第22話 恋人とバレてはイケナイ、日常。

 なんら変わらない、いつもの朝。


 俺と撫子は、いつも通りに岳奥高校前の駅で降りると、学校へと向かう歩行者専用道路を歩いていた。


 撫子の初登校からすでに二週間以上が経ったワケだが、未だに『とんでもない美少女』騒ぎは続いている。


「毎日、兄貴が一緒にいるな……どんだけシスコンなんだよ」

「登下校もだけど、学校でも一緒な事が多いんだよな。撫子ちゃんに近寄る隙が無さ過ぎる」

「あれだけ超絶美少女の妹だから、変な虫が寄りつかない様にって気持ちは分からんでもないけども」

「どうやったら撫子ちゃんと仲良くなれるんだ……」

「もう、あの兄貴を始末するしかないんじゃないか?」


 とまぁ、一部不穏な声も混じりつつ、ヒソヒソと話す声があちらこちらから聞こえてきている状態だ。


 だがしかし、最初の頃に比べれば勢いと言うか、全体的な熱は冷めつつあるなと言う事を俺は感じていた。


 これからさらに月日が経てば、もっと静かになってくれるだろう。


 そう期待して、俺は彼らを一瞥した。


「おはよう、御藤くん。ア~ンド、撫子ちゃん!」


 ……で、あれから微妙に様子がおかしい初瀬峰なのだが。


「ああ、おはよう、初瀬峰」


「おはようございます、弓月パイセン」


 こんな風に、初瀬峰は今までと特に変わらない様子で接してくれる。


 だけど、彼女はあの日以来、俺と話すことが少なくなっていた。


 俺から話しかければ会話だって普通にしてくれるし、放課後に図書室で一緒に勉強しないかと誘えばそれも断らない。


 でも、やはりどこか距離をとっている様な感じで、彼女の方から俺に話しかけてくる事はとても少なくなった。


 その理由を知りたいけれども、『最近、なんだか素っ気ないね?』なんて、直接本人に聞く勇気はないから、俺はこの問題を現状維持で傍観する事に決めた。


 わざわざ、波風を立てる必要もないだろう。


 そう結論を出して、俺は前を並んで歩く二人の女子の会話に耳を傾けた。


「そうだ、撫子ちゃん。昨日のテレビ観た? 男性アイドルがいっぱい出るドラマなんだけどさ」


 初瀬峰の質問に、撫子はいつもの無表情で首を横に振った。


「いえ、観てないです。あたし、あんまりアイドルとか興味ないし、テレビとか全然観ないので」


「あ、そうなんだ? じゃあ、好きなものとかってなに?」


「え? 好きなもの……ですか?」


「うん、好きなもの。音楽でも食べ物でも何でもいいよ」


「そうですね……好きなものは……」


 撫子は軽く握った拳を口元に当てながら、考える素振りを見せる。


 そして数秒後、なんの迷いもなく言い放った。


「おにぃです」


「ぶはっ!」


 撫子の答えに、俺は盛大に吹き出してしまった。


「ゴホッ、ゴホッ!」


「おにぃさえ居てくれれば、後はなにも要らないです」


 ……い、義妹よ、とても嬉しい言葉ではあるのだが、人前ではもう少し自重してくれると助かる。


「はぁ~、撫子ちゃんは、本当にお兄ちゃんが好きなんだね」


 初瀬峰は、納得する様に『うんうん』と頷いている。


「好きです。大好きです。すごく優しいし、とっても頼りになるので、世界で一番大好きです」


 撫子の『好き』連発に、俺は何だかくすぐったい様な、そんな嬉しいけど恥ずかしい気持ちに悶える。


「そっかそっか。私は一人っ子だから、そう言うの、ちょっと羨ましいなぁ」


 初瀬峰は振り返ると、咳き込んでいる俺へと声をかけて来た。


「御藤くんって、家でも変わらないんだね」

 

