第23話 謎の美人の誘惑。
──次の日曜日。
俺は撫子と約束していた映画を観に、大きな複合商業施設のある街へと来ていた。
買い物ができるショッピングモールや飲食施設はもちろん、映画館やちょっとしたアミューズメントパークなども併設されていて、休みの日は大勢の家族連れやカップルで賑わいを見せる。
そんな大勢の人々の波に揉まれながら、俺は撫子の手を引いてまずはカフェへと向かった。映画が始まるまでは時間があるし、先に何か食べておこうと思ったからだ。
笑顔で応対してくれる店員さんに、アイスコーヒーとポテトを二つづつ頼んで、それらの乗ったトレイを受け取ると、二人掛けのテーブルへと腰かけた。
対面に座った撫子は、俺と目が合うとニコっと微笑んだ。
今日の撫子の出で立ちは、淡い青色のシャツに赤いネクタイを締め、薄手の黒いジャケットを羽織り、さらに明るいピンクのミニスカートを履いている。
クールな感じと可愛らしさが、とても撫子らしくてマッチしていた。
「どうしたの? おにぃ?」
ちょっと、撫子が可愛すぎてマジマジと見すぎてしまったらしい。そんな俺を不思議に思ったのか、義妹はいつもの無表情で首を傾げている。
「あ、いや、その、か、可愛いなって、思って」
「え、あたしが?」
「そう……ナデコが。ふ、服も似合ってて、とっても可愛い、ぞ」
俺の言葉に、撫子の頬はみるみると赤く染まっていく。
そして、俺から視線を外すと、テーブルの上で手をモジモジとさせていた。
「ほんとに?」
「ホ、ホントだって。嘘つかないよ……可愛い」
「ふふっ。だとしたら、すごく嬉しい。服が似合ってて可愛いなんて、初めておにぃに言って貰えたから」
「え? そ、そうだった、かな?」
「うん。今まではそんな服はダメだぞぉとか、見えちゃうぞぉとか、叱られるって言うか、注意ばかりだったし」
撫子にそう言われて、俺は納得してしまった。
「あ、あぁ、確かに、そうだったかもな……」
言われてみれば、俺は今まで撫子の服装をAREが見えてしまいそうだとか注意ばかりして、似合ってるとか、そんな風に褒めた事が無かったかもしれない。
ホント、これまでの俺は何てバカだったのだろうと思う。
別に妹だと思っていても、褒めてあげれば良かったのになって……
でも、褒めたら認めることになるかもって思ってたのかもな。撫子のことを、女の子として好きなんだって。
「えへへ、でも、そんなの忘れるくらい嬉しい。おにぃが可愛いって言ってくれて、すごく嬉しい」
はにかみながら、撫子は目の前にある珈琲の入ったカップを手に取った。
そうして、ストローへと唇を付けようとしたところで、俺はその行動を止める。
「なぁ、ナデコ。お前、コーヒー苦手だろ? 紅茶とかじゃなくて、ホントに良かったのか?」
「うん、苦手だけど……でも、挑戦してみようかなって。おにぃが好きな物を、あたしも好きになりたいから」
そう言って、撫子はストローに口をつけ、アイスコーヒーを一口飲んだ。
そして、すぐに顔を歪ませる。
「に、苦い……」
「あはは、だから言ったじゃん。ミルクと砂糖もあるから、好きなだけ入れなよ」
「うん……そうする」
珈琲を大量のミルクと砂糖で別の飲み物へと調合する撫子を見つめながら、俺もアイスコーヒーをストローで啜った。
◇◆◇◆
「あ~、感動したぁ。最後のキスシーンで、涙が出ちゃった」
「色んな壁を乗り越えて、主人公とヒロインが恋人同士になって良かったな」
「うん。やっぱり、最後は愛が勝つんだよ」
「……だな」
二時間もの超大作を観終わり、俺と撫子は感想を言い合いながら映画館のエントランスへと戻って来ていた。
周りは同じ映画を観終わった人だけではなく、別の映画を観終った人や、これから観る人でごった返している。
さて、これからどうするかなって考えていると、俺のジャケットの裾が軽く引っ張られた。
「ねぇ、おにぃ。あたし、今見た映画のパンフ買いたい。持っててくれる?」
俺はついて行こうと思ったのだが、グッズが売られている販売所へと視線を移すと、多くの人で溢れ返っているのが見えた。
あの様子だと、二人で行けば他のお客さんの邪魔になるだろうし、一人の方が身動きとりやすいだろうと思った。
「ああ、分かった。じゃ、俺はここで待ってるから、ゆっくり見てきなよ」
「うん。じゃ、パンフだけじゃなくて、おにぃとお揃いになる物も何か探してくる。楽しみにしててね」
そう言って、撫子は俺に軽く手を振りながら、販売所へと走って行った。
可愛い恋人の背中を見送って、俺は映画館のエントランスを軽く見渡す。
