第9話 幼い日のある事件【撫子視点】
(ふふふ、おにぃ、すっごいビックリしてた。可愛い)
あたしは自分の席に座ると、おにぃの驚いた表情を思い出してほくそ笑む。
やっぱり、これだけの人数の中から、なんで見つけられたんだろうって思ってたのかな? 多分、そうだと思う。想像以上に驚いた顔してたし。
だけど、なんですぐにおにぃを見つけられたのかって聞かれても、あたしはその事をうまく説明は出来ない。
ただ、見渡した時に多くの人はボヤっとなって、おにぃの姿だけが浮かび上がってくる。そんな不思議な直感的な物で、おにぃの居る場所が分かるのだ。
なぜ、分かるのかは説明は出来ないけれど、いつから見つけられる様になったのかは説明出来る。
それは、あたしが『
そう、あれはあたしのお母さんとおにぃのお父さん、恭一さんが再婚して三年目の出来事だった。
──おにぃが十歳で、あたしが九歳となった年の夏休み。
仕事が忙しい恭一さんが、珍しく連休がとれたとの事で、家族みんなで泊りがけの旅行に行こうと言う事になった。
それを聞いたおにぃは、それはもう大喜びだったけれど、その時のあたしは燥いでいるおにぃを横目に『ふざけるな』と思っていた。
その当時のあたしは、恭一さんとおにぃの事が嫌いだった。
血の繋がらない他人と一つ屋根の下で家族ごっこをする。
その事にずっと違和感しかなかったあたしは、恭一さんの事を『おじさん』、おにぃの事は『しょうき』と呼んで、二人の事を頑なに遠ざけていた。
なんと言うか、理屈じゃない。生理的に受け付けないのだ。
だからあたしは、旅行に浮かれる三人を目の前にして思っていた事を言い放った。
「あたしは『おじさん』や『しょうき』なんかと一緒に旅行には行きたくない」と。
その事をお母さんにすっごく怒られたけど、恭一さんは、
「無理強いすることは出来ないけど、幼い撫子だけを一人置いて旅行になんて行けないよ。俺と将輝の事が気に入らないなら、それはそれで別に構わない。でも、お母さんの為だと思って、撫子も一緒に旅行にきてくれないかな?」
と、お願いする様にあたしに笑顔を向けた。
……絶対に嫌。
あたしは恭一さんの笑顔を見ながら、そう思っていた。
でも、恭一さんの言っている事も分からなくもなかった。
だって、おにぃがとっても喜んでいる傍で、大好きなお母さんもすっごく喜んでいたから。
お母さんが、あたしの実父とどうして別れたのかは知らないけれど、御藤家に来てからと言うもの、お母さんは笑顔で過ごす事が多くなった。
お母さんは実父よりも、恭一さんやおにぃの事が好き。
だから、そんなお母さんの幸せな気持ちを台無しにはしたくなかった。
行きたくない、でも行ってあげたい。
あたしはその葛藤の果てに、
「……わかった。行く」
と、渋々、旅行に行くことを了承した。
そうして、心から納得していないあたしを連れて、御藤一家はある都市を巡る一泊二日の旅行に出かける事になったのだった。
◇◆◇◆
──旅行一日目は、新幹線を降りた駅周辺の散策をした。
主に、ウィンドウショッピングや食べ歩きをして回っていたのだが、あたしは多くの人で賑わう都市に圧倒されて、キョロキョロしながら身をすくめていた。
そんなあたしの様子を見たおにぃは、スッと自分の手を差し出してきた。
「ナデコ、俺がいるから大丈夫だよ。絶対に離れないでね」
笑顔でそう言ったおにぃの手を一瞥して、あたしはすぐに視線を外した。
嫌いなヤツの手を握りたくないってのもあったけど、おにぃがあたしの事を『ナデコ』と呼ぶのも気に入らなかった。
幼いおにぃにとっては『なでしこ』と言う発音は言い難かったらしく、『し』だけ抜いて『なでこ』と呼びやすくしていたらしい。
だが、あたしは何だかバカにされている様な気がしたから、その事をとても嫌っていた。
「あたしはナデコじゃない。撫子」
「なで、こ。なで……う~ん、ナデコ、迷子になるよ。俺の手を握って」
これ、ワザと言ってるんじゃないの?
