第30話 例え、二人が引き裂かれ様とも……

「今、すぐ……ですか?」


「うん、今すぐ」


 ──キスをしろ。


 寧々香から放たれたその言葉に戸惑い、俺は思わず初瀬峰の方へと首ごと視線を向ける。


 すると彼女の方も『どうしよう?』と、意見を求める様な表情を俺に向けていた。


 いくら寧々香に俺のことを諦めさせる為とは言え、流石に本当の恋人ではない初瀬峰と……キスそれは出来ない。


 何とか話を逸らして、キスを回避できないだろうか? と、俺は考えを巡らせる。


「どうしたの、お二人さん? なんか、どうしようって顔してない?」


 そんな戸惑う俺達を見て、寧々香の唇は三日月形に弧を描く。


「あ、いや、そのですね。こ、こんな、大勢の人がいる場所で、その、キスをすると言うのは……」


「わ、私もちょっと、さすがにそれは恥ずかしいです」


「え~、出来ないって言うのぉ? だって二人は愛し合ってるんでしょ? ラブラブなんだよね? だったらしてみせてよ」


「……え、えっと、ですからキス自体が出来ないのではなくて、ここでは出来ない、って意味でして」


 俺の言った事を賛同する様に、初瀬峰は『うんうん』と大きく頷いた。


「愛し合ってるならどこでだって出来るでしょ? 二人の愛はホンモノで、入る隙は無いんだって……見せつけてみなよ。そしたらさ、この話はもうお終い。将輝さんのことは綺麗サッパリ諦めて、あなた達二人にも、そっちで不貞腐れている撫子にも、二度と関わらないし、近づかないって約束す……」


「もういいよ、おにぃ……この人、最初から全部知っててやってるんだよ」


 今まで横で拗ねていたはずの撫子が、寧々香の話を遮る様に割って入って来た。


「ナデコ?」


「ねぇ、寧々香。もうこんなこと止めない? さっきから、困ってる二人の表情を見てニタニタ笑ったりしてさ、趣味悪過ぎだと思う」


 あんたに言われたくない……そんな風に思ったのだろうか。


 寧々香は目を細めて、撫子のことを睨みつけた。


「はぁ? 心外だなぁ。変な言いがかりはやめてよ。ウチはホントに将輝さんの事が好きで、二人の愛がホンモノかを確かめているだけじゃない。それで、弓月さんが心の底から彼のことを愛していないって言うなら……」


「だから、そう言うのはもういいって言ってるの。あなた、最初からおにぃと弓月パイセンが恋人じゃないって、分かってて言ってるんでしょ?」


「ちょ、ナ、ナデコ!?」


 俺と初瀬峰が恋人ではない。


 その事を聞くなり、寧々香の口角が限界まで吊り上がる。


「へぇ~~~~~、そうなんだぁ。二人は付き合っていないの? フリをしているだけってことなの? それはなんで? どうして? ウチと付き合うのがイヤだから? それとも、ホントの恋人を教える訳にはいかないからかなぁ?」


 寧々香の表情は、まるで『してやったり』と言わんばかりだった。


 だが、撫子は彼女の表情に動じることなく、いつもの無表情で話しを続ける。


「……ワザとらしい。すでにあなたは、おにぃの本当の恋人があたしなんだって勘づいていて、こんな茶番を仕組んだんでしょ?」


「え?」


 寧々香は、最初から俺と撫子が恋人であると知っていて、彼女に会わせろと言っていた? 俺達二人の関係をあぶりだす為に?


 俺が撫子の言葉に驚いたのと同時に、寧々香の顔からスッと笑顔が消え失せた。


「そうね、アンタの言う通りよ。将輝さんと撫子が兄妹で愛し合っている。それは何となく分かるんだけど、お母さんにチクる為には確証が足りなかった。だから、どうにかしてそれを得たくて、将輝さんに無理やり迫ったの……でも、アンタの苦しむ顔が見たいのもあるけど、将輝さんのことが好きなんはホントよ?」


「……嘘だ」


「ホントだってば」


 撫子はテーブルに両腕を乗せて身を乗り出した。


「なら、尚更にこんな事もうは止めてよ。そんなにおにぃの事が好きだって言うなら、これ以上、おにぃのことを困らせないで」


「まぁ、結果的に将輝さんの事を困らせているかもだけど。本当に好きだからこそ、無理を通してでも恋人にしたいんじゃない」


「そんなのは、あなたのエゴでしょ。あなたの自分勝手な愛と言う名のエゴで、あたしからおにぃを奪おうとしないで」


「あたしからおにぃを奪うな……ねぇ。さっきから、ウチに『エゴだ、エゴだ』って言うけどさ、アンタ自身も独占欲ってエゴの塊じゃない。ってか、愛は奪うモンなんでしょ? 愛が欲しいなら力づくで奪わないといけないんだって、昔のアンタがウチに教えてくれたんじゃん」


