第20話 君のための愛の歌を。
生徒達の語らう声や、机や椅子を強く引く音。
そんな喧噪に包まれた廊下を抜けて、俺と初瀬峰は2-Aの札が刺さった教室へと入る。
そうして、俺が窓際の自分の席へ向かおうとしたところで、後ろにいた初瀬峰が声をかけてきた。
「じゃ、御藤くん。私、自分の席で一限目の準備とかするから」
「あ、ああ、分かった」
そう返事を返した俺に手を振って、初瀬峰は前列にある自分の席へと向かう。
(やっぱり……なんか違和感……)
友達と挨拶を交わす彼女の後ろ姿を見送りながら、俺は先ほどから感じていた小さな違和感について考えていた。
今朝、道路で会った時のこと。初瀬峰と挨拶を交わした後、彼女は俺からスッと自然と離れて、撫子と並んで歩き始めた。あの時、今までの初瀬峰だったなら、確実に俺と並んで歩いていたはずなんだ。
……うん? それがどうした? 自意識過剰なんじゃないのか?
と言う、多くの声が聞こえてきそうではある。
けど、彼女が俺を置いて先に歩いて行くなんて事、今まで無かった事から。
友達が声をかけて来ても、必ず俺の傍から離れずに一緒に登校してくれていた。
今の行動だってそうだ。
一年の頃から、初瀬峰は教室に入って自分の机にカバンを置いた後、すぐに俺の席まで来て話をしていたのに、今日は来てくれなかった。
普通に会話を交わしたり、一緒に教室まできたり、特にこれまでの振る舞いと大きく変わった所はないが……
少し距離を取られている様な、そんな印象を受ける。
これって、俺自身が初瀬峰への気持ちを確かめようと意識し過ぎているからなのだろうか?
それは分からないが、今日の初瀬峰は何だか余所余所しいなと、俺は感じていた。
そんな風に考えながらボーッと初瀬峰の後ろ姿を眺めていると、太賀がスススッと音もなく俺に近寄って来て、小声で挨拶して来た。
「おはよっす、将輝」
「あ、ああ、おはよう、太賀」
「なぁなぁ……お前、弓月となんかあったのか?」
太賀の発言に、俺は目を丸くしていた……と思う。
「え? あ、いや、別に。特になんも無いけど」
「何も? 嘘つけ、ケンカでもしたんか?」
「いや、し、してないけど」
「……ホントか?」
「ホントだよ、別にいつも通りだって」
「ふぅん……そっか、ならいいけどよ」
そう言いながら、太賀は釈然としない表情で初瀬峰の方を見ていた。
どうやら、太賀から見ても、今の初瀬峰はどこか違和感を感じる様である。
それが何を意味しているのか、今の俺には分からないけど……
「あ、でさ、将輝。話は変わるんだけど、昨日はその……悪かったな。撫子ちゃんを大勢で囲んじゃってさ」
太賀は顔の前で『ごめん』と謝る感じで両手を合わせた。
「ん、ああ、その事なら、気にしないでいいぞ。妹は昔から男子が騒ぎ立てるから、それが原因でちょっと苦手意識があって……な。だから、太賀たちをスルーしたことは、俺の方から謝るよ」
「いや、それこそ気にしないでくれ。でも、そっか……やっぱ、なんか悪い事しちまったなぁ」
「太賀、撫子のことを気にかけてくれて、ありがとな。まぁ、そう言う事だからさ、これからはなるべく静かにしてくれると助かる」
「ああ、そうだな。分かった! これからは静かにつきまとうよ!」
コイツ……ホントに分かってんの?
