第4話 入学式の朝
学校指定のシャツとチェックパンツへと着替え終わった俺は、洗面所で洗顔と歯磨きを済ませ、紺のネクタイを締める。
そして、洗面台の鏡で身だしなみチェックをしてから、朝食を食べる為にリビングへと向かった。
所謂、LDKと言われる間取りの部屋からは、フライパンに敷かれた油が激しく跳ねる音が聞こえてくる。
「今朝はパンか。母さんのベーコンエッグ、絶妙な味付けなんだよな」
空腹を刺激する香ばしい匂いに誘われるがまま、俺はリビングの扉を潜った。
すると、一番最初に目に入ってきたのは、料理をする佳奈美さんの姿では無く、テーブルに座った上下スーツの人物だった。
「あれ? 父さん、おはよう。帰って来てたんだ」
「ああ、おはよう将輝。まぁ、大切な娘の高校の入学式だからな。上司に頼み込んで、今日は午前中だけ休みを貰ったよ」
父さんは俺と挨拶を済ませると、コーヒーカップを手にしたまま、新聞へと視線を落とした。
「そっか。あんまり家には帰ってこなかったし、忙しそうだね」
「うん、まぁな。だが、大切な仕事を任されているんだ。やりがいはあるさ」
そう言って、父さんはカップの縁に口を付けてコーヒーを啜った。
俺の実父である
たまに帰って来ても、スマホで呼び出されて家を出ていくなんてのはザラである。
そりゃあまぁ、仕事が大切なのは分かる。父さんが真面目で責任感のある人だってことも、俺は分かっているし、尊敬もしている。
だがそうやって家に居る事が少ない人間だったから、実母は寂しさの余り男を作って出て行ってしまったのではないか、とも思う。
まぁ、それだけが原因では無いだろうけど、それも要因の一つではなかろうか。
(もう少し、家庭を顧みても良かったと思うんだよね、父さん)
「ん? なんだ、将輝。ボーっとして」
「あぁ、ううん。別に」
「そうか、なら早く座るといい」
そう急かされた俺は、テーブルの椅子を引いて訝し気な表情を向ける父さんの対面に座った。
「撫子、将輝くんを困らせたらダメじゃない」
座ってすぐ、何やらキッチンの方から佳奈美さんと撫子の話し声が聞こえてきた。
声の雰囲気からして、何やら揉めている様子だけど……?
「困らせてないよ。あたしはただ、おにぃを起こしただけだもん」
「起こしただけって、将輝くんはいつも通りに起きるんだから、あなたがあんなにも早く起こす必要なんて無いのよ?」
「だって……」
なるほど。どうやら、早朝から俺を叩き起こした件で、撫子が佳奈美さんに説教をくらっているらしい。
今日も美しいお母様。遠慮せずにどんどん言ってやってください。今の撫子には厳しい躾が必要です。
なんて考えながら、俺はその状況をテーブルから黙って見守る。
「だってじゃないの。いいから、将輝くんに謝ってらっしゃい」
「わかってる、でも……」
「もう、さっきから言い訳ばかり。あなたが悪いんだから、しっかり反省しなさい」
「あたしはただ……」
撫子も何やら反論したい様子だったが、一人でブツブツ言った後はそのまま黙ってしまった。若干、その可愛い唇を尖らせながら。
しかし、やはり実の母親の力は偉大だな。あの撫子を黙らせてしまうんだから。
俺なんて舐められた態度をとられた挙句に、耳まで舐められそうだったからな。兄としての威厳も耳も、ペロペロされまくりだ。
すでに撫子からは、兄ではなく愛玩動物として見られているのかもしれない。
ドンマイ、俺……
「ほら、撫子。お父さんと将輝くんにベーコンエッグを持って行ってあげて」
「……」
「撫子?」
「ん~」
そう不満気な返事を返すと、撫子は佳奈美さんに言われた通り、両手にベーコンエッグの乗った皿を持ってテーブルへと向かってきた。
すでに無表情へと戻っていた撫子は、手にした皿を父さんの目の前に置く。
「はい、お父さん」
「ああ、ありがとう」
そして、もう一方の皿を俺の元へと持ってくると、目の前に静かに置いてくれた。
「ねぇ、おにぃ」
「ん?」
「……朝早く起こして、ごめんなさい」
撫子の表情はいつもと変わらない。無表情だ。
だが声の雰囲気からして、気持ちが大分沈んでいるのが分かる。
そんな撫子の様子に、俺の胸がキュっと締め付けられた。
そもそも、俺も怒りたくて怒った訳じゃない。少しばかり撫子がやりすぎなだけで、本当に嫌いだとか、そんな事は一切思っていない。
