第15話 見て見ぬ振りしていた気持ちを。
どれくらい時間が経っただろうか。
一分? いや、五分?
詳しくは分からないが、とても長い時間、お互いに唇を重ねていたと思う。
今まで誰一人として触れてこなかった俺の唇に、今、義妹の唇が優しく押し当てられている。
熱と共に伝わってくる、俺を求める彼女の気持ち。
俺はそれを拒絶することなく、ただただひたすらに受け入れていた。
そうして、何度目かのレンジのお知らせ音が鳴って、ようやく撫子は名残惜しそうに俺の唇からゆっくりと離れた。
なんら、いつもと変わらない表情の撫子。
だが少しだけ、頬を染めて上気している様にも見えた。
「ナデ……」
「あ、そうだ、おにぃ。お腹空いたよね? チャーハン温まったみたいだし、ご飯食べよ」
そう言って、義妹は何事も無かったかのように、ご飯の準備を始めていた。
突然のキスに呆けてしまっている俺を放置して……
◇◆◇◆
佳奈美さんが作ってくれたチャーハンを、俺はただ黙々と作業するだけのロボットみたいに腹の中に詰めていく。
ちゃんと味付けされているはずだろうに、今の俺にはチャーハンの味が全く感じられなかった。
だが強いて言えば、義妹の味がする……様な気がする。
舌よりも、頭の奥をチリっと刺激する様な、そんな味。
そうして、目の前のチャーハンをスプーンで掬いながら、俺はテーブルの向こう側に座る撫子の様子を盗み見た。
義妹は何食わぬ顔で、俺と同じ様に黙々とチャーハンを口の中へと運んでいる。時折、うんうんと頷いたりなんかしている。
佳奈美さんのチャーハンが余程に美味しいのだろう。
(あんな事したのに……案外、普通なんだな)
いつも、何考えてるのか分からない程に無表情な撫子。
でも流石にあれだけの事をしたのだから多少は照れたり、そわそわしたりするかなとか思ったのだが、全然普通にしていた。
想像以上に普通過ぎて、俺は自分がおかしいのかと戸惑いを覚える。
(この年頃の女の子には、キスって普通の事なんだろうか? 俺が遅れているだけなのか? う~ん……分からん)
俺はそんな事を考えながら、目の前の撫子を見つめ続けていた。
そして誘われる様に、小さくて形の良い艶やかな唇へと視線を移す。
(あれがさっきまで、俺の唇に……)
それは、今まで自分の唇で感じた事のない感触だった。
ふわふわとした柔らかい感触とピリッと電気が走る様な刺激。
あの感触がずっと頭から離れない。もっと欲しいと願ってしまう。
も一度、あの唇に触れられないだろうか。あの、感触を味わえないだろうか。
もう一度だけでいいから、義妹とキスがしたい。
そんな、俺の欲望とも言える想いが、理性と言う枷を次々に外して……
「……にぃ? おにぃ? ねぇ、おにぃ?」
撫子の呼びかけに、俺はハッとする。
「……え? あ、なに?」
「どうしたの、ボーっとして。スプーンで掬ったチャーハン、零してるよ?」
「あ、あぁ、う、うん、そっか、アハハ……そうだな」
撫子にそう指摘された俺は、慌てて皿に残ったチャーハンをスプーンで全部掬うと、最後の一口を口へと無理やりに放り込んだ。
そうして、すぐに立ち上がる。
「ご、ごちそうさま」
「う、うん。片づけはあたしがするから、置いといて」
「いや、自分の分の皿くらい、持って行くよ……」
俺は食べ終わった皿とコップをシンクまで運ぶと、撫子と目を合わせる事無く、そのまま部屋へと戻った。
◇◆◇◆
俺は読みかけの小説を机に放置したまま、椅子に腰かけて宙を見つめる。
考えが纏まらない。心ここに非ずって感じだった。
なんだかボーっとして、未だに頭と体がふわふわしている気がする。
そんな良く分からない状態のまま、俺は自分の唇を指でなぞった。
「ナデコの……唇……」
そうして、ふと、先ほどまで居たリビングでの出来事を思い出す。
「はぁ……今更だけど俺、
初めて味わった女性の唇の感触。
その形容しがたい高揚感と、義妹とキスしてしまったと言う罪悪感が入り混じって、心の中は真っ黒い何かがドロドロに渦巻いていた。
「俺は、ナデコの事を義妹だって……でも、ナデコはずっと俺の事が好きでいてくれて、兄としてじゃなくて、男としてで……俺は……」
あまりに衝撃的な出来事に、俺はすぐに現実を受け入れる事が出来なかった。
大切な家族を俺自身で穢してしまった、そんな後ろめたい様な、焦燥感にも似た自責の念に駆られる。
そして頭の中に、幼い頃の撫子の姿が浮かび上がってくる。無邪気な笑顔で微笑んで、俺の手を握りながら『おにぃ』と言っては消えていく。
「血は繋がってないけど……義妹で、ずっと一緒で……家族でさ。俺がずっと守ってあげようって……」
義妹が出来た日、俺は撫子の姿を見ながら『この子の事は俺が守ってやるんだ』って固く誓った。守るべき大切な家族だと、ずっと思っていた。
でも、その家族だと思っていた妹がキスを経て義妹で無くなって、俺の中で異性へと変わっていく。
そんな急激な変化について行けず、俺は酷い脱力感に襲われた体を、椅子の背もたれへと預けた。
「どうしたらいい? どうしたいんだ……俺……」
そう何度も自問自答を繰り返す……が、すでに俺の中である程度の答えは出ていた。
心の中の隅に追いやった小さな想い。
ずっと気づかない振りをしていた淡い気持ち。
未だに抵抗が無いと言えば嘘になってしまうが、その気持ちを否定することなく、徐々に受け入れていこうと、俺は思っていた。
「認める、認めるよ。俺は撫子の事を……」
──コン、コココン。
と、部屋のドアが軽快なリズムでノックされる。
完全に油断していた俺は、その音に大きく体をビクつかせた。
俺はすぐさま姿勢を正すと、椅子を九十度回してドアの方へと顔を向ける。
ノックした人物……今、家に居るのは俺と撫子だけ。
と言う事は、答えは明白である……のだが、いつまで経ってもドアは開かない。
いつもなら、俺の返事を待たずして扉は開け放たれるのに、いつまで経っても閉じられたままだった。
その事を不思議に思いながら、俺は一度ゆっくりと深呼吸してから返事を返した。
「ナ、ナデコか?」
部屋のドア越しに、廊下から籠った撫子の声が返ってくる。
「うん、おにぃに伝えたい事があるんだけど」
「え? なんだ?」
「えっと……さっき、お母さんから連絡があって、夜は三人で外にご飯食べに行こうって」
「あ、あぁ、そうか。分かったよ。わざわざ、ありがとな」
そう、俺は礼を述べた。
すると、撫子の気配がドアから遠ざかるのを感じる。
足音は左隣の撫子の部屋へと向かい、すぐにドアの開閉する音が聞こえて来た。
先ほどと変わらず普通だった撫子の態度に、俺は安心した様な、それでいて若干の寂しさを感じていた。
やっぱり、なんだか素っ気ないなって。
「まぁいい。とりあえず、出かける前にシャワーを浴びてくるか」
兎に角、このモヤモヤした気持ちを整理したい。
そう考えた俺は、クローゼットの引き出しから下着を取り出すと、部屋を出て風呂場へと向かった。
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