 寧々香は頬杖をついていない方の手で、撫子を指差す。


「そんなの知らない。あたしには、あなたと過ごした記憶が一切無いから」


 言い返した撫子は、相も変わらない無表情。


 それを見て、寧々香は歯痒そうに顔を歪める。


「ホント、その無表情かおがムカツク……表情だけじゃない、態度も、性格も、声も、存在も、全部、全部、アンタの全部が気に入らない……後から生まれてきたクセに、ウチの居場所を、幸せを、奪ったアンタのことが心底大っ嫌い。だから、そんな憎いアンタから、絶対に将輝さんを奪ってやるんだから」


「……寧々香」


「ウチは本気よ。大っ嫌いなアンタの悲しむ顔が見たいのは当然として、将輝さんを好きになったんも、ホントのことなんだから。今度は……今度はウチが! ウチがアンタから幸せを奪う番なんだから!」


 寧々香の大声に、先ほどまで賑わっていた店内が一瞬にして静まり返る。


 周りの人たちは何事だと言った感じで俺達のことを見ていたが、数秒もすると飽きてしまったのか、すぐにそれぞれの行動へと戻っていった。


「将輝さん。ウチはね……ウチは本気なの。本気で将輝さんが好きなんよ」


 そう言って、寧々香は俺へと視線を向けた。


 吸い込まれそうな程に、どこまでも澄んだ眼差し。


 彼女の目は、とても嘘を言っている様な目には見えなかった。


 ──どうやら寧々香は、本当に俺の事が好きだったようだ。


 ……そのこと自体は、凄く嬉しい。本当に、心から嬉しかった。


 別に見た目が撫子に似ているからとか、美人だとか、そう言うんじゃなくて、ひとりの女性が、こんな俺の事を好きになってくれた。


 そのことが、単純に嬉しかった。


 だがしかし、俺はその気持ちに応える事が出来ない。


 だって俺にはすでに、撫子と言う愛する人がいるから。


 だからこれ以上、寧々香や俺たちが無駄に心を傷つけ合わない為にも、俺の本気の気持ちを見せるしかない……もう、それしか無いと思った。


「なぁ、ナデコ」


「な、なに? おにぃ?」


「俺、覚悟が出来たよ。寧々香さんに俺の事を諦めてもらう為には、もうこれしか無いみたいなんだ」


 俺は撫子の腰に手を回すと、優しく彼女のことを抱き寄せた。


 愛する恋人の顔が、すぐそこにあった。


 ……心配そうに見つめる、可愛い撫子の顔が。


「で、でも、おにぃ。この人に確実な証拠を握られたら、お父さんやお母さんに絶対に言うよ? そしたら……あたしたち、二人でいられなくなっちゃう。離れ離れにさせられちゃうよ?」


「うん、そうだな。両親にバレたら、確実にそうなるだろうな。でも、例えそうだとしても、俺とナデコは本気で愛し合っていて、誰にも阻む事が出来ないんだってのを寧々香さんに見せつけて、諦めさせないと。じゃないと、いつまで経っても、俺達は傷付け合うことになるから」


「だけど……」


「生半可な発言や行動じゃ、寧々香さんは納得してくれない。それはナデコだって分かっているだろ? だから、彼女が本気だって言うなら、俺達も本気でぶつからないと、彼女の心には届かないよ」


 撫子は俺から視線を逸らして数秒考えた後、再び俺へと視線を戻した。


「うん、そうだね。おにぃの言う通りだと思う。どれだけ言葉で取り繕っても、寧々香の心には届かないんだろうね。その目に、あたしたちが本気で愛し合っているんだと見せつけるしか……ないのかも」


「ああ、俺とナデコの気持ち、そして覚悟を見せて終わりにしよう」


 抱きしめていた撫子を、さらに抱き寄せて、俺は顔を……唇を近づけた。


「これから先、何が起ころうとも俺はナデコを愛している……例え、二人の仲が引き裂かれたとしても、俺はお前を愛しているよ、ナデコ」


 撫子は俺の瞳を見つめて、静かに頷いた。


「……うん、おにぃ。あたしも愛してるよ。何があっても愛してる。例え、おにぃと離れ離れになろうとも、学校を卒業したら、必ずおにぃの元に行く。両親に絶縁されたって、世間から後ろ指差されたって、そんなの関係ない。あたしは絶対におにぃと一緒になるの。あたしが愛する人は、おにぃだけだから」


 そう言って、撫子はゆっくりと目を閉じた。


「ナデコ……」


「……ん」


 寧々香と初瀬峰の見守る中、俺と撫子は覚悟のキスを交わした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る