「ゴホッ……え? あ、うん。変わんないのかな?」


 一人、無駄に焦っている俺に笑顔を向けた後、初瀬峰は撫子と再び会話を続けながら学校へと向けて歩き始めた。


                ◇◆◇◆


 教室へと入ると、初瀬峰は「それじゃ」と言って、自分の席へと向かう。


 俺も「じゃ」と一言だけ返して自分の席へと向かった。


 そうして、窓際の自分の席に着いた途端、流れる様な動きで太賀が近寄って来た。


「はよっす、将輝」


「あ、ああ、おはよう、太賀」


「やっぱ、なんかあっただろ?」


 この二週間、太賀から何度言われた分からない言葉に辟易して、溜息をつく。


「はぁ……またその話? 初瀬峰とはなんもねぇよ。ホントに」


「じゃあ、なんであんなに、弓月はお前によそよそしくなってんだよ」


 ……それは、俺が聞きたいぐらいなんだけど。


「だから、何度も言ってんだろ。俺に聞かれたって知らないよ。初瀬峰じゃないんだからさ」


 そう言った俺の両肩を、太賀は勢いよくガシッと掴んできた。


「な、なんだよ?」


「将輝、俺はな……未来の義兄になるかもしれない、お前の事が心配なんだよ」


「……は?」


「いつか、俺と撫子ちゃんが結婚したら、お前は俺の大切な家族になるだろ? だからこうして、ちゃんとお前と弓月が結婚出来る様にと心配してんじゃねぇか」


「余計なお世話だし、俺はお前と家族になる気なんて、毛の先ほども無いが?」


「あっははははは! そんなの分かんないじゃないか! 俺と撫子ちゃんが結婚する可能性はゼロでは無いんだからな!」


 太賀、お前の中では撫子と付き合うってのはもう決定事項なんか?


 まぁ、確かに可能性の話をしたらゼロではないとは思うよ。限りなくゼロに近くはあるけども。


「でも、将輝。お前もつくづく可哀そうなヤツだよ。あんな美少女が妹だって言うんだからさ」


「なんでだよ?」


「だってそうだろ? 可愛い可愛い撫子ちゃんと結ばれたくても、兄であるお前は絶対に結ばれないんだぞ?! あぁ! 我が親友ながら不憫すぎる! 神様って、なんて残酷なんだ!」


「……」


「ん? どうしたんだ、将輝? 撫子ちゃんと付き合うかもしれない俺に、嫉妬でもしちゃったんか?」


「あ、いや、そうじゃなくて。なんか、ごめんな」


「?」


(……ごめんな、太賀。お前が大好きだと熱弁する美少女と、俺、もう恋人同士なんだよ)


「なんか良く分からんけど……まぁいいや」


 俺に訝し気な表情を向けていた太賀は、気を取り直して両手をパンと叩いた。


「それよりもさ、あんなにも可愛い撫子ちゃんと付き合えたら、それはもう幸せな日々が訪れるんだろうなって思うんだよ。一緒に登下校したり、手を繋いだり、休日は二人で出かけて……そして、夕日をバックに、まだ誰も触れたことがないであろう、あの可憐な唇に、俺が初めての……んちゅ~」


 無駄に解像度が高そうな妄想に耽りながら、太賀は自分の体に手を回してキスをする子芝居をしている。


(撫子の唇は、俺がすでにキスしちゃってるんだけどな……)


 その後も延々と、太賀は撫子と付き合ったらアレするんだ、コレするんだと、叶わぬ夢を俺に語り続けていた。


                 ◇◆◇◆


 ──放課後。


 俺は、暇があれば来ようと決めている隣町の浜辺へと撫子と訪れていた。


 こちらの方面には、知り合いが全くいないって言うのもあるが、俺が撫子に告白した記念すべき場所でもあるから。


 夕暮れ時の散歩道を並んで歩く俺と撫子を、あの日と同じ夕日が照らしている。


 どちらからともなく手を繋いで、恋人つなぎして、そしてギュッと握る。


 普段我慢している分、ここぞとばかりに、お互いの手の感触と温もりを求め合う。


 誰にも邪魔されずに、限りある時間の中で俺は撫子と想いを確かめ合っていた。


 そうした至福の時間を味わいつつ、二人で黙々と散歩道を歩いていたのだが、不意に撫子が口を開いた。


「あ、そうだ。ねぇ、おにぃ」


「ん?」


「次の日曜日でも、その次でもいいんだけどね、一緒に映画を観て欲しいなって、思ってるんだけど」


「ああ、いいよ。今、何か面白いのやってたっけ?」


「えっとね、君の心臓を捧げたいって恋愛映画。すっごく面白いんだって」


「そう言えば、なんか話題のヤツだってSNSで言ってた人いたな。分かったよ。じゃ、チケット予約しておく」


「ホント? やった、今から楽しみ。おにぃと映画デート、ふふふ」


 俺の返事に、満面の笑みで喜ぶ撫子。


 だがしかし、この時の俺達はまだ、あの様な出来事が起きるだなんて想像すらしていなかった……

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