第2話 コンビニへ向かう、桜並木デート

 ──三月下旬。


 桜の花びらが舞う、夕暮れ時の河川敷。


 陽気だった昼間の空気を冷ます様に、やや冷たい風が吹き抜けていく。


 そんな春半ばの空気を感じながら、俺は近所のコンビニへと向かうべく、堤防部分を撫子と並んで歩いていた。


 あと一週間もすれば春休みも終わる。そうしたら、俺は高校二年生へと進級し、そして撫子は中学生から高校生になる。


 まぁ予想した通りと言うか、懸念していた通りと言うか、撫子は迷うことなく俺が通っている高校、岳奥がくおう高校を受験した。


 ウチの高校は、この辺ではかなり有名な私立の進学校で、志望した当時の撫子の成績では少し無理では……と、言われていた。


 だが妹は、心配する周りの声など耳を貸さず『絶対に、おにぃと一緒の学校に行きたいの! 絶対に!』と、毎日必死に勉強して、そして……


「ふふっ。もう少ししたら、また、おにぃと一緒に登下校できる。楽しみ」


 と、見事に合格していた。


 そして今、妹はまだ見ぬ高校生活を妄想しながら、悪い笑みを浮かべている。


「なんだか、嫌な予感しかしない……」


 俺は中学校を卒業するまで、撫子と一緒に登下校することが多かった。


 どうしてもと撫子が駄々こねるから、たまぁに手を繋いだりもした。


 だが高校生になっても、妹と一緒に登下校するのはどうかと思う。


 ……いや、百歩譲ってそれはいいとしよう。だが、流石に人前で手を繋いだりするって言うのは、かなり恥ずかしい。


 そんなのは、公開処刑と言っても過言では無いだろう。


 だから俺は、不敵な笑みを浮かべる撫子へ牽制の意味を込めた自省を促した。


「ナデコ……別に、一緒に登下校するなとまでは言わないよ。でもな、手を繋いでくれって我儘を言ってきたりとか、いきなり抱き着いてきたりとか、中学までみたいな事はしてくんじゃねぇぞ」


