第13話 バラの香水。

 俺は自宅へと帰るべく、寂しがり屋の妹と一緒に電車に乗っていた。


 まだ、お昼を少々過ぎたばかりとあって、車内には人の姿は疎らであった。


 だが寧ろ、少ないからこそ余計に目立つ。そんな状況に俺は苛まされている。


 その状況とは、座席に座った俺の右肩に、撫子が寄りかかる様に頭を乗っけてきているのだ。


 別に、そこまで重いって訳ではない。逆に軽いくらいだ。


 だが、右腕全体に圧迫感を感じてストレスだし、なにより他の乗客に見られてると思うと恥ずかしくて堪らない。


 とりあえず、その状況から解放されたくて、俺は撫子の説得を試みる事にした。


「なぁナデコ、ちょっと離れてくんない?」


 俺の言葉に、撫子は頬を膨らませる。


「ううん、離れない」


「えぇ? ちょっと、腕が痛いんだけど」


「……イヤ」


 不貞腐れる撫子は、俺の右腕に鼻を押し当てるとブレザーの匂いを嗅ぎ始めた。


 ワケが分からない。何故、急に撫子は不機嫌になったのだろうか。


 電車に乗るまでは特に変わった様子も無く、普通にしていたのに。


「って言うか、公衆の面前でそういうのは止めてくれよ。恥ずかしいからさ」


「あたしは恥ずかしくない」


「おまえなぁ……」


 俺はゼロ距離撫子を離そうと、腕を軽く動かし続ける。


 だが、それくらいでは撫子を離す事は叶わず、逆に、さらに顔を埋めてきた。


「なぁ、ナデコ。ホント、頼むから離れてくれよ」


「だって……なんか、知らない香水の匂いがする」


「ん? 知らない香水の匂い?」


 一体なんの事だか分からなくて、俺は撫子にそう問いかける。すると妹は、俺の二の腕辺りに顔を埋めたまま呟いた。


「おにぃの香りに混じって、バラの香水の匂いがする。大人な感じの」


「え? バラの……?」


 それでようやく思い当たる。体育館の片づけが終った後、杜城会長がずっと俺の腕にしがみついていた事を思い出した。


「あ~、それって多分、会長の香水かな。体育館の片付け終った後、ずっと腕掴まれてたから」


 それを聞いた撫子は埋めていた顔を離すと、無表情のその可愛い顔をズイっと近づけてくる。そんな妹に気圧されて、俺は思わず体を引いた。


「な、なんだよ?」


「会長って、あの在校生挨拶したギャルみたいな人のこと?」


「そ、そうだけど……」


「ねぇ、おにぃ。おにぃは、あんな感じのギャルみたいな人がいいの?」


 撫子は俺が体を引いた分だけ、さらに詰め寄ってきた。


「え、は? き、急になんだよ。別にそんなんじゃねぇぞ」


「……ホント?」


 撫子は目を細め、疑いの眼差しで俺を見つめてくる。


「なんだよ、その目は……本当だよ」


「あのギャル会長、おにぃ好みの美人だった。香水もセンスいいし」


 俺は好みの美人だったと言う言葉に何も言い返せなくて、つい黙ってしまう。


「おにぃの顔、真っ赤なんだけど。やっぱ、ああいう美人なギャルが良いの?」


「そうじゃない……けど、会長の事は、き、嫌いではないな。勉強仲間だし」


「勉強仲間?」


 そう言いながら、撫子は俺の頬近くまで顔を寄せてくる。


 近いよ、近すぎる。妹の吐息が、無防備な頬や首筋に当たるんだが……


「勉強仲間は、勉強仲間だよ……学校の図書室で勉強して、駅まで一緒に帰るだけの友達みたいなもんさ」


「え、もしかして結構進展してる感じ? もう付き合ったりとかしてるの?」


「してない! 勉強仲間! 友達だって言ってんだろ!」


 それを聞いた撫子は座り直すと「ふぅん」と言いながら、再び俺の二の腕辺りに顔を埋めた。


 「おにぃは、あたしだけのおにぃだから。おにぃの事が好きなのも、あたしが先だから……」


 それから降りる駅に着くまで、撫子は一切口を開く事は無かった。


                 ◇◆◇◆


 俺は、撫子にずっと匂いを嗅がれ続けると言う公開処刑を乗り切り、家近くの駅で兄妹揃って電車を降りた。


 撫子は改札を抜ける為に一度は俺から離れたが、改札を抜けると再び腕に抱き着こうとしてきた。


