第16話 義妹の焦り。

 俺は脱衣所へと入ると、引き戸を閉めてササっと服を脱いだ。


「さむっ。春になったとはいえ、まだまだ冷えるな」


 脱いだ服を洗濯カゴへ投げ入れ、俺は浴室へ入る為に風呂場の扉を押し開けた。


 すると、白いパネルに囲まれた浴室が、ヒンヤリとした空気で俺を迎えてくれる。


 ふわふわした気持ちを引き締めてくれるには、丁度いい冷たさだった。


 俺はバスチェアに腰かけると、早速、目の前にあるシャワーの蛇口を捻って頭から暖かいお湯を浴びた。


「髪だけ洗って、体は帰って来てから洗うかな」


 丁度良い温度に設定されたお湯が、少し冷えた俺の体を徐々に温めてくれる。


 そうして、しばらくの間シャワーを浴びていると、なにやら脱衣所の方からギシっと言う床が軋む様な音が聞こえてきた。


(ん? なんだ?)


 聞こえてくる謎の音を探ろうと、俺は耳を澄ませる。


 すると、次はガタガタッと言う音が聞こえて来た。


(何の音だ? 適当に投げ入れた服の重みで、洗濯カゴが倒れでもしたかな?)


 そう考えた俺が、風呂場の入り口へと振り返ると……すりガラスの向こう側に、肌色だらけの人型の何かが佇んでいた。


 高さ、およそ158センチの黒髪ミディアムのシルエット。


 すりガラス越しだからボヤっとしか見えないが、出る所は出て、凹むところは凹んだ艶めかしいボディラインが、しっかりと確認出来る。


 うん……え? ちょ、待って。これって、どういう事? これって、何も着ていない、一糸纏わぬ撫子って……こと?


 ゆっくりと考える時間も与えられず、謎のシルエットによって浴室のドアが開かれようとしていた。


「おにぃ、入ってもいい?」


「ちょ、ちょちょ、ちょっと待て!」


 俺は手にしていたシャワーヘッドを投げ捨てると、慌てて風呂場のドアに背中を押し当てた。そう、妹が入ってこられない様に塞いだ形となる。


「お、おにぃ……ドア、開けられない」


 か、間一髪……だった。


 脱衣所側から開けようと、撫子がレバーハンドルをガチャガチャとやっている。


 義兄の入浴中を襲う、雰囲気新妻の義妹。それは、ちょっとしたホラーだった。


「当ったり前だろ!? 開けられない様に俺がドアを塞いでんだから!」


「でも、あたしも一緒にシャワー浴びたい」


「いやいやいや! 俺達、もう子供じゃないんだ! 立派にあちこち育っちゃってるから色々無理に決まってんだろ!」


「え? でも、小さい頃は一緒に入ってたよ?」


 撫子の相変わらずの思考バグモンスターぶりに、俺の脳みそは完全復活する。


「いつの話をしてるんだ! 小さい頃とは違うだろ! さっきも言ったように色々育っちゃってるの! とにかくダメだ! 入ってくんな!」


「だって、服はもう全部脱いでるし、ちょっと寒い」


「そんなの、また服を着ればいいだけだろ! 今すぐに服を着ろ!」


 撫子は体重を乗せながら、全力で浴室のドアをグイグイと押してくる。


 俺も負けじと、必死でドアに背中を押し当てるが、足元が濡れてて力を入れづらい。何度か滑る足の位置を修正しながら、俺は必死に義妹の侵入を妨げていた。


「お願い。あたしも入れて?」


「ダメだって言ってんだろ! って言うか、なんでそんなに一緒に入りたいんだよ!」


 俺の質問の答えを考えているのか、撫子はしばらく黙ったままだった……が、尚も浴室に入ろうと、容赦なく扉をガンガン押してくる。


 「だって、おにぃにあたしのファーストキスはあげたけど、でもまだ、それだけじゃ足りないかもって……おにぃはお母さんの事がまだ好きかもしれないし、それに、あのバラの香水。あの匂いを嗅いでから、何だかそわそわして……」