と、心でツッコミながら、無限に撫子の話しかしない太賀の相手を俺は続けた。
◇◆◇◆
──撫子が岳奥高校に入学してから二週間。
俺は普通に生活を送りながら、自分の心と向き合ってきた。
日に日に膨れ上がる撫子への想い、それと一年間秘めて来た初瀬峰への想いを俺なりに見つめて、答えを出した。
そして今日、その答えを伝える為に、俺は学校帰りに撫子を隣町にある浜辺へと誘うことにした。
「なぁ、ナデコ。今から隣町の浜辺に行かないか?」
「え? 海に? あたしはおにぃが誘ってくれるならどこにでも……あ」
何かに気づいた撫子は、そのまま黙ると小さく頷いた。
電車を乗り継ぎ、隣町にある海岸沿いの駅で降りる。
まだ春先だからか、辺りには若い人たちの姿は疎らで、犬の散歩をしたり、ウォーキングをするご年配の方々ぐらいしか見当たらなかった。
そんな
一日の終わりを告げるように、水平線の向こうへと沈んでいく夕日。
その真っ赤に染まった夕日を、撫子は指差しながら階段を降りる。
「見て見て、おにぃ。さっきよりも夕日がすっごく近くに見えて綺麗だよ」
俺も階段を降りながら、夕日に照らされる撫子に返事を返した。
「ああ、そうだな。夕日も綺麗だけどさ、でも月も綺麗だと思うぞ」
『夕日が綺麗だ』と言われたら『月も綺麗ですよ』と返すことで『夜も一緒にいませんか?』と言うオシャレな返事になるらしいのだが……
「ん? 月も? なんで?」
撫子には、全く意味が伝わらなかったみたいで、不思議そうに首を傾げている。
「え、あ、いや、その、月も、綺麗だと思うから……さ」
「うん。だから、なんで?」
「……な、何でもない。もう、気にしなくていいから」
「……?」
撫子の頭の上にいっぱい『?』が浮かんでいるのが見える……様な気がする。
俺なりに頑張ってみたのだが、理解されないとこんなにも恥ずかしいものなのかと痛感する……慣れない事はするもんじゃない。
「そ、そそ、それよりもさ……きょ、今日ここに、来た理由なんだけど……」
俺が改まって姿勢を正すと、撫子も傾げていた首と姿勢を正して、こちらへと体を向けた。
何を話されるのかを直観的に理解したのか、義妹は唇はギュっと閉じて、俺の目をジッと見据えている。
「な、なんとなく、気づいているとは思うんだけど……」
「うん」
「俺の心が決まったからさ、その事を伝えたくて]
「……うん」
緊張し過ぎて、俺の心臓は飛び出るかと思う程に、バクバクと打ち鳴らしている。
そうした俺の緊張が撫子にも伝わってしまったのか、義妹もどこか強張っている様な、そんな張り詰めた表情をしていた。
俺は一度、深呼吸をして心を落ち着かせてから、ゆっくりと口を開いた。
「じ、時間をくれと言ったあの日から、ナデコの事をずっと考えてた。毎日毎日、自分の心と向き合って、後悔の無いようにと、しっかり考えてきた……そして、ようやく答えを出したよ」
「……」
「俺、実母がいなくなってから、何だか心の中にぽっかりと穴が空いた様な、そんな日々を送っていたんだ。でも、佳奈美さんとナデコが家に来てくれてから毎日が楽しくてさ、こんな可愛い子が、俺の妹になったんだ、絶対に守ってあげるんだって張り切ってさ……」
「うん……」
「九歳の頃ぐらいまで、ナデコは俺の事を嫌ってたと思うんだけど、あの事件以来、おにぃおにぃって呼んでくれる様になっただろ? あれさ、俺、すっごく嬉しかったんだ。やっとお兄ちゃんになれたんだ、やっと本当の家族になれたんだって。だから、本当の家族になったナデコの事を、女の子として見るのは止めようって……」
撫子の髪が、潮風に煽られて大きく乱れる。
しかし、撫子はそれを直そうとはせずに、微動だにしないで俺の事を見つめ続けていた。一言一句、聞き逃さない様にと……そう、俺には見えた。
「俺はそんな風に、心の片隅にあったナデコの事が好きなんだって気持ちを、無理やりに押さえ込んでたんだ。妹だからって、ずっと見ないフリしてきた。でも、ナデコがキスしてくれた時に、思い知らされたんだ。そうやってずっと、自分の心に嘘をつき続けるのは、無理なんだって」