 しかし、それを聞いた撫子は澄ました顔で、


「それは約束できません」


 と、キッパリと言い切ってきた。


「なんでだよ……」


 妹の強い意志を込めた返事に、俺は軽い眩暈を覚える。


「だって、おにぃと少しでもベタベタ出来る様に、一緒の学校に入ろうって勉強を頑張ったんだよ? それを否定されたら、何の為に頑張ったのか分からなくなる」


「いや、普通は将来を見据えて、受験勉強って頑張るもんだろ?」


「だから、あたしはおにぃとの将来を見据えて、岳奥高校を選んだんだけど」


「一体どんな将来を見据えてんだよ、お前は……」


 撫子は、兄である俺と一緒の学校に通う為に岳奥高校へと入学したと断言する。


 だが俺は、もちろん妹とは違う目的を持って進学率の高い岳奥高校へと入学した。


 その目的とは、有名な大学に行って、大企業へと入社して……そして、育ての母である佳奈美さんに恩返しと謝罪がしたいからだ。


 ──俺が母さんである佳奈美さんに謝罪したい理由、それは父さんたちが再婚してすぐに起きた出来事だった。


 実母が出て行ってしまってからというもの、俺は寂しさからか、毎日の様に『母さん、母さん』と泣き喚いていた。


 で、そんな俺を見かねた佳奈美さんは、撫子の面倒や家事の合間に、俺と一緒にいる時間も作ってくれていた。


 優しい佳奈美さんは、彼女なりに俺の本当の母親になろうと一生懸命だった。


 それなのに、そんな佳奈美さんに対して俺は『お前なんか、お母さんじゃない! 偽物は家から出ていけ!』と言って、傷つけてしまったのだ。


 その直後、家に帰って来た父さんにこっぴどく叱られて、怒りのケツ叩きを喰らったワケなんだが……まぁ、すっごい痛かったなぁって覚えはある。


 ただ、物理的な痛みなんてのは、時間の経過と共にすぐに忘れてしまう。


 けれど、精神的な痛みってヤツは、そう簡単には消えてはくれない。


『本当のお母さんじゃなくて、ごめんね……ごめんね、将輝くん』


 泣きながら謝る、佳奈美さん。


 彼女の手の隙間から落ちる涙とすすり泣く声に、幼い俺の心は錆びたナイフでザクザクと刺されたかの様な痛みを覚えた。


『二度と佳奈美さ……母さんの事を傷つけてはいけない』


 俺は、ジクジクとした痛みと罪悪感を戒めに、その事を強く心に誓った。


 そういう訳で『あなたのおかげで、こんなにも立派に育ちました』と、謝罪と感謝を述べる為に勉強を頑張っていると言う訳なのだ。


 将来設計も兼ねた、素晴らしい理由だと俺自身は思っている。


「ん? どうしたの、おにぃ?」


 撫子の声に、ふと我に返った。


 どうやら俺は歩きながら、佳奈美さんにそっくりな撫子の事を、ずっと見つめていたらしい。


 その事を不思議に思った妹は、首を傾げてこちらを見つめ返してくる。


「いいや、なんでもねぇよ」


 目を通して心の中を覗かれてしまう。


 そんな風に感じた俺は、そう言って撫子から視線を外した。


「おにぃが、あたしに見惚れてた……ふふっ」


「あ~はいはい、そうだな」


「もっと見ていいよ? ずっと見てていいよ?」


「暇が出来たらな」


「なんなら写真撮る? 桜並木をバックに」


「いいよ、目に焼き付けたから」


 やたらとしつこく言ってくる撫子が煩わしくて、俺は軽くあしらった。


(ん?)


 と、俺はこちらへと向けられる、ねっとりとした視線に気づく。


 その視線の正体。それは、俺達兄妹とすれ違って行く二人組の男性達の物だ。


 彼らはすれ違いざまに、こちらをジロジロと舐め回すよに見てくる。


 まぁ正しく言うと、彼らは俺ら兄妹のやりとりなんかにはコレっぽっちも興味はなく、撫子だけに興味があるのだ。


 平凡な顔の俺とは違って、誰もが振り向く自慢の妹。


 そんな超絶美少女の撫子は、幼い頃から男子にとても人気があった。


 小学校でも、中学校でも、常に男子たちの話題の中心だったし、休み時間には遠巻きに撫子を見つめる輩が絶えなかった。


 それだけ男どもを魅了する妹だから、下心全開のロクでもないヤツらが近づいてこないかとか、兄としては色々と心配だったりもする。


 ……それと、昔から少々気になっているも。


 その懸念している件も含めて、俺は撫子に質問をしてみることにした。


「な、なぁ、ナデコ」


「ん?」


「な、なんて言うか、その、中学を卒業する時に、だな」


「うん」


「だ、だだ、男子から……こ、こ、告白とか、されなかったの、か?」


「……なんで?」


 問いかけの意図を読み取ろうと、撫子は俺の顔を覗き込んでくる。


「あ、えっと、ナデコもさ、高校生になるだろ? その、彼氏とかいたら、あれだ、ほら、離れ離れで、会うのも大変になるんじゃないかなって、思ってだな……」


 俺は極自然に、妹の事を案ずる兄を演じたつもりだった。だが、撫子は何かを感じ取った様で、ニタッと悪い笑みを浮かべる。


「おにぃ、あたしに彼氏がいるかどうかを気にしてるの? 大切な可愛い妹が、知らない誰かに盗られるんじゃないかって、心配しちゃった?」


 『ふっふっふ』とワザとらしく笑いながら、撫子は体ごとグっと俺に寄ってきた。


 風で冷やされた俺の左半身に、妹の感触と温もりが伝わってくる。


「い、いや、違う! その、盗られるとかじゃなくて……兄としてだな、彼氏がいるなら、そいつはちゃんとした男なのかなとか、そういうの気になる、と言うか」


「うわぁ……」


「な、なんだよ?」


「おにぃ可愛過ぎ、今すぐ抱きしめていい?」


「はぁ!? なんでそうなるんだよ!」


 俺は可愛いと言われた恥ずかしさを誤魔化す為に、必死で声を荒げて否定した。


 だが、そんな俺を宥めるかの様に、撫子は春風で乱れる自分の髪を手で押さえながら、慈愛に満ちた優しい笑顔を向ける。


「ふふっ、あたし、彼氏なんていないよ。男子とは必要最低限の会話しかしないし、それに、ひっきりなしに告白はされるけど、全部断ってるし」


「……そ、そう、なのか」


 撫子の返事に、俺は兄としてホッとしていた。


「うん、そうだよ。あたしがちゃんと話をする男の人って、お父さんと、おにぃだよ」


「俺と……父さんだけ」


 だがホッとした反面、一抹の不安も過っていた。


 やはり、過去にあった出来事を、撫子は未だに引きずっているのではないのかと。


 幼い日に起こったある事件、その日から撫子は……


「と言う訳で、おにぃ。手、繋いでいい?」


 そう聞いて来た撫子は、すでにいつもの無表情へと戻っていた。そして、右手を差し出している。


 兄の心、妹知らず。ホント、いい気なもんだよな。


 そんな能天気な撫子に、俺はいつもの呆れた視線を送った。


「どう言う訳だよ、そんなのダメに決まってんだろ」


「なら、アームロックならいい?」


「え……お前。俺をどうしたいんだよ」


「おにぃのことギュっと抱きしめて、愛したいだけ」


「それで腕一本持っていかれるとか、勘弁してくれ」


 夜の帳が迫る空の下、俺は自慢の妹の将来を案じながら並んで歩いた。

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