第14話 初めてのキスは義妹の味?

 結局、明日からはべたべたしないでくれとの約束は、有耶無耶なままで終わった。


 あいつ、最初から守る気なかっただろ……ったく。


「まぁいいけど」


 なんだかんだで可愛い妹の相手をしながら帰宅した俺は、サッと着替えを済ませて、佳奈美さんが用意してくれた昼ご飯を食べようとリビングへと向かった。


「ん?」


「ふふふ~ん♪」


 階段を降りていると、どこからともなく上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。


 その可愛い鼻歌の出所は……どうやら、俺が今向かってるリビングからの様だ。


 とりあえず、ドアを開けてリビングに入ると、ピンクのトレーナーと青のハーフパンツの上から真っ白なエプロンを纏った撫子の姿が目に入って来た。


「あ、おにぃ。チャーハン、温めるね」


 どうやら、佳奈美さんが作っておいてくれたチャーハンを、レンジで温め様としてくれているみたいだった。


 兄への気遣い。それはとてもありがたい事ではある……のだが『レンチンするだけなのに、エプロンする意味ある?』とツッコミたくて、俺はウズウズしていた。


 「エプロ……わ、わりぃな、ナデコ」


 兄想いの健気な妹が、折角いい気分でお昼の用意をしてくれているんだ。茶化すのは野暮ってものだろう。


 出掛かったツッコミを何とか飲み込み、俺は撫子に礼を述べた。


「ううん、あたしが全部するから、座って待ってて」


 撫子はそう言ってくれたが、さすがに何もしない訳にも行かない。


 謎にテンションの高い妹を横目に、俺は布巾を手に取るとテーブルの上を拭き始めた。


「いや、せめてお茶とか箸とか準備するよ」


「うん、ありがと」


 そう返事して撫子はニコっと微笑むと、レンジの中を覗き込みながら待機していた。


(やっぱり、エプロンいらなくないか?)


 俺は心の中でひっそりとツッコミながら、カウンター奥の冷蔵庫へと向かう。


 そして、お茶のペットボトルを取り出すと、それをコップに注いだり、後は箸やスプーンの準備を済ませて席に着いた。


「あ、そうだ。おにぃ、わかめスープいる?」


 キッチンカウンターの向こう側から、撫子がわかめスープの袋を手で振りながら聞いて来る。


「うん、そうだな。出来れば欲しい」


「わかった」


 そう返事をして、撫子はわかめスープの封を切り準備を始めた。


(やっぱ、似てんな)


 そんな右に左にと移動する妹の姿を、俺はテーブルに頬杖をつきながらボーっと見つめる。


「ん? どうしたの、おにぃ? ……あ」


 と、俺の視線に気づいた撫子はその場で立ち止まると、エプロン姿を披露するかの様に、裾を手で掴んで広げて見せた。


「もしかして、エプロン姿のあたしに見惚れちゃった? ふふっ」


 自慢気に微笑む妹は、とても可愛かった。それは認める。


 しかし、俺の視線の意味はそう言う事じゃない。


「いや、そうじゃなくて。エプロン姿の撫子見てるとさ、なんだか本当に母さんだなぁって思って」


 その言葉に、撫子は一瞬キョトンとした表情をした後、すぐに謎の言葉を俺に向けて放って来た。


「新妻ってこと?」


「どう変換したらそうなるんだよ?」


「新妻じゃないなら、なに?」


「なにって……佳奈美さんにそっくりだなって言ってんだよ」


 それを聞いた撫子は、俺から視線を外して何やら呟いた。


「それって、おにぃは……に、お母さん……たってこと?」


「ん? なんか言ったか?」


 雰囲気新妻の撫子は数秒ほど黙ると、わかめスープのお椀をカウンターに置いて、俺の元までやってきた。


「ねぇ、おにぃ? おにぃは何かと、すぐ母さん母さんって言うよね。そんなにあたしのお母さんの事が好きなの?」


 撫子の奴、急になんだ? 今日はヤケに突っかかって来るな。


「そんなの当たり前じゃん。俺の母さんになってくれた佳奈美さんは、世界一の母さんだからな。好きで何が悪い?」


 俺の返事に、撫子はいつもの無表情ではあったが、どこか不機嫌そうにしている。


 兄としての勘ってやつだろうか。今の撫子の表情は、そう感じ取れた。


「違う。そう言う事じゃなくて、お母さんの事が好きなのかって訊いてるの」


「だから、さっきから好きだって言ってんだろ。俺には世界一の母さんだって……」


「違う違う、そうじゃなくて。あたしが言ってるのは、おにぃはお母さんの事を女として好きなのかって訊いてるの」


「……は?」


 妹から投げかけられた突拍子もない質問に、俺はフリーズしていた。


 え? は? お、俺が佳奈美さんを女として見ているかだって……?


