第3話 妹の起こし方は変わっている。

「おにぃ、起きて。朝だよ。ねぇ、起きてぇ」


「ん……んん?」


 深い眠りの向こう側から、ぼんやりと聞こえてくる女の子の声。それと、仄かに香るシャンプーの匂いに、俺の意識は徐々に覚醒していく。


「おにぃ、起きてぇ」


 そう言いながら、良い匂いのする声の主は、布団に包まる俺の体を右に左に揺さぶってくる。これが、とんでもなくうっとおしい。


「朝、起きて、朝、起きて、おにぃ、大好き、おにぃ、大好き」


 俺を眠りから覚まそうとするのは、起床を促すいつものスマホの電子音なんかではなく、妹の撫子だった。


 これ以上、寝起きの脳をシェイクされるのは勘弁願いたい。


 とりあえず、揺さぶるのを止めて貰おうと、適当に返事を返した。


「わかった、わかった。起きるから、揺さぶんな」


「起きた?」


「起きた起きた、だからもう止めてくれ」


 俺がそう言うと、ベッドの上で起きていた局地的な揺れは収束を見せる。


(……ってか、なんで撫子が起こしに来てるんだ? ここ俺の部屋だよな?)


 色々と疑問が頭を過ってはいくが、現状を確認しようと、俺は重たい瞼をゆっくりと開けていく。


 するとそこには、ベッドで横になっている俺の事を、膝立ちで見下ろしている撫子の姿があった。


 紺のブレザーの中に着た白いブラウスと、首元で鮮やかに映える赤いリボン。


 それは、俺が通う岳奥がくおう高校の制服だった。


 俺は寝ぼけまなこを擦りながら、妹の姿を見つめる。


(ああ……そっか)