「おにぃ……」
「今までも、これからも、俺の人生にはナデコが必要なんだ。だから、ずっと俺の傍に居て欲しい。ずっと、ナデコが隣で微笑んでいて欲しいんだ……」
波の音しか聞こえない、誰もいない静かな浜辺。
水平線へと沈みゆく太陽だけが、俺と撫子を見守っている様だった。
「ナデ……撫子、好きだ。俺、撫子の事が好きなんだ。お前の事を、愛してるんだ」
俺の話を黙って聞いていた撫子の目に、薄っすらと涙が滲んでいた……
そして、宝石の様に美しいその雫は、夕日に照らされながら、頬を伝い下へと落ちていく。
いくつも、いくつも、雫は琥珀色の輝きを放ち、砂へと吸い込まれていった。
「……かったの」
「え?」
撫子の消え入りそうな程に小さな声は、打ち寄せる波の音で掻き消された。
俺は、撫子の言葉を聞き逃さない様に、体を震わせる義妹の傍へそっと近寄った。
「ホ、ホントは、すごく怖かった……この二週間、ずっと怖かった。あたしなんかじゃ、おにぃに選んで貰えないんじゃないかって、あたしじゃなくて……弓月パイセンを選ぶんじゃないかって、怖かったの」
「な、撫子……なんでそれを……」
俺は、撫子の言葉に驚いた。だって、初瀬峰の事が好きどころか、好きな人がいるとかさえも話した事が無かったから。
なぜ、撫子はその事を知って……
「分かるよ。大好きな、おにぃの事だもん。初めて、弓月パイセンを見た時……この人だって思ったの。この人が、おにぃの好きな人なんだって」
「……」
涙声で、撫子は俺に想いを伝えようと必死に言葉を紡ぐ。
震える声と口で、一言、一言、ゆっくりと。
「正直、勝てないなぁって……思った。勝負にならないかもって、思ったの。だって、すっごく素敵な人だった。あたしと違って、大人びていて、すごく綺麗で、優しそうで……だから、無理かもって。子供っぽいあたしじゃ、勝てっこ無いなって」
そこまで話した撫子の顔は、涙で濡れてぐしゃぐしゃだった。
真っ赤に腫らした義妹の目からは次々と涙が溢れ出し、頬を伝っていくのを何度も何度も制服の袖で拭う。
しかし、何度拭っても、撫子の頬の涙の跡が消える事は無かった。
「だから、おにぃがあたしの事を選んでくれたのが……うれしい、うれしいの。うぅ、嬉しい……おにぃが、あたしを、選んで……」
ついには両手で顔を覆って、撫子は大きな声で泣きじゃくり始めた。
嬉しいと、大きな声で泣き叫ぶ。
そんな撫子が愛おしく感じて、俺は思わず義妹の事を抱きしめた。
ギュって強くしたら折れてしまうかと思う程に、小さくて華奢な体。
泣きながら震える撫子の体を抱きしめて、俺は彼女の耳元で囁いた。
「俺は、撫子に初めて会った時からずっと、ずっと惚れてたんだよ。それを今更になって気づくなんて……遅くなってごめん。好きだよ、撫子」
「お、おにぃ、あ、あた、ひぐっ、あたしも、ずっと好きぃ。ずっと、ずっと好きだったの、おにぃの、ことが、うぐ、大好きぃ……ひぐっ」
俺は抱きしめていた撫子を少し離すと、彼女の頬を伝う涙を指で拭ってあげた。
「おにぃ、み、見ないで。今、顔がぐしゃぐしゃだから……」
「……撫子。愛してる」
「おにぃ……ん」
そうして、俺は撫子の唇へと自分の唇を優しく押し当てた。
重なる事で伝わってくる、撫子の温もりと感触。そして、俺への気持ち。
時間が過ぎるのも構わず、唇でお互いを求め合った。
愛しい人の存在を確かめる様に、いつまでも、いつまでも、いつまでも……
◇◆◇◆
~(???視点)~
注文をとる声や人々の楽し気な会話が飛び交う、人気のカフェの入り口。
予約シートに名前を書き込んだウチは、友達のキラリと一緒に丸椅子に座って順番を待っていた。
多くの人で賑わう店内からは、香ばしいコーヒーの香りと焼きたてのパンの香りが押し寄せるように漂ってくる。
そんな食欲をそそる香りに反応したのか、隣に座ったキラリから『ぐぅぅぅ』と言う元気な音が聞こえて来た。
