第19話 撫子と初瀬峰

 ──ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。


 と、一定のリズムを刻む、いつもの朝の電車内。


 俺は定位置である出入り口を陣取ると、電車の壁に体を預けて、単語帳に目を通していた。


 何の変哲もない、いつも通りの日常。


 その当たり前の状況に、俺は少しばかりの物足りなさを感じていた。


 そんな感情を抱かせる人物へと、俺は単語帳から視線を移す。


 俺の正面。そこには、アンニュイな表情で静かに佇む撫子の姿があった。


 義妹は特に手荷物を持つことなく、お弁当と筆記用具ぐらいしか入っていないだろう赤いリュックを背負っている。


 こうして黙っていると、撫子ってどこかミステリアスで、それでいてクールな美少女なんだよなってつくづく思う。


 お兄ちゃん大好きで、人前とか気にする事無く『手、繋ご?』なんて我儘を言ってきたり、無理やり風呂に入って来ようとする女の子には、全く見えない。


 まぁ、そんなギャップのあるところも、撫子の魅力なのだろうけど。


 と、俺はそんな風に考えながら、車窓の外を眺める撫子を見つめていた。


 すると、その視線に気づいた義妹がこちらを見つめ返し、そして俺に向けて軽く微笑んだ。


「!」


 入学式の時と同じ、表現し難い感覚に俺の心臓は強く脈打つ。


 あどけなさを残しつつも、大人っぽい雰囲気を纏う。そんな義妹の妖艶さに、俺の鼓動は高鳴った。


(うう、もうどうしようもなく、ナデコに惹かれてしまっている。いつも見てきた笑顔の筈なのに、すっごく可愛いって思った)


