第8話 入学式、妹にドキっとする。

 2-Aの担任になった副島そえじま先生から、八時五十分までに体育館へと向かい、クラスごとに分けられた椅子へとそれぞれ座る様にと指示を受けた。


 入学式の後は続けて始業式を行い、それが終ったら生徒会長から今後の活動や行事の説明、そして生徒会の指示のもとに椅子や長机の片づけがあるとのこと。


 でも、それが終れば今日の学校は終わり。午後からは、自由の身となる。


 昼には帰れるし、帰ったら読みかけの小説でも読もうかな。


 なんて少々浮かれた気分で、俺は太賀と初瀬峰と体育館へと向かっていた。


 ……のだが、そんな気分を台無しにしてくる輩がいる……太賀だ。


 教室を出てからと言うもの、太賀のヤツは撫子の話しかしてこない。


 その事に、俺はいい加減うんざりし始めていた。


「なぁなぁ、将輝」


「なんだよ、まだなんかあんの?」


「撫子ちゃんって、好きな音楽バンドとかってあるの?」


「……レディオヘッドじゃね?」


「それはお前の趣味じゃねぇか。俺は撫子ちゃんの事を聞いてんだよ」


「はぁ……妹の趣味とか良く知らんけど、レゲエとか聴くかもな」


「え? ボブ・マーリーとか好きなの? 兄妹揃って音楽の趣味が渋いんだな。じゃあさ、好きな食べ物は?」


「さぁ? 熊の手とかじゃね?」


「熊? あの熊の……手? 撫子ちゃんって、見かけによらず、とってもワイルドなんだな。でも……それがまた可愛い!」


 そうして、満面の笑みを浮かべながら、太賀は俺の肩をバンバンと叩いて来る。


「未来永劫、宜しくな! お義兄にいちゃん!」


「ザケんな、俺はお前の義兄あにきになるつもりはねぇぞ」


 俺は肩を叩いてくる太賀の手を、乱暴に振り払う。


 マジでコイツ、いい加減にウザいんだけど。これで学年十位に入る成績なんだから、ホント驚きだよ。


 そんな、成績と頭の中が一致しない太賀のことを放置して、俺は体育館の中へと足を踏み入れる。


 すると、中にはすでに来賓や保護者、それと教師や生徒たちが座る椅子がズラっと並べられていた。


 体育館の中央に人が二列で通れるだけの道を設けて、それを境に左右にパイプ椅子が等間隔で置かれている。


 ステージ側から新入生、二年生、三年生、保護者の順だ。


 前日に運動部が総出で並べたらしいけど、誠にお疲れ様である。


 椅子には好きな様に座っていいと担任に言われていたので、背もたれに2-Aと書かれた椅子へと向かい、適当な場所を選んで三人で仲良く座った。


「あ、会長だ」


 太賀の声に、俺はステージの裾で準備を進める生徒達へと視線を向ける。


 その中に、ウチの学校で一番の美少女と名高い生徒会長の杜城とき燐華りんかの姿があった。


 人懐っこい笑顔を振りまきながら、生徒会と放送部の生徒に指示出しをしている。


「ギャル会長、今日もめっちゃカワイイなぁ!」


「まぁ……そうだな」


 太賀の言う通り、三年生の杜城生徒会長はギャル風な見た目をしている。


 クリッとした大きな目には綺麗な赤色のカラコン、さらにボリュームのある付けまつげとビシッと整えた眉毛で存在感をアピール。


 ふっくらとした唇にはうっすらとピンクの口紅を引いて、背中まで伸ばしたウェーブがかった髪は、眩しいほどの金色に染め上げている。


 そんな派手な見た目の彼女が、何故に生徒会長をやっているのかと言うと。


 ……もちろん、生徒会役員選挙で圧倒的票数で選ばれたからだ。


 え? お前んとこの学校、役員選挙を美少女コンテストか何かと勘違いしてんの? 


 そう言った多くの声が聞こえてきそうだが、それがまた一概にそう言えないのがウチの会長の恐ろしい所である。


 見た目のチャラさとは裏腹に、成績優秀で校内の試験は常に学年一位、それに大手予備校が共同で実施している全統模試でも十位以内だったとか。


 明晰な思考力、多くの人間を惹き付けるカリスマ、物怖じしない行動力、そして一歩も退かない度胸。


 それに加えて、親が有名な菓子メーカーの社長とかで、所謂いわゆるお金持ちのお嬢様と言うのだから、生徒会長にも選ばれるだろう。


 そんな杜城会長だが、俺が初瀬峰と一緒に図書室で勉強してたら声をかけてきて、いつの間にか仲良くなった数少ない友達の一人でもある。


「ん?」


 慌ただしく準備をする杜城会長の事を見ていると、丁度こちらを向いた彼女と目が合ってしまった。


 何だか気まずいのだが、会長の方はと言うと、そんな事は全く気にする様子も無く、こちらに向けて元気に手を振っている。


 ちなみに、その反動で立派に育った胸元も大きく揺れていた。


「見ろ! 将輝! 美しい生徒会長様が、俺に手を振ってる!」


「……うん、良かったな」


 左隣に座った太賀に適当に返事を返して、俺は姿勢を正して座り直した。


 と、なにやら俺の右側から、凄まじい黒い気を感じた。


「ねぇ、御藤くん」


 そう呼ばれて、俺は右隣に座った初瀬峰へと恐る恐る振り向く。


 すると、彼女はなんだか怒った様な表情をしていた……なんで?