 と、脳が覚醒していくにつれて、今日から新学期が始まる事を思い出していった。


「目ぇ、覚めた? おはよ、おにぃ。愛してる」


 最後の五文字は置いておくとして、俺はとりあえず布団に包まったまま、当たり前の疑問を撫子に投げかけた。


「おはよ、じゃなくてさ。ナデコ、ここ俺の部屋なんだけど?」


「と言う事は、あたしの部屋でもある」


 冗談ぽく答えるでもなく、撫子は至って真面目な表情で返してきた。


 ……コイツ、本気で言ってやがる。


「いや、お前の部屋は隣だろうが、謎理論を展開してくんじゃねぇよ。てか……なんでお前が、俺を起こしに来てんの?」


「だって、愛するおにぃを起こすのが、あたしの使命だから」


「……もういい、朝一からしんどい」


 目覚め一発目から、無理やりに付き合わせられる兄妹漫才。


 俺はそれを強制的に中断すると、ベッドから上半身を起こして大きく伸びをした。


「ふぁ~ぁぁぁぁぁ…… で、今何時?」


「五時」


「え、修行僧かな?」


 無表情で答える妹にソフトなツッコミを入れて、俺は壁掛けのアナログ時計見る。


 時計の針は、しっかりと午前五時を指し示していた。


「マジで五時なのかよ……」


 確かに、短い春休みが終って今日から学校なワケだが、俺にはこんなにも早く起きる理由が全く無い。


 学校に間に合いさえすればいいから、スマホの目覚ましは七時前にセットしてある。だから本当なら、まだあと二時間程は眠れたはずなのだ。


 そんな貴重な睡眠時間を削ってまで、撫子が俺を起こした理由。それは何だろうかと、俺は澄まし顔の妹を問いただした。


「なぁ、ナデコ。俺を起こすと言う、お前の使命とやらは知らないけどさ。そもそも、なんで俺はこんな時間に起こされてんの?」


「なんでって……おにぃ、あたし今日から高校生なんだよ?」


「うん、それが?」


「おにぃと同じ学校の制服着るんだよ?」


「だから?」


「大好きなあたしの制服姿を、一秒でも早く見たいよね?」


「……そんなでもないぞ」


 撫子は俺の発言を華麗にスルーして、勢いよく立ち上がると、その場でくるりと回って見せた。その反動で、赤と黒のタータンチェックのスカートがヒラリと翻る。


「ねぇ、どうかな。似合ってる?」


 勢いよく跳ね回る妹のスカートの裾から、純白のAREアレがチラリと見えた。


 ……慎め妹よ。


「うん、似合ってる、似合ってる。チラッと見えたアレもな」


「ホントに? 可愛い?」


「うん、可愛い、可愛い。だから、二度寝させてくれ」


「えぇぇぇぇぇ……」


 俺の反応に不満そうな声を発した撫子は、目を細めて頬を膨らませる。と、急に理解に苦しむ意味不明な提案をしてきた。


「じゃあ、おにぃが二度寝するなら、あたしも一緒にベッドで寝る」


「ふざけんな、どうしてそうなるんだよ。それにそのまま寝たら、お前の自慢の可愛い制服がシワだらけになるだろうが」


「おにぃと一緒に寝られるなら、それぐらいの犠牲は払ってもいい」


「あのなぁ、ナデコ。いい加減にしろよ? どうでもいいから、さっさと自分の部屋に戻ってくれよ」


 そう撫子をあしらうと、俺はもう一度布団に包まって壁側へと寝返りをうった。


「……」


 あれほど騒がしかった撫子が黙り込むと、部屋は一気に静まり返り、窓の外からは早朝らしい、鳥のさえずりや車のエンジン音が聞こえてくる。


(よし、これで後二時間は寝られるな)


 そう思っていた矢先。シャンプーの香りと共に、俺の耳の辺りに何かが覆い被さってくる気配と、じんわりとした熱を感じた。


「ねぇ、おにぃ? 制服を全部脱いだら、あたしも一緒に、ベッドで寝て良い?」


 何だか下半身に響いてくる、撫子の囁き声。


 耳元と首筋を掠めていく妹の吐息に、ゾワっとしたくすぐったい感覚が体中を駆け抜けていく。その衝撃に、俺は堪らずベッドから飛び起きた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! ちっけぇよ! くすぐったいだろうがぁ!」


 ムズムズする耳と首を手で擦りながら、俺は慌てて壁際に身を寄せる。


 そんな俺の様子に、撫子は大きく目を見開いていた。


「ビ、ビックリしたぁ。急に起き上がるんだもん」


「そりゃ起き上がるだろ! マジで何考えてんだ、お前は!」


「……あたしはただ、おにぃに優しく囁いただけなんだけど」


 世間一般の兄妹が絶対にしないであろう事を、撫子は真面目な顔で答える。


「それにビックリしてんだよ! 普通、兄の耳元に囁くか!?」


「あたしは、おにぃの可愛いお耳をいっぱい愛したいなって、思っただけで……」


「もういい加減にしてくれ! 耳まで愛さなくていいよ!」


「じゃあ、おにぃがリラックスして寝られる様に、あたしが添い寝してあげる」


「リラックスどころか硬くなるわ!」


「どこが硬く……」


「分かった! 分かったよ! 起きればいいんだろ、起きれば! ……ったく!」


 いつものツッコミなんかではなく、俺は半ばキレ気味に吠えながら、ベッドから飛び降りた。そうして、着替えようとクローゼットへと向かう。


 ……が、俺の後ろでずっと待機している気配に振り返った。


「なぁ、ナデコ……お前、一体何してんだよ?」


「あたしの事は気にしないで。空気だとでも思って……って、あ、ごめんね。気が利かなかった。お手伝いがいるよね?」


 下らない事を淡々と述べる妹に、俺はいい加減キレそうだった。


 ……ううん、キレた。


「え? ちょ、わわわ、おにぃ、押さないで、お着替え手伝わさせて」


「頼むから、もう出て行ってくれ」


 必死に首を横に振りながらイヤイヤする撫子を、俺は無理やりに部屋から追い出すと、素早く扉のカギをかけた。

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