そう思えてくるほどに、ナデコとしか言えないおにぃ。
それに呆れたあたしは、手を差し出すおにぃのことをシカトして、お母さんの後を追いかけた。
◇◆◇◆
──旅行二日目。
お気に入りの白いワンピースで身を包み、買った貰ったばかりの赤い靴を履く。
あたしは出かける準備を済ませると、家族と一緒に宿泊したホテルを後にした。
二日目は一日目とは違い、バスやタクシーで移動しながら、多くの観光地を見て回る事となった。
古風で趣のある寺社仏閣、周辺を一望出来る海浜タワー、そして湾に面した大きな複合施設。
見るもの全てが新鮮で、あたしはこの最悪な旅行をそれなりに楽しんでいた。
(うん、まぁ、悪くないかな。やっぱり、遠出って楽しい)
そうして、あっという間に時間は過ぎていき、旅行の最後の目的地である海浜公園へ向かう事となった。
その日は、何やら有名な音楽バンドのイベントがあるとかみたいで、公園内は沢山の人でごった返していた。
「イベントが始まるまでまだあるし、少し日陰で休憩しようか」
そう提案した恭一さんに、お母さんが返事を返す。
「それじゃあ、私は飲み物買ってくるね」
お母さんのその言葉に、あたしはハッとする……このまま置いて行かれたら、あたしは恭一さんとおにぃの三人で残る事になってしまうと。
どうにかそれを回避しようと「あたしも一緒に行く」と言おうとしたのだが、すでにお母さんは人ごみの中へと消えた後だった。
「撫子、お母さんはすぐに戻って来るよ。俺や将輝と一緒にここで待っていよう」
そう言って微笑む恭一さんを、あたしは睨みつける。
だから、それが嫌だって言うの。
どうせ言っても無駄だろうと、あたしはお母さんの向かった自販機コーナーへと一人で行こうと足を踏み出した。
「ダメだよ、ナデコ。一人で行ったら危ないよ。俺や父さんと一緒にいて」
呼び止められた事に、あたしは苛立ちを覚える。
嫌々ついて来た旅行を、あたしなりに何とか楽しもうと努力しているのに、それをコイツらの方からブチ壊してくる。
いい加減にして欲しい。
「うるさい、しょうき。あたしの事はほっといて」
苛立つ感情を抑えきれずに、あたしはおにぃの事を睨みつけた。
「放っておいてって、そんなの出来ないよ。人だってこんなに沢山いるし、一人で行ったら迷子になっちゃうよ」
「ならない。あたしは子供じゃない」
「いや、俺と一緒で子供じゃないか……てか、一つ年下だし」
「いいからほっといて! しょうきなんか大嫌い!」
そう言い放ち、あたしはその場から駆けだした。
「ナデコ! どこ行くの! ひとりじゃ危ないよ!」
逃げるあたしの後ろを、おにぃが走って追いかけてくる。
「おい、将輝! 撫子! どこに行くんだ!」
それに気づいた恭一さんも追いかけてくる。
「こないでよ! あたし、あんた達なんか大っ嫌いなんだから! 他人のクセに、お父さんぶるな! お兄ちゃんぶるな!」
「でも! 俺、ナデコが心配だし!」
「うるさぁい! ほっといて!」
「うあっ!」
その声と同時に、後ろの方からズザザッって音がした。
立ち止まって振り返ると、這いつくばった姿勢で、おにぃが地面に倒れていた。
「イテテテ……」
どうやら躓いてコケたらしい。
そんな盛大に転んだおにぃの周りに『どうした、どうした』といった感じで、人々が集まり始めた。
その人だかりの向こうからは、恭一さんが走って来る姿も見える。
あたしは何が何だか分からなくなって、その場から逃げ出す様に走り出した。
「あ、ナデコ!」
呼び止める声を振り払い、あたしは溢れかえる人ごみに紛れる。
あっちも、こっちも、人、人、人。
人の波を掻き分けながら、あたしは力いっぱい走って逃げる。
自販機コーナーへ向かっているのかも分からない。今居る場所も分からない。
なんで走って逃げているのかも分からない。なんにも分からない。
雑踏が遠のいて行くのを感じながら、あたしはただただ走り続けた。
──そうして、どれだけ走ったのか分からないぐらい走って……疲れ果てて、足を止めた。
暑い……しんどい……呼吸が苦しい……
夏の強い日差しが、容赦なくあたしの露出した肌を照り付けてくる。
ワンピースも下着も、汗でベッタリと張り付いて、とても気持ちが悪い。
顔や首元から止め処なく吹き出してくる汗を手で拭いながら、あたしはハァハァと浅い呼吸を繰り返し、新鮮な空気を肺に送り込む。
そして、ゆっくり、ゆっくりと、深い呼吸へと切り替えて、気持ちも一緒に落ち着けていった。
「はぁ、はぁ……っ、はぁ、こ、ここ、どこ?」
あたしは呼吸を整えながら、辺りを見回した。
さっきまでいた海浜公園に似ているが、人通りの全く無い静かな川沿いの道。
ブルーシートに覆われた大きな建物からは工事をする音と、遠くの方からは高速を走る車のエンジン音などが聞こえてくる。
徐々に冷静さを取り戻し始めたあたしは、見知らぬ土地で一人でいることに漠然とした恐怖を覚え始めた。
なんだろ……何だか分からないけど怖い。
空も、街も、川も、建物も、みんな大きく見えて、急な孤独感に襲われる。
「も、戻らなきゃ、お母さんが心配するかも……」
そうして、元来た道を戻ろうとしたあたしに、恐怖心をさらに助長する様な出来事が、降りかかってきた。
「お嬢ちゃん、一人じゃ危ないよ? おじさんが一緒にいてあげようか?」
あたしは、声のした方へと恐る恐る振り返る。
するとそこには、見知らぬおじさんが、下卑た笑みを浮かべて立っていた。
──次回予告、おにぃはあたしの
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