楽し気に語らう家族連れや幸せそうに寄り添うカップル、それに大切な友達と一緒に、このありふれながらも大切な時間を楽しんでいる人々の笑顔で溢れている。
そんな彼らの姿を見ながら、今の俺も撫子と共にこの時間を過ごせて幸せだな、と感じていた。
あの時、撫子が俺に無理にキスをしてきたから……こんな至福の時間を過ごせているのだと思う。
あのキスがなければ、俺は今でも撫子のことを妹として見ていて、この時間を普通の兄妹として別の場所で過ごしていたに違いない。
そして、俺たちの間には何事もなく月日だけが流れて行き、いずれはそれぞれの想い人と恋をして、結婚して、それで……
と、そこまで考えて俺は首を振った。
「……あったかもしれない未来なんか想像したって、意味が無いだろ。今ある幸せは撫子のおかげ。それだけだよ」
そう呟いて、俺は再び、人で溢れるエントランスへと視線を戻した。
するとその時、不意にジャケットの裾を軽く引っ張られた。
「ん?」
俺は、なんかさっきもこんな事があったなぁ、と思い出しながら振り返った。
撫子かなって。
「どうした、ナデコ。早かったじゃない……か?」
俺は目に映った人物の姿に困惑する。
背丈は撫子とほぼ一緒。
背中まで伸ばした綺麗な黒髪、白いブラウスに赤と黒のチェック柄のネクタイと黒い薄手のジャケット……そして、鮮やかな赤いミニスカート。
その出で立ちの女性は、とても良く似ていた。
撫子に……いや、どちらかと言うと、佳奈美さんにとても良く似ていた。
「ね、おにぃさん。ちょっといいかな?」
俺は、撫子や佳奈美さんにソックリな彼女に動揺しながらも、何とか笑顔を取り繕って応対する。
「え? あ、はい……なんでしょうか?」
「えっと。ウチ、今すっごいヒマなんですよ。ですから、おにぃさんさえ良かったらなんだけど、一緒に遊びません?」
「え?」
突然の事に、俺は更なる混乱に見舞われる。
これって所謂、逆ナンってやつ? こんな美人が、俺を? なぜ?
目の前の人物と状況に疑問符しか浮かばない。
そんな俺を見て、彼女はクスっと笑った。
「どうです? ウチと、遊びませんか? ご飯食べたり、映画観たり、買い物したりしません?」
「あ、いや、俺は……」
俺は両手を軽く振って否定の意志を見せながら、後ろへと下がった。
しかし、彼女はそんな俺に、一歩、二歩と詰め寄って来る。
「ウチではダメ、ってことですか?」
戸惑う俺を、彼女はジッと見つめてくる。
義妹と同じ目をするとんでもない美人の彼女に、俺は不覚にも胸が高鳴ってしまっていた。
「違います! そうじゃなくて、ですね!」
「それじゃ、ウチと遊びましょうよ。あ、もしかして、ここじゃないとこがいいんですか? なら、二人きりでカラオケとかどうです? それとも……」
「そ、それとも……?」
「……ホテルとか?」
「っ!」
(何やってんだよ、俺! とんでもない美人にホテルとか言われてドキッとしてんじゃねぇよ! 俺には撫子って可愛い恋人がいるだろう! さっさと断るんだ!)
「え、えっと! あなたみたいな美人に誘って貰って、う、嬉しい、のですが、お、俺には、か、彼女が、いるんで!」
どもる俺の言葉に、彼女はスッと目を細めて口角を吊り上げる。
「へぇ、おにぃさん……彼女、いるんだ?」
そう小声で言ったと思ったら、おもむろに彼女は俺の手を握って来た。
「なっ!?」
「その、彼女さん。今、どこにいるんです?」
尚も、彼女は握った俺の手を優しく揉んだり、擦ってくる。
「そ、それが、その、今は、えっと……」
どう答えて良いものかと言い淀んでいると、誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえて来た。
その足音の方へ振り向くと、胸元にパンフを抱きかかえて走り寄ってくる撫子の姿が見えた。
「おにぃ、お待たせ。すっごく混んでたから、パンフだけ……」
何かに気づいた撫子は言いかけたまま、その場で足を止めた。
義妹の顔からは瞬く間に笑顔が消え、代わりに驚きの表情へと変わっていく。
だが、その驚きの表情は俺を見ての事ではない。撫子の視線はその後ろの人物を捉えている。
そして、しばらく口を震わせた後、消え入りそうな声で呟いた。
「お……おにぃ、その人……だれ?」
青ざめる撫子とは対照的に、美人の彼女は微笑を浮かべていた。
「……寂しいなぁ、撫子。あんた、本当に全部忘れちゃってんだね」
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