「ナ、ナデコ、とにかく落ち着いてくれ! 俺は佳奈美さんのことは、母さんとして大好きなだけだ! ホントだよ! 女性としてじゃない!」


「うん、でも。やっぱり、キスだけじゃ不安で……おにぃに、あたしの全部、ちゃんと見て欲しいなって……」


 撫子が何を言っているのかは分からない……けど、俺の事を、男として本気で好きでいてくれている事だけは分かった。


 だから、逃げたらダメだ。俺も撫子に真っすぐ向き合わなきゃいけない。


 それが、俺の事を好きになってくれた女の子への誠意って物のはずだから。


「な、なぁ、ナデコ。ちょっと聞いてくれるか?」


「……」


 俺の問いかけに、撫子からは何の返事も返ってこなかった……兎に角、今は撫子に話を聞いてもらわないと。俺の気持ちを、ちゃんと伝えきゃ。


「き、聞いてるよな? 聞いてる体で話すぞ。えっと、さ、さっきの、リビングで、その……ナデコとキ、キスしただろ? アレ、俺は全然イヤじゃなかった。むしろ、もっとしていたいなって……思った」


「……え?」


 撫子が驚いた声を上げたと同時に、扉にかかった力も急に弱まった。


「俺はあのまま、ずっとキスしていたいって……思ったよ。それに、この手でナデコの事を抱きしめたいって思ったし、あわよくばその先だって……」


「じゃ、じゃあ!」


「ナデコ、お願いだから、最後まで聞いてくれ」


「あ、う、うん。ごめん」


「俺はずっと、お前の事を妹だって見て来た。大切な家族だって。でも、どっか心の片隅で、微かに、微かにだけど、ナデコの事を女の子として見てたかもって、今なら素直に受け入れられるんだ」


「おにぃ……」


「確かにナデコは俺の義妹だけど、でも義妹ってだけじゃなく、これからは俺の事を好きでいてくれている一人の女の子として見るよ。だからさ、俺に少しだけ時間をくれないか? いつまでとかって、約束できなけど……心を整理するだけの時間が欲しいんだ。それでちゃんと気持ちを整理出来たら……」


 俺がそこまで話すと、玄関の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「ただいまぁ。撫子~、撫子~? 将輝くんにはちゃんと伝えてくれたぁ?」


 保護者会を終えた佳奈美さんが、学校から帰って来たのだ。


「あ、お母さん帰って来た」


 だがしかし、呼ばれている本人の撫子は、俺と一緒に風呂に入ろうとして素っ裸で脱衣所にいる。


 俺は裸で浴室、撫子も裸で脱衣所……この状況は絶対に見られたらダメなやつだ。


 どう贔屓目に見ても、変な誤解を与えてしまうヤバイ状況だ。


「くっ、マズイ、ど、どうする!?」


 俺はパニくってしまって、良い考えが浮かばない。


「落ち着け俺、こ、こういう時こそ冷静になるんだ」


 とりあえず深呼吸をして、俺はこの難局をどう切り抜けようかと思案を巡らせた。


 が、その時、撫子は脱衣所の引き戸越しに佳奈美さんに返事を返した。


「おかえり~、お母さん」


 その事に慌てた俺は、さっきから出しっぱなしのシャワーを止めると、黙って状況を見守る事にした。


「あ、撫子。今からお風呂に入るところだったの?」


「うん、出かける前にシャワー浴びようかなって思って、脱いだところ」


「そうなんだ。将輝くんは部屋?」


 佳奈美さんのその言葉に、俺は思わずビクッと体を震わせる。


「部屋でお昼寝してる。お母さんが帰ってきたら、あたしが起こすって言ってある」


「そっか。じゃあ、お母さんリビングにいるから」


「分かった、あたしも着替えてそっちに行く」


 ど、どうやら……何とか誤魔化せたみたいの様だ。


 その事に安堵した俺は、ドアに背中を預けながらその場に座り込んだ。


 一時はどうなる事かとヒヤヒヤした。


 こんな状況、佳奈美さんにどう弁解していいか分かんないからな。


 何はともあれ、見られなくて良かったよ。


 ──コココン。


 と、静まり返った浴室に軽快なノック音が反響する。


「ねぇ、おにぃ? あたしがお母さんをリビングに引き留めておくから、その間にお部屋に戻って」


 撫子のいつもの抑揚の無い声に、俺はさらに落ち着きを取り戻していく。


「あ、あぁ、分かった。頼む」


 そう返事をすると、撫子は「おにぃ、ごめんね」と言って着替え始めた。


 脱衣所から聞こえてくる衣擦れの音に、なんだかいけない事をしている様な気持ちを覚える。


 思わず、先ほどのすりガラス越しの撫子の姿を思い出す……が、俺は大きく首を振って妄想を消し去ると、義妹が着替え終わるのを静かに待った。


 そうして暫く待っていると、脱衣所の引き戸がガラガラっと開閉する音がした。


 俺は振り返り、すりガラス越しに脱衣所を見る。


 そこにはもう、ほぼ肌色の人型のシルエットはすでに無かった。

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