 時間が経つにつれ、どんどんと膨れ上がっていく撫子への想い。


 家族と言う枷を外した俺の心は、撫子の事でいっぱいになっていた。


 そんな俺の心中など他所に、撫子はスッといつもの無表情へ戻ると、視線を電車の外へと向けた。


「ふぅ……」


 俺はゆっくりと深い呼吸を繰り返し、脈打つ心臓を落ち着かせる。そして、再び撫子へと視線を向けた。


 夕べ約束してくれた様に、撫子は人前で我儘を言わずに、兄妹として適切な距離をとってくれている。


 それは、義兄として望んでいた事のはずなのに、今の俺はその距離に寂しさを感じていた。


 これが、いつもの日常なのに物足りなさを感じていた正体。


 一体、我儘なのはどっちなんだろうな……そんな事を思いつつ、俺も車窓越しに、流れていく街の風景を眺めていた。


                 ◇◆◇◆


 俺と撫子は岳奥高校前で降りると、改札を抜けて、学校までの専用道路を二人で並んで歩き始めた。


 電車の中と同じで、撫子は約束通りに大人しくしてくれている。


 俺が寂しいと感じてしまうのは置いておくとして、何事もなく学校生活を送る上ではとても好ましい状況だと言える。


 だが、撫子のワガママよりも懸念していた問題、義妹の『とんでもない美少女』ぶりに、学校の男子共が大騒ぎするだろうと言う問題が現在絶賛発生中だった。


「やっぱ、めっちゃ可愛いな」

「噂の美少女か。可愛い系の顔なのに、クールな所がいいよな」

「あぁ~、あんな子と付き合いてぇよ」

「一緒に手を繋いだりさ、放課後二人っきりで遊びに行って……うひひ」

「てか、隣の男って、だれ? 彼氏か?」

「まさか、もう付き合ってんの?」

「え、嘘だろ? 昨日、入学したばっかじゃん」

「もしかして、同じ中学の男子……って、あれ二年の御藤じゃねぇの?」

「なんだ、秀才兄貴かよ。あのシスコン野郎め」

「難攻不落の撫子ちゃん。まずは邪魔な兄貴をどうするかだな」


 道路のあちこちから聞こえてくる、男子生徒たちの低いヒソヒソ声。


 俺達兄妹の事をジロジロと見ながら、彼らは好き勝手に言い合っている。


「はぁ……まったく」


 その声を聞きながら、俺は大きなため息をついた。


 一体いつまでこんな状態が続くのだろうか。そう考えると、気が重くはある。


 しかし正直な所、数週間もすればある程度は落ち着いてくるのではと考えていた。


 小中学校の時がそうだったから。


 皆、撫子の美少女ぶりに最初の内は大騒ぎするのだが、義妹のあまりの塩対応ぶりに、大抵の男子たちは段々と遠巻きに見ているだけになっていくのだ。


 だからそれまでの辛抱だな、と俺自身は思っている。


 だが、撫子の方は大丈夫だろうか……ふと心配になって、隣を歩く義妹の様子をそっと窺う。


 ……ふむ。どうやら、撫子の方も大丈夫そうではあった。


 義妹は彼らの声や視線など気に掛ける事無く、どこ吹く風と言った表情で、前を向いて歩いている。


 周りの状況に動じない姿に、流石は慣れたものだな、と感心した。


 とは言え、見た目だけでは分からない事もあるかもしれない。


 そう考えた俺は、一応、撫子に声をかけて見る事にした。


「なぁ、ナデコ? その、大丈夫か?」


「ん? うん。なにが?」


「あ、いや、その、周りの男子が騒ぎ立てるからさ」


「……まぁ、いつもの事だし。慣れちゃった」


 撫子は軽く周りを見渡しながら、俺へと微笑む。


 とりあえず、大丈夫そうで良かった、とホッとする。


「そっか、まぁ、昔から出しな」


「うん、昔からだから……」


 そう返した後、撫子は笑顔から一転、いつもの無表情へと戻っていた。


「それよりも、ごめんね、おにぃ」


「……え?」


 俺は謝られるとは思わなくて、ちょっと間抜けな声で聞き返していた。


「あたしと一緒にいるせいで、おにぃまで変な目で見られたりするし、いっぱい迷惑かけてるから。ごめんなさい」


 撫子はそう言うと、俺から視線を外して申し訳なさそうに俯いた。


 ……確かに、俺は周りがあれこれと騒ぎたてる事を嫌っている。


 だがしかし、それは撫子のせいなんかではないし、何より騒がれる程に美少女な撫子のことを誇らしくも思っている。


 だから、その事を撫子が俺に謝る必要は全くないと思った。


「……それは違うぞ、ナデコ」


「違う?」


 撫子は下を向いていた頭を上げて、俺へと顔を向ける。


「ああ、違う」


 俺はそう返事を返して、頷いた。


「ナデコは何にも悪い事してないんだから、謝る必要は無いってことだ。確かに周りから騒がれるのは煩いと感じるが、だが俺はそれ以上に、ナデコが男子から騒がれる超絶美少女なのが誇らしくも思っている。だから、誰もが振り向く女の子として生まれて来てくれて凄く嬉しいんだよ。兄としてもさ、それに……えっと」


「?」


 次に繋がる言葉が何なのかと、撫子は首を傾げる。


「そ、その、み、未来の……彼氏、候補……としても……」


「あ……」


 俺の言った言葉を聞いた途端、撫子の顔はストーブの様に真っ赤になっていた。


 それは、本当に珍しい事だった。


 今まで、撫子がこんなにも顔全体を赤くする所を、俺は見たことが無かったから。


「そ、そうなんだ。う、うん……それなら、良かったかな。おにぃが嬉しいって言ってくれるなら、良かった」


 そうして、撫子がはにかみながら微笑んだ……その時。


 後方から、誰かが駆けてくる足音が聞こえて来た。


「おはよう、御藤くん!」


 その元気な挨拶に、俺は振り返る。


 声の主は、今日も可愛い初瀬峰だった。


「おはよう、初瀬峰」


 俺は初瀬峰に片手を上げて挨拶を返す。


 それに彼女は笑顔で応えてくれた後、何かに気づいて俺から視線を外した。


「あ、もしかして。そっちにいるのが、噂の妹さん?」


 俺と一緒に振り返っていた撫子は、いつもの無表情で初瀬峰に挨拶をした。


「おはようございます、先輩。あたし、御藤将輝の妹で、撫子と言います」


 想像していた反応ではなかったのだろうか。初瀬峰は少々戸惑った表情をする。


「え、あぁ……えっと、な、なんか、慣れ慣れしかったかな。わ、私は初瀬峰弓月と言います。お兄さんのクラスメイトです」


 慌てて、初瀬峰も挨拶を返していた。


「いえ、気にしないで下さい、初瀬峰先輩。もっと気軽にお話しして下さると、あたし、嬉しいです」


「そ、そう? じゃあ、お言葉に甘えるとして……あ、甘えついでに、撫子ちゃん、って呼んでもいいかな?」


「はい、勿論です。初瀬峰先輩」


 おお、初瀬峰すごい。あの、圧しか感じられない撫子を相手に会話を進めるどころか、さらに愛称までゲットしている。


 なるほどなぁ、ああやって自然に距離を詰めていけばいいのか。勉強になる。


「な、なんだか、その先輩って言うのは堅苦しいね。私の方も、もっと気楽に話して欲しいかな」


「……そう、ですか。じゃ、初瀬峰パイセン?」


 そう言って、撫子は無表情で首を傾げて見せる。


「なんで疑問形? でもまぁ、撫子ちゃんの呼びやすい様に、好きに呼んでくれていいよ」


「分かりました。では、弓月パイセン」


 自分のペースでグイグイ来る撫子がおかしかったのか、初瀬峰は手を口元に当ててクスクスと笑いだした。


「ふふっ。なんだか、撫子ちゃんって面白いね。仲良くなれそう」


「面白い……ですか? それなら、良かったです」


 いつもと変わらない様子の撫子。


 だが、お兄ちゃんの俺には分かる。あれで、案外、義妹は喜んでいるのだ。


 微妙に、本当に微妙にだが、ミクロレベルで口元が緩んでいる。


 こんなの、俺じゃ無ければ見逃しているね。


「それにしても、撫子ちゃんてホントに美少女だね。目とかちょっと眠そうな感じなのに、二重がクッキリだし。クールと可愛らしさが、絶妙な具合で同居してるとでもいうのかな。可愛すぎる」


 初瀬峰は自然に撫子の隣へと近づくと、二人並んで歩き始めた。


「そうですか? あたしは、弓月パイセンの方が大人びていて、とても綺麗だなって思うのですが」


「え? お世辞にしても嬉しいかな。撫子ちゃんにそう言って貰えるなら」


「お世辞なんかじゃないです。ホントに、とても美人だなって」


「そっかぁ、うんうん、ありがとう。お褒めの言葉として受け取っておくね」


 初めて出会って数分。義妹とクラスメイトは、すでに意気投合していた。


 あんなに不愛想に見える撫子も、意外にコミュ力は高いんだよな……人付き合い下手なお兄ちゃん、義妹の事をちょっと尊敬。


 などと考えながら、俺も二人の後に付いて歩き出した。


 初瀬峰にちょっとした違和感を感じながら……

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