 な、なな、な……


「何言ってんだよ、ナデコ! お、俺が母さんを女として見てるかって?! じょ、じょじょ、冗談も休み休み言えよ! そんな訳ないだろ!」


「動揺がすごい」


「……っ! お前が突拍子もないこと言うからだろ! そんな事は絶対に無い!」


 俺は、後ろめたい気持ちなど一つも無いのに、何故か焦りながらその事を必死に否定していた。


 確かに、俺と佳奈美さんに血の繋がりは全くない。


 同じ時代に生まれて、お互いそれなりの出会いを果たしていれば、そんな事もあったかもしれないだろう。


 だが、佳奈美さんは撫子の母親で、俺の父さんの伴侶で、俺の継母なのだ。


 だから俺は、今まで佳奈美さんの事をそんな目で見た事が一度たりとない。


 佳奈美さんの事を傷つけてしまったあの日から、俺は彼女を世界一の母さんだとずっと思ってきた。大切な家族だと。


 だから……


「なら、証明して欲しい」


 撫子の言葉に、俺は首を傾げる。


「しょ、証明?」


「うん、証明。おにぃが、お母さんの事を、女として好きじゃないって事の証明を」


「いやいや、ナデコ。そんなもん、どうやって証明すればいいんだよ」


 俺がそう言うと、撫子は自分の唇に人差し指を押し当てた。


「とっても簡単な事、あたしとキスするの」


 あぁ、そっか。なるほどなぁ、キスか……うん、うん、それなら……って、あれ? 俺、急に日本語が不自由になったのかな?


 撫子の言っている事が理解出来なかったぞ。今、妹はなんて言った?


 俺と撫子が……キスをする? どういうこと?


「ねぇ、おにぃ。おにぃがお母さんの事を女として見ていないって言うなら、あたしとキス、出来るよね?」


 撫子の表情は変わらない。いつもの無表情だ。


 だが心なしか、俺の事を真っすぐに捉えてくるその瞳は、どこか蠱惑的でとても魅惑的だった。


 そんな妹の雰囲気に飲まれ、俺の心臓はドクンと強く脈打つ。


「ちょ、ちょっと待て! なんだよ、それ! 俺が母さんを女として見てなかったら、なんでお前とキス出来るんだよ!」


「好きじゃ無ければ、違う女とキス出来るでしょ?」


 相変わらず、撫子の言う理屈はまるで分からない。


 大切な何かをすっ飛ばした挙句に、常識を自分の価値観で捻じ曲げて結論に至る。


 そんな、妹の無茶苦茶な思考を、俺は全く理解することが出来ないでいた。


「落ち着け、ナデコ! 母さんをの事を好きじゃなくても、他の女とキスなんて出来ないよ! キスって言うのは、好きな者同士でするもんだろう!」


 俺がそう反論すると『ピピ! ピピ!』と、レンジから温め終わった事を知らせる音が鳴った。


 だが、撫子はその音を気にもかけずに、やや前かがみの姿勢をとると、椅子に腰かけている俺の顔にゆっくりと自分の顔を近づけてきた。


「あたしはおにぃが好き。昔からずっと、そう言い続けて来た」


 幼いころから見て来た、可愛い妹の顔が徐々に迫ってくる。


 白銀比で整えられた、超絶美少女の顔が目の前にまで……


「あ、いや……だから、それは家族として、だろ?」


「ううん、違う。ずっと、ずっと、ず~っと……男の人として大好きだった。夏休みに旅行に行ったあの日、おにぃがあたしのことを変質者から助けてくれたあの日から、あたしはず~っとおにぃの事が大好きなの。愛しているの」


 妹に言われて思い出す、あの夏の日の事件のことを。


 知らないおじさんに襲われていた妹を助けようと、俺は我武者羅に立ち向かって行った。勝てるとか、なんの勝算とかもなく、ただただ必死に……


「あたしはおにぃの事が好き。おにぃもあたしの事が好き。だから、お母さんの事が女として好きじゃないって言うなら、あたしとキスして欲しい」


「俺の好きは……その、違う意味で……」


 すでに撫子の顔は、俺の目の前にあった。


 妹の吐息と熱を感じる至近距離と、漂ってくる柔らかくて甘い匂いに、俺は緊張で体が強張る。


 体が密着する距離も、撫子の匂いも、今まで特に気にしてこなかった。


 でも、今の俺は撫子の事を意識してしまって、その事を強く感じている。


 それは、ずっと家族だと認識していた義妹の事を、異性として見た瞬間だった。


「おにぃから出来ないなら、あたしからするよ?」


 撫子は、頬にかかった自慢の黒髪を耳へとかける。


「ダ、ダメだ……ナデコ。俺はお前のことを……」


「……妹として見ている、でしょ? 分かってる。でもね、あたしももう、我慢ばかりしていられないって気づいたから」


 撫子がそう言った、次の瞬間。


 俺の唇に柔らかい感触が触れていた。


 何が起こったのか、すぐには脳が理解してくれない。


 俺の唇を襲ってきた柔らかい弾力と人肌の温もりに、頭が真っ白になって何も考えられなかった。


「おにぃ……ん」


 俺と撫子しかいない静まり返ったリビングは、より一層、義妹の存在を強く感じさせた。


(ナデ、コ……ナデコ)


 俺を唇を重ねる義妹を、押し返そうと思えば押し返せたはず。


 けれども、俺はそれが出来なかった。身動きひとつとれなかった。


 ……いや、違うな。俺は、とらなかったんだ。


 撫子の唇の感触を、キスを、もっと感じていたいと思ったから。


 ──ピー! ピー!


 とっくの昔にチャーハンの温めが完了した事を、煩いほどにレンジが告げる。


 しかし、そんな音など無視して、俺と撫子は時間を忘れて唇を重ね合っていた。

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