第18話 夜道で、義妹と。
──風呂場での一悶着の後。
俺と撫子、それと佳奈美さんで外へと夕食を食べに出かけていた。
撫子の入学式だったからとか、そんな特別なものではなくて、今日は佳奈美さんが夕食を作る時間が無いからと、近所のファミレスで済ませただけのことだ。
お祝いはまた別の機会にするらしく、すでに父さんが高級ホテルのレストランを予約してあると言っていた。
俺の入学祝いは参考書を送りつけてきたのに、可愛い美少女の娘には豪華ディナーとか、甘々過ぎなんだよな、父さんは……いや、参考書も助かってはいるけどさ。
そうして、三人で夕食を食べた後、佳奈美さんはパートで勤めているドラッグストアに用事があるとかで、ひとりで行ってしまった。
俺は夜だからついて行くよ、と言ったのだが、長くなって待たせちゃ悪いからと、やんわり断られた。
まぁ、確かに人を待たせていると思うと話に身が入らなかったりするしな。
と言う訳で、俺と撫子は二人で帰路につくこととなった。
──人や車の往来もそれなりにある、自宅近くの大通り。
すでに陽は暮れてしまい、辺りは夜の帳に包まれている。
一定の間隔で並んだ街灯の明かりを頼りに、俺と撫子は黙々と並んで歩いていた。
今日の昼までなら、それはいつもの何気ない風景だったと思う。
『ねぇ、おにぃ。手、繋ご?』
『そんなの、ダメに決まってんだろ』
と、そんな風に、変わり映えしない会話を交わしながら帰っていたに違いない。
だがしかし、今の俺と撫子との間には、そのやりとりを拒絶するかの様な空気が流れている。
俺が一方的に撫子を意識してしまっているから、そう感じるだけだろうか。
いやしかし、あの風呂場の一件以来、撫子もずっと黙ったままだから、義妹もこの空気をそれなりに感じ取っているに違いない。
俺はそう考えながら、左隣を歩く撫子へと視線を向けた。
いつも通り、何を考えているのか分からない無表情の撫子。
時折、細くて艶やかな黒髪が風で靡くのを手で押さえたりしながら、ただ真っすぐに前を見据えて歩いている。
撫子は今、何を考えているのだろうか。
俺の事が好きなのは十二分に理解したけれど……俺に対しての押し引きが極端過ぎて、イマイチ何を考えてるのか掴めないでいる。
ただ、風呂場での撫子は、不安なんだと零していた。
キスだけじゃ不安、あたしの全部をちゃんと見てほしいと。
そうまでして、撫子は俺に振り向いて貰おうとしていた。いや、繋ぎとめようとしていた、と言うのが正しいのかもしれない。
風呂に無理やり入って来ようとしたり、無茶苦茶なところがあるが、撫子も撫子なりに、不安な中で必死に考えての事だったのだろう。
本当なら俺はあの時、撫子の吐露した気持ちにすぐにでも応えてあげたいと思っていた。その不安を綺麗サッパリ取り除いてあげたいって。
だが、俺の心の中には撫子を想う気持ちと同時に、初瀬峰への想いもある。
一年間育んできた初瀬峰への片思い。
それにちゃんと決着をつけないで、あのまま撫子の事を受け入れていたとしたのなら……いずれ、大切な撫子の事を傷付ける事になっていただろうと思う。
義妹を好きになると言う道は、中途半端な気持ちで選んでいい道ではない。
立ち塞がる壁や困難は多いのだから、覚悟を決めて受け入れるべきだ。
と、俺はそう決心していた。
そうしてしばらくの間、俺が隣を歩く撫子を見つめていると、ふと、こちらへと首を向けた義妹と視線がカチ合った。
「え、あ……」
俺はどうしていいか分からずに、思わず呻きにも似た声を出してしまう。
だが、そんな俺の事を撫子は無表情で見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「おにぃ。そんなに心配しなくても、あたし、もうワガママ言わないから」
「……え?」
一瞬、何のことを言っているのか分からなくて、俺はその場に立ち止まった。
「さっき、お風呂に無理やり入ろうとしたこと。あれを、おにぃは怒ってるんだよね? だから、ずっと、あたしと口をきいてくれないんだよね?」
「……あ、いや、その、全然、そんなこと無いんだけど?」
あれ? 撫子は俺が怒っていると思っていたのか?
俺はただ、撫子が何を考えているのか分からなくて悩んでいて、それで黙っていただけなんだけど……
「もう人前でワガママ言ってベタベタしない。学校でも迷惑かけない様に、これからは大人しくする。折角、おにぃはあたしとの事を考えてくれてるんだもん。これ以上、嫌われたりしたくない」
そう言うと、撫子は自分の右手をスッと俺の目の前に差し出してきた。
「おにぃが、ちゃんと答えを出すまで我慢する。だから……だからせめて今だけ、手を繋いで欲しいの。そしたら、あたし、それまで頑張れるから」
俺は、目の前の美少女に差し出された手をジッと見つめる。
細くて綺麗な指と、透き通る様に白い肌。
いつも繋いできた義妹の手のはずなのに、何故だかそれは、知らない異性の手に見えた。
「……」
通り過ぎる車のヘッドライトが、スポットライトの様に撫子の顔を照らしていく。
俺は正直どうするべきか迷った。未だに、答えを出せずにいるのだから。
いい加減な気持ちで……軽い気持ちで、撫子を求めてはいけない。
「……お、おにぃ」
分かっている。それは分かっているのだけど……
しかし、気づいたら俺は撫子の手を握っていた。
心の奥底から愛おしいって気持ちが溢れてきて、優しく包み込むように、俺は義妹の手をキュっと握っていた。
「長くは待たせない。近いうちに、必ず気持ちに決着をつけるから。だからそれまで、もう少しだけ待っていて欲しい……」
俺の言葉を聞いた撫子は、握っていた手をギュッと握り返してきた。
「うん、あたし、頑張れる。ちゃんと、あたしの事を考えてくれてるんだって、おにぃの気持ち、いっぱい伝わってきたから」
じんわりと伝わってくる義妹の手の熱と感触。
俺はその感触を少しでも長く感じたくて、ちょっとだけ遠回りして家に帰った。
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