「んがぁぁぁぁ、お腹空いたぁぁぁぁ。ねぇ、まだなの~?」
彼女は両手を自分の胃の辺りに添えながら、もう限界と言った表情をしている。
「ん~、もう少し待つかもね。さっき店員さんが30分待ちとかって言ってた」
ウチはキラリに適当な返事を返すと、スマホの画面を見つめたまま、壁に背中を預けた。
「えぇぇぇぇぇぇぇ、そんなに待てないよぉぉぉぉ。私のお腹、もうぐうぐうなんですけどぉ? 餓死しちゃったらどう責任とってくれるワケ?」
「いや、そんなの知らない。ウチはあんたのママじゃないし」
「はぁぁ。お腹空き過ぎて、待つ時間が長すぎる……なんか気が紛れる事ない?」
「さぁ? ウチは『ピンスタ』でも見て、時間潰す」
そう彼女を適当にあしらって、ウチは自分のスマホで『ピンスタ』と呼ばれるコミュニケーションアプリを使って、どうでもいい個人のつぶやきを漁っていく。
「最近、彼氏が出来ました……夏は二人で海に行きたいなぁ……はぁ、そうですか。幸せそうで何よりですね」
他人の幸せそうな記事を目に留めてはスクロール、目に留めてはスクロール、それを何度も繰り返し、ウチは面白いことはないかと探し続ける。
「ふわぁぁぁぁ……はぁ、ねむ。退屈ぅ」
つい先ほどまでお腹が空いたと騒いでいたキラリは、あくびをしながら、ウチの肩に頭を預けてくる。
イヤイヤ、肩痛いし、めっちゃ重いんですけど?
「キラリ、肩痛い。ってか、眠いのか、お腹空いたのか、どっちなん?」
「どっちもぉ~」
だらけた返事をウチに返しながら、キラリは再び大きなあくびをしていた。
「あ~あ~、すっごいあくびしてぇ。あんたに憧れている子たちが見たら幻滅するレベル。こんなんが、神読モって言うんだから、ヨモマツね」
「ふわぁ~はぁ……見た目と中身はベツモンっしょ? 読モなんてものは……って、あぁ!」
「ひゃぁ!」
突然のキラリの大声に、ウチはビックリして体をビクッと震わせる。
その反動で、座っていた椅子も動かしてしまい『ガガガッ!』と盛大に鳴らした。
「ちょ、脅かさないでよ。ビックリして変な声出ちゃったじゃん。恥ずかしい……」
「あ~、思い出した。いつだったか、あんたにソックリな子がいたからさ、オモシロ~とか思って一緒に写真撮ったんだよね。すっかり忘れてたわ」
「ウチに……ソックリな子?」
「そそ、めっちゃビックリした! 最初、
そう言って、キラリは自分のカバンからスマホを取り出すと、画面に写真を表示してウチの目の前へと持ってくる。
「ホラ、見てみ。この黒髪ミディアムの子。超かわいいし、この子が髪を伸ばせばさ、寧々香にソックリじゃない?」
ウチはその写真を見て驚いたと同時に、懐かしい気持ちでいっぱいになった。
絹の様な綺麗な黒髪に、父親譲りの目と、母親譲りの唇。
そっか、あんた、こんな近くに住んでたんだ……
「ねぇ、キラリ。これ、どこで撮ったん?」
ウチの質問に、キラリは顎に指を当てて思い出す様な素振りを見せる。
「え? あ~……どこだっけ? ん~、確か、岳奥の方面だったかも?」
「岳奥? あの有名な進学校の? めっちゃ頭いい奴しかいないとこの?」
「そそ、その近くのカフェ。でも、もうニケ月ほど前の話だけど」
「結構経ってるけど。まぁ、そんなすぐに住む場所なんて変わんないでしょ」
……会いたい、会いたいね、撫子。
今のあんた、とっても幸せそう。ウチと違って、すっごい幸せそう。
見ただけで分かるよ、そんなオーラを放ってる。幸せなオーラをさ。
もしかして、好きな人でも出来たんかな?
「
店内を手で指し示すカフェ店員を見て、キラリは待ってましたと言わんばかりに勢いよく立ち上がった。
「ありがとう! 綺麗なお姉さん! ホラホラ、まずは席に座ろうよ、寧々香」
「あ、うん」
ウチはキラリに急かされて、お気に入りの黄色いバッグを持って立ち上がる。
……妹の事を考えながら。
一章『義妹を嫁にする気はない』編 ~終~
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