ちゃんの野菜、楽しみにしてる。それじゃ、また」


『ええ、またね。何かあったら連絡頂戴』


 そうして、寧々香はスマホの画面をタップして電話を切ると、大きく息を吐いた。


「はぁ……お母さんたちにバラして、二人は離れ離れ。人恋しい将輝さんをウチが慰めて、心の隙間を埋めながら恋人に、そしてその事に絶望する憐れな撫子の顔を見られるかと思ったんだけど。残念ながら、最初からウチの負けは確定していたみたい」


「寧々香さん?」


「まぁ、そう言う訳で、この話はこれでお終い。ウチの目の前でキスをしてくれたから、約束通り、あなた達には二度と関わらないわ」


 寧々香は黄色のバッグを手に持つと、勢いよくシートから立ち上がった。


「じゃね、撫子。アンタの顔なんか、二度と見たくない」


「それはこっちのセリフ……でも、元気でね、


「……ふん。ホント、気に入らない」


 撫子を一瞥した後、寧々香は笑顔で「弓月さん、将輝さん、じゃね」と言って、出入り口へと向かって歩き出した。


「寧々香さん!」


 俺は思わず立ち上がって、彼女の背中に呼びかけた。


 その続きの言葉が出てこない……また会いましょうとも、さよならとも言えず、ただ彼女の名前を呼ぶのが精一杯だった。


 そんな俺に、寧々香は振り返ることなく黙って手を振ってくれた。


「寧々香さん。あなたとは、もっと違う形で会いたかったです……」


 寧々香の後ろ姿を見て、俺は感じていた。彼女とは二度と会う事が無いだろうと。

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