 ……が、俺はそれを断固阻止する為に腕を頭上へと振り上げる。


「え? わわっ」


 俺の腕を掴み損ねた撫子は、勢い余って前のめりになったが、すぐに姿勢を立て直すと俺へと振り返った。


「……ねぇ、おにぃ。手、繋ご?」


 撫子は、いつもの無表情のままで右手を差し出してくる。


 しかし、俺はその手を一瞥して、半ば呆れながら撫子に返事を返した。


「もういいだろ。電車の中でも、十分、腕に抱きついていたじゃないか」


「足りない」


 不満気に口を尖らせて、撫子は俺から視線を逸らす。


「何が足りないってんだよ、いい加減にしろ。先に行くからな」


 撫子の態度に少々苛立ちを覚えた俺は、少しばかり突き放す様にして歩き出す。


「……」


 だが、いつまで経っても、背後からパタパタと撫子の足音は聞こえてこなかった。


 (追いかけてこないな、もしかして拗ねてしまったか?)


 と、俺は後ろを振り返る。


「……おにぃが……なっ……ったのに」


 うん、なんかブツブツと言いながら拗ねてた。


 撫子は先ほどと変わらない表情で、駅前で突っ立っている。


「何が気に入らないって言うんだ」


 いつもなら、俺が少々嫌がる素振りを見せると渋々ながら諦めてくれるのに、なんと言うか、今日はやたらとしつこい。


 とは言え、駄々をこねる撫子を駅前に放置する訳にもいかないし、俺だけ家に帰る訳にもいかない。


 だって、妹を一人に出来なくて一緒に帰って来たのだから。


「はぁ……ったく」


 どうしたものかと悩んだ挙句に、俺は頭を掻きながら撫子の元へと戻った。


「なぁ、ナデコ。いつまでも、こうしている訳にはいかないだろ?」


 撫子は俺の事を一瞥すると、再びスッと視線を外す。


 ぐっ、完全に拗ねてやがる……


「だって……おにぃと手を繋ぎたい」


「あのなぁ、俺はお前の彼氏じゃないんだ。毎日は手を繋げないんだぞ」


「そんなの、分かってる……けど、繋ぎたいんだもん」


 そう言うと、撫子はそのまま俯いてしまった。


 拗ねてしまった撫子との根競べ。


 だが、そんなのには付き合っていられない。人通りの多い駅前でずっとこうしている訳にもいかないし。恥ずかしい。


 何がそんなに気に入らないのか分からないけど、ここで折れてやらないと、どこまでも堂々巡りだろうしな。


 はぁ……お兄ちゃんは辛いよ。


「ほら、ナデコ」


 未だ俯いたままの撫子にむかって、俺は左腕を突き出す。


「え?」


 撫子は無表情で、俺の左腕と顔を交互に見てきた。


「きょ、今日だけ、だからな。明日からは、そう簡単には繋がないぞ」


 俺のぶっきらぼうな言葉に、撫子の顔は瞬く間に明るくなっていく。


「うん、今日だけ……おにぃ大好き」


 そう約束してくれた撫子は、俺の腕にギュッと抱き着いて来た。


「恋人つなぎしていい?」


「それは勘弁してくれ……」

                ◇◆◇◆ 


 結局、家に着くまで撫子は俺の腕に抱き着いたままだった。


 顔見知りのご近所さんと挨拶しながらすれ違った時も、何か笑われてた気がする。


 分かる。あれは『仲が良い兄妹なのね』って、する笑顔じゃなくて『高校生にもなって兄妹で腕組んで帰ってんの? ねぇわ』って意味を含んだ嘲笑だったのだと。


 そう考えただけで、とっても憂鬱な気分だった。


「なぁ、ナデコ。ご近所さんに変な目で見られてたな……」


「ちょっと分かんない。あたし、おにぃの事しか見てなかったし」


「はぁ。とにかく、約束だからな。明日からは離れて歩いてくれよ?」


「……約束って?」


「えぇぇぇ、さっき約束しただろう?」


 俺がそう言うと、撫子は握っていた手にギュっと力を込めてきた。


「だって……恋人つなぎしてくれなかったもん」


 それだけ呟いて、撫子はパッと俺の手から離れると、ひとりで家の中へと消えて行った。

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