「な、なに?」


 その意味不明な威圧感に気圧されて、俺は太賀の方へと身を寄せる。


「杜城会長。いま、嶋立くんじゃなくて、御藤くんに手を振ってたよね」


「え? い、いや、そ、そうなのかな……?」


「ん~?」


 俺の顔へと、初瀬峰はジト目で可愛い顔を寄せてきた。


 余りの至近距離に、彼女の匂いがこっちまで漂ってきている。


 これは……シャンプーだけではない。女子特有の甘くて柔らかい良い匂いが……って、ダメだ、ダメだ! 変な事を考えるのを止めろ、俺!


 俺は妄想をかき消す様に、ぶんぶんと首を振った。


「な、なんで首を振ってるの、御藤くん?」


「あ、お構いなく……」


「……?」


 初瀬峰は訝し気な表情を俺に向けたまま、姿勢を正して椅子に座り直した。


 彼女が離れた事で、あんなに強く感じていた甘い匂いと熱が、冷ややかな体育館の空気と同化して消えていった。


「まぁ、それはいいとして。御藤くんって、ホント、会長と仲いいよね」


「な、仲いい……てか、初瀬峰も会長と一緒に図書室で勉強するだろ」


「それはそうなんだけど。でも、会長ってさ、あんまりいい噂を聞かな……あ」


「なに? 会長? いい噂?」


 俺がそう聞き返すと、初瀬峰は軽く首を振った。


「ううん、なんでもない。今言った事、聞き流して貰えると嬉しいかな。ちょっと嫌なヤツだった、私」


「え? あ、あぁ、うん……そっか、分かった」


 そうして、初瀬峰は俺から視線を外して、ステージ側へと移した。


 結局、初瀬峰が何を言いたかったのか分からないけれど、彼女が聞かなかった事にしてくれって言うから、俺はそうする事にした。気にはなるけど……


 そんなやりとりをしている内に、入学式の準備は着々と進んでいた様で、燕尾服を着た教頭先生からマイクテストを兼ねたお知らせが入る。


「式の開始まで十分前となりました。来賓、並びにご来場の保護者の皆様は指定の席にてお待ちください。在校生の皆さんも、私語を慎んで各自の席で待機する様に」


 ややザワついていた体育館が、しんと静まり返る。


 そうしてしばらくすると、穏やかなピアノの演奏と共に入学式が始まった。


「新入生、入場」


 進行役の先生がマイクを通してそう言うと、体育館の入り口から続々と新入生が中央の道を行進して来た。


 希望と夢を胸に、この高校に入学して来た新入生は、初々しい顔つきで俺ら二年生の前の席にそれぞれ着席していく。


 そして、行進が終盤に差し掛かった頃、なにやら周りがザワつき始めた。


 その正体を何となく察しながら、俺は行進する一年生の列を眺める。


 ……と、見覚えのある女子生徒の後ろ姿が目に入ってきた。


 俺の妹、撫子だ。


 周囲から『可愛いな』『美少女過ぎる』『天使だ』などとヒソヒソと聞こえてくる。


 予想通り、俺の妹を見て在校生たちがザワついていたのだ。


 そんな周りの声を知ってか知らずか、撫子は自分の席まで来ると、椅子を確かめる様に振り返った。


 そして、妹はなんの迷いも無く俺と視線を合わせてくる。


「え?」


 永遠とも思える刹那の時間。


 一瞬、時が止まったかの様に感じた。


(な、なんで、ナデコは俺の居る場所が分かったんだ?)


 俺は呼吸をするのも忘れて、ただただ撫子と見つめ合う。


(ナデコのやつ、これだけの人がいる中で俺だけを見て……いや、違う。あいつ、俺以外の人間は存在さえ認識していないんじゃないか?)


 そうして、俺はしばらく撫子と見つめ合ったままでいたが、妹は軽く微笑むと、姿勢を正して椅子へと腰を降ろした。


 撫子の視線から解放され、俺は忘れていた呼吸を再び開始する。


(と、とにかく、そう言うの止めてくれ、ナデコ。お兄ちゃん、妹にドキッとしちゃったじゃないか……て言うかあいつ、絶対に今心の中で『おにぃビックリしてた、ふふふ』とかって笑ってんだろ)


 「……ったく」


 俺は呼吸を整えつつ、椅子に座った撫子の後ろ姿をしばらく見つめていた。

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