寧ろ、可愛い自慢の妹として大切に思っている。
とても大切な家族として、撫子の事が俺は大好きだから。
「別に、本気で怒ってねぇよ。その、俺の方こそ、怒鳴ったりして悪かった」
「う、ううん、おにぃは悪くないよ。あたしが悪いんだから」
「それでも……いや、起こしてくれて、ありがとな。ナデコ」
俺がそう言うと、撫子の表情が徐々に明るくなって……いく気がする。
無表情のままではあるのだが、兄である俺にはそれが分かる。
なんとなくだけど。
「……ふふ、おにぃ優しい。好き」
そうして、撫子は軽く微笑んで俺に投げキッスをすると、再び朝食の準備へと戻っていった。
さっきまであんなにもショボくれていたのに、ホント調子のいい奴だよ。
◇◆◇◆
『次は、
ガタン、ゴトン、と言う音と共に、クセのある車掌のアナウンスが流れる。
朝の
音楽を聴く者、スマホをいじる者、雑誌を読む者、お喋りをする者。
十人十色、それぞれのスタイルで移動時間を潰している彼らに混じって、俺も自分が住んでいる町から三駅ほど離れた場所にある学校、
俺はいつもの定位置である電車のドア近くを陣取ると、立ったまま単語帳に目を通していく。
先程述べた様に、人それぞれ時間の潰し方があるとは思うが、俺の電車内での暇つぶしと言えば……単語帳に目を通すことだ。
電車に揺られている時間は十五分程度だから、単語帳をパラパラやっていればあっという間に目的の駅に到着している。
スマホも一応は携帯してはいるが、使用する頻度はそんなに多くはない。
主に大好きなプロ野球のニュースを見たりするぐらいで、ゲームはあんまりやらないし、SNSなどもまぁそれなりで、友達との連絡も……あまり、とらない。
とらないと言うか、自慢ではないが、俺は人付き合いが上手ではない為に友達が少ないのだ。
コミュ障とまでは思っていないが、タイミングが悪いとでも言うか、何と言うか。
どうも、俺は人とコミュニケーションを……
──ピロン♪
「ん?」
俺のスマホから『ピンスタ』と言うコミュニケーションアプリの新着音が鳴った。誰かが、俺に何か送って来たみたいだ。
早速、俺はブレザーのポケットからスマホを取り出してチェックする。
新着1件:撫子
俺のピンスタは、二割が数少ない友人からの連絡、そして八割が撫子からの一方的な用件である。
ほぼ、妹専用のどうでもいい日常報告アプリと化している状態だ。
物事には限度って物があると思うが、あいつにはそう言った物がまるで無い。何か事ある毎に、写真やら何やらを数十秒おきに大量に添付して送ってくるのだ。
先日も、なんちゃらってファッション雑誌の読モがカフェにいたとかで、仲良くなって一緒に写真を撮ったと大量に送って来た。
妹よ! こんなに大量に送られてきても、お兄ちゃん迷惑だよ!
……とは思いつつも、読モの人が美人だったから、間違って消さない様に全部ロックは掛けておいた。凄く綺麗な人だったからな。
で、今送って来たのは何だろうか? と、俺は通知マークをタップした。
すると画面には『おにぃの学校で撮ったよ! 今日から一緒の学校だね♡』と言う文章と、学校の校庭に植えてある桜をバックに、撫子が佳奈美さんの腕に抱き着いている写真が表示された。
「俺はこれからの学校生活を考えると、憂鬱になるわ」
書かれた一言に愚痴を零しながら、送られてきた写真を見る。
血の繋がった母子だからそりゃ似てるだろうけど、改めて撫子と佳奈美さんが並んでいる所を見ると、もう双子じゃないのかってぐらいソックリだった。
美人親子だからめちゃくちゃ映えてるけど、これが俺と父さんだったら地味過ぎて誰得だよって写真なんだろうな……いや、去年撮ったけどさ。
──ピロン♪
先程の通知音からあまり間を置かずに、再びスマホから新着を報せる音が鳴った。
新着1件:撫子
ほらな、始まったよ。撫子からの大量送付。
──ピロン♪ ピロン♪ ピロン♪
「はぁ~……ぁぁ、止めてくれ」
数十秒おきに鳴る通知音に、俺は大きな溜め息をつく。
妹から、一体あと何件の写真が送られてくるんだろう。
そんな事を考えながら、俺は車窓の外の流